梯久美子が岩波新書で『原民喜』を上梓した。「その繊細な精神は、過酷な運命を生ききった」と、宣伝文にあったが「生ききった」どうかは彼の胸のうちに秘められている。彼女が書いた評伝なら読んでみたい。
私の生後5か月ほど1951年3月13日、中央線吉祥寺・西荻窪間の鉄路に原民喜は身を横たえ自死した。自宅には、近親者・友人宛の遺書が19通あったという。
遡ること6年前。1945年8月6日朝8時15分、爆心地から1.2kmの生家にて原子爆弾被爆。奇跡的に助かる。
原民喜はその年の12月に『夏の花』を書きあげたが、当時GHQは原爆関係の記事・作品を検閲していたので発表は控えた。日本文学に燦然と輝く作品である。
今日、原民喜を偲んで詩集をひもとく。「川」という詩の何篇と「無題」という散文詩に括目した。昨年広島を旅した折に原爆ドームの傍を流れる「元安川」を想いだす。
川
愛でようとして
ためいきの交わる
ここの川辺は
茫としてゐる
▲広島平和記念資料館内にて
川
川の水は流れてゐる
なんといふこともない
来てみれば
やがて
ひそかに帰りたくなる
無題
憂悶の涯に辿りつく睡りはまるで祈りのようであった。それをいつまでも私は辿ってゐたかった。慟哭も憤怒もなべてがうつろなる睡りのなかに溶かし去られよ。
ああ、しかし、この時幽霊は来て、私の髪を掴んだ。現に、現実の生活をどうしてくれるのだ、と彼女は激昂のあまり私に挑みかかって来るのであった。
追記:安冨歩氏も演奏に参加されている、ヒロシマ鎮魂の曲。原爆ドームの前での録音とのこと。
その日、輝きは失われた (2016)