『象を洗う』を読み終えた。読みやすく端正な文章であった。さらっと簡潔に、時にねっちりと丁寧な筆致、その書き分けのメリハリがきいている。他のエッセイも読んでみたくなった。
作家として当然だが、佐藤正午はつねに読み手を意識して書いている。読んでいて疑問に思ったり、迷わされることがない。読後もストンと腑におち、課題を残さない。たぶん作者もそれを強く意識している。読む人の思考の流れと、書かれていることの齟齬が生じないよう、細心の注意を注いでいるはずだ。
村上春樹の淡々とした筆致に比して、主人公のリア充なライフスタイルを何気なく俎上にのせる。行動に要した時間経過を読みとくと、意外にもアクロバティックで超現実的な内容なので驚く。
『羊をめぐる冒険」』の中に、主人公が朝起きて、朝食をつくって食べて、食器を洗って、洗濯をして、腕立て伏せをして、シャワーを浴びて、シャツにアイロンをかけて、外出して買い物にまわり、旅行社でチケットの予約までして、ハンバーガーを食べて、公園のベンチで一休みをして、時計を見るとまだ十二時前だったというようなことが書いてあるのを読むと、僕はなんだかすごく興奮してしまう
リアリティさと筆の運びが理に適うように、確かな世界をつくろうとする側からみれば、村上春樹が書く人物はスーパーマンに等しい。
1日に2枚しか書けない小説家だと自称する佐藤からすれば、村上のエクリチュールは凄く饒舌体なのだ。作文に苦吟した感じがみえないのは、村上と佐藤も同じなんだが・・。いや、まだ佐藤のエッセイしか読んでいないから、何とも言えない。
独身生活をずっと続けているらしく、日常生活の過ごし方は男として共感できる。ただ、女性に対する何かしらこだわりがあるようだ。小説に恋愛ものが多いらしいのは、それが理由だろうか。齢を喰ったせいか、メインが恋愛だと食傷する。突出しというか香の物ていどの「男と女」の話が丁度よろしい。で、小説まで手をのばすか迷っている。
さて、佐藤正午の人となりは、この一冊を読んで多少分かった。作家なら秘密にしておきたい所も、割と開けっ広げで潔い。四十前後でこの構えとは、現在の佐藤はどう変化しているか。受賞作を読んでみるか・・。私が真似をしようにもできない平身低頭がモットー?
「怒られる」という短いエッセイから拾ってみる。
なるべく波風を立てないように生きている。気合を入れてかかるのは独りで小説を書いているときぐらいで、独りでいないときには我を張らず、誰彼の意見に耳を傾けて、それもそうだねと大抵うなずき、あとで疲れるだけの口喧嘩さえ避けるようにしている。もともと人づきあいのいいほうではないし、たまにつきあいが出来ても穏やかに、水のごとく淡く交わるだけ・・(略)。
と、こんな調子だが、これを執筆している時点で、人を怒らせたことは三度あったというエッセイ。すべて初老らしきおじさんに叱られている。非は佐藤にあるのだが、虫の居所が悪くて怒られるようなことをした。上手く対処すれば何ごともなく済んだような話だが、。身につまされないし、作者だけの性向に由来するものだ。
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▲わが家の多肉植物。象の足にそっくり。洗いたくなってきた。