小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

吉村昭の「悠遠忌」に行く

2018年08月05日 | 日記

 

東京新聞の記事を読み、吉村昭の第10回「悠遠忌」に行った。会場は荒川区の東尾久のアクト21ホール(正式名称は、男女平等推進センター)。

研究会の存在や文学忌が行われていることは、かねてより知っていた。全作品を洩れなく読むほどの熱烈な読者でもないし、作家を追悼する集まりに行くのは気後れし、その類のものに出掛けたことはない。

今回の「悠遠忌」は、作家司馬遼太郎と吉村昭の作風の違いや、朗読して読みくらべる企画が盛り込まれ、興趣をそそられた。その比較すべき要所が、日本第1号の女医、楠本イネをとりあげることを知り、是非とも参加したく、また近場でもあり、鈍重を自認する我ながら自然とアクティブになった。

司馬遼太郎は大村益次郎を主人公にした『花神』を書いた。吉村昭は『ふぉん・しーふぉるとの娘』の題名にあるように、シーボルトと日本人妻「お滝さん」との間にできた娘の「楠本イネ」を主人公にした。この日本初の女医となったシーボルトの娘を、両作家ともにキーパーソンにしたのである。

シーボルトについては以前、日本固有種の花・あじさいの学名「オタクサ」の由来についてブログにも書き、娘の楠本イネについても軽くふれた。

司馬の『花神』は未読であるものの、楠本イネを焦点にして、今は亡き、時代・歴史の大作家を比較するなんて面白い、何を隠そう我が意を得たりの好企画。これを見逃すは手はない。

▲似たり寄ったりと思うなかれ。皆それぞれに、独創・進取の精神の持ち主である。


会費1000円払って、要領を得た各種の資料をいただく。100名近い来場者があったろうか、こういった集まりに初めて参加したのだが、変な気負いもなく皆さん愉しみに来たという雰囲気に包まれる。

はじめの企画は、二人の作家が、同じような場面(状況)を切り取って、どのように描写しているかの違いを、朗読によって味わうもの。

プロの朗読家である田中泰子氏の流麗かつ明確な語りは、耳で聞くと余計に、作家の志向や文章の違いが鮮明なものとなった。

▲「悠遠忌」には、これで3回目のご登場とのこと。太宰や鴎外の朗読もこなすらしい。地唄の名取と、資料にあった。


個人的には、吉村昭と司馬遼太郎の幕末から明治期における男性側のジェンダー認識がどのようなものだったか、興味をもちつつ聞いていた。

イネにスポットを当てていた分、私には司馬遼太郎の女性に対する視方が、やや平板であり男の論理のみでイネを表現しているように感じた。

吉村のそれは、彼の作品ではいちばんの長編でありながら、司馬との比較における朗読箇所の分量が少ない。しかし、イネの女性としての心理を、男側の一方的な視点で纏めないような、抑制というか配慮が感じられた。これは比較しつつ、朗読を聞くから初めて分かる、言葉の意味の捉え方や微妙なニュアンスの違いだった。

作家それぞれに、書く対象の人物造形、心理の動きを表現するうえで、大いなる差異が生じる。当たり前といえばそれまでだが、それを朗読で体感できただけで、ここにきた意義を見出したくらいだ。


二番目の講師は、この「悠遠忌」ならびに研究会を主宰し、吉村昭に関する著書、研究会誌を発行なさっている桑原文明氏の講演。

氏のテーマ、「イネを巡って吉村昭と司馬遼太郎」についてふれると長くなる。今回の氏のモチーフは、桑原氏と同じ愛媛県の作家、宇神幸男の最新著書『幕末の女医 楠本イネ』(現代書館、平成30年3月刊)に大きく依っているといっていいだろう。

この作家の存在も初めて知った。クラシックの音楽評論家であり、ミステリーや時代小説も書かれているようだが、イネは愛媛の宇和島にも縁があり、イネやその娘・高子に関する新資料を豊富に渉猟した著作らしい。これまた、私にとって必読書が増えた。

それだけではない、入場のときに渡された資料に発行され間もない週刊朝日の記事のコピーもあった。

シーボルト、その家族を特集した2Pの読み切り記事で、明治政府を影でバックアップした長男アレクサンダー・フォン・シーボルト、異母の姉つまりイネとの交流、その後のシーボルト家の行末が簡潔に書かれている。さらに、伊藤博文や井上馨といった大物さえも、「シーボルト」に支えられていた裏側の真実が明るみに・・。

これら新資料の発掘、研究の掘り下げは、一人の若い女性による賜物とのこと。上智大学の堅田智子さんは、明治近代化と日独関係の研究を通じて、当時の「黄禍論」に抗したシーボルトの長男の存在に着目した。これらの論文などをまとめた著書『シーボルトの息子 アレクサンダー』は、講談社のメチエ叢書として、来年刊行されるらしい。

終りの聴衆からの質疑応答は2,3しかなく、個人的な感想や疑問にとどまった。総じていえば、行ってよかったし、吉村や司馬の読んでいない本を読もうとおもった。なんか、中学生が書いたような文章になってしまった。これも連日続く、暑熱のせいにしておく。





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