小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

赤胴鈴之助とは、誰だったのか

2017年04月26日 | うんちく・小ネタ

   

ちょっとした仕事の、その延長で、子供時代に好きだった漫画「赤胴鈴之助」のことを思いだした。貸本漫画、「少年画報」という月刊雑誌、ラジオドラマ、映画のシリーズなど、当時の私たちを熱狂させた漫画のヒーロー、少年剣士のことである。小難しいことを書きたがる性質なので、たまには少年の心になって書いてみよう・・。

         

▲原作者は復刻版をふくめ、ほとんどが「武内つなよし」で統一されている。読んだことのない劇画ふうの漫画もあり、これも武内の名を冠している。

この原作、実は、福井英一と武内つなよしの合作なのだが、「少年漫画」に第一作が掲載されると、福井が突然、狭心症で死去、享年33歳という若さであった(1921年生まれ、7歳下に手塚治虫)。以降、武内つなよしが一人で「赤胴鈴之助」を連載。月光仮面が登場するまで、当時の少年たちのヒーローとして人気を独占した。全20巻揃った古本をいま買うとなれば30万円以上の値段がついているらしい。それはともかく。

「赤胴鈴之助」はそもそも「よわむし鈴之助」と題した読みきりの作品を土台としたものだ。鈴之助というキャラクターを作り上げたのはひとえに福井の草案によるもの(資料によれば出版社の編集者らとの合議に依ったとされるが・・)。気弱な少年が、江戸の三大道場のひとつ千葉周作の門をたたき、剣の指導を請い願う。修業と幾多の試練を乗り越えて、立派な少年剣士に成長していくというお約束のストーリーだ。

この福井英一という漫画家については、手元にはウィキペディアぐらいの情報しかない。うしおそうじという人の「手塚治虫とボク」(草思社)を借りて読むと、第6章に「福井英一との確執」として、戦後まもなくの少年漫画草創期、この二人がしのぎを削っていたことが書いてある。そして、二人の間にある事件が起こり、以下の顛末となった。

手塚に「俺の漫画のどこが無意味でどこがページ稼ぎなのか言ってみろ!」と迫った。対する手塚はしどろもどろで、「あれはイガグリ(※)というより架空の絵なんだ」との答えがさらに福井の怒りを買った。「ストーリー漫画にはムードが必要なんだ、たとえ雲ひとつでもストーリーが引き立つなら決して無駄じゃねえんだ、そんなこたあ俺よりてめえのほうが合点承知の助だろうが!」と正論で迫った。ここに至って手塚はついに叩頭(こうとう)して謝罪し、ようやく福井の怒りを解いたが、以後手塚は強烈な自己嫌悪に陥ったという。両者のライバル心がいかにすさまじかったかを示すエピソードである。(うしおそうじ「手塚治虫とボク」より)

▲うしおそうじは、漫画家からアニメーター、「マグマ大使」などの特撮モノのプロデューサーとして永く活躍した。2004年逝去、享年82歳。

要するに手塚治虫が土下座して謝ったのだが、福井はこの関西出身で7歳下の若き天才の手塚の活躍ぶりに日頃から嫉妬し、どこかで溜飲を下げたかったという伏線もある。福井は当初、年下の手塚の漫画を熱心に研究していたし、一緒に漫画を描いたこともあったらしい。しかし、手塚のように徹夜ができず、稼ぎにも差が出るようになると、福井は手塚をライバル視するようになった。当時の漫画家の原稿料は安く、そして仕事は連日連夜と、カンヅメ状態のハードな日が続く。但し、福井は仲間といっしょに酒を呑むことを止めなかった。福井が若くして斃れたのもそんな事情があったからだ。


さて、福井英一はどこに生まれ育ったのか。妻帯もしていたらしいのだが、プライベートな資料はほとんどない。うしおの本によれば、東大受験で有名な旧開成中学の出身とあるが、ウィキペディアでは本郷向ヶ丘の郁文館とある。どちらも私の地元から近くのところで、さらに父親は木工細工師の名人級であったらしく、福井は職人の住む街の出身者だった。つまり、彼の出身校や行動範囲から推測すると、今でいう谷根千エリア、その周辺の田端、下谷、駒込あたりとなる。少なくともこの周辺で生活した人がどんな環境で、誰に影響を受けたのか、私のなにか直感がはたらく気がしたのだ。

つまり、福井英一が上に書いたエリアで生誕かつ育ったのだと仮定すると、少年剣士「赤胴鈴之助」に当たる典型的な人物が思い描ける。

その人こそ、江戸城の無血開城につながったとされる「西郷隆盛と勝海舟の会談」を実現した真の立役者である山岡鉄舟。勝海舟、高橋泥舟とならび、山岡鉄舟は「明治の三舟」の一人である。鉄舟はまた、千葉周作の門下として北辰一刀流を極めた剣の達人であり、その後、谷中の禅寺「全生庵」を創建したことでも名を残している。

長くなりそうなので、一旦筆をおくことにする。


 (※)イガグリというのは、当時大ヒットした柔道漫画「イガグリくん」。福井英一の原作で、黒澤明の「姿三四郎」にヒントを得たものらしい。筆者も貸本の時代に読んだ記憶があり、いまネットでも幾つか読めるのだが、柔道というより学生同士の喧嘩の話が中心だ。どちらかといえば侍の精神性というか、倫理観の大切さや心技体の一致、冷静に相手を見ることなど、現代の子供向けのスポ根的な漫画とはいえない。ただ体や心を鍛えて主人公が成長していくストーリーは現代にも通じ、その種の漫画の原型と考えていい。

 

 漫画評論家の夏目房之介は、福井の勧善懲悪タイプのスポーツ漫画が手塚治虫作品とは違う独自の世界を築いていた点を指摘しており、福井の作劇手法の影響下にある後年の漫画家の多さを示唆している(水島新司など)。さらに福井の作品世界と、後の梶原一騎作品の共通点にも言及。手塚が神格化される一方で、福井が忘れ去られそうな現状に疑義を唱えている。ウィキペディアより

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