▲少年のようなシーレ?
宮崎郁子さんという人形作家を知った。最近ではエゴン・シーレばかり作っていて、その繊細でリアルの塑像を観たときは目に焼きついた。
彫刻ではなく、「石塑、綿布、アクリル、発泡スチロール」と図録には記載されていた。その図録だが、いろいろ調べて岡山県の個人の方が扱っていて、郵送してもらったのだ。
宮崎さんの作品は、昨年シーレ生誕の地ウィーンが展覧会が催され、大変な好評だったという。つい最近、横浜でギャラリーで展覧されたそうだが、雑事にかまけて行きそびれた。でもいい、彼女の作品は必ず、広く知られるようになるだろうし、再見する機会に恵まれると信じている。
日本のアートに限らず、芸術は経済に寄り添って、その幹を太らせている。ファッションとトレンドの変数で再配分が決定するのだが、その偶然性も芸術的だとしたら、パセティックな感慨しかもてない。歴史をさかのぼっても、その範疇を逸脱しない。哀しいかな。
▲上の2点は『宮崎郁子作品集 樹の瞳』(2013)から・・。
エゴン・シーレ『樅の森』からの引用
わたしは帰ってゆく。深い樅の森の赤黒いドームのなかへ。樅の森はじっとひそまり、身振りだけで見つめ合う。
樹の瞳はびっしりとお互いに絡み、もうもうと湿った息を吐く。
なんと素晴らしいことだ!ーすべては生きながら死んでいる。
追記:一般公開できない画像を使用したのか・・。本記事は、削除するかもしれない。とりあえず、シーレに関する画像のみを掲載しておく。(2019.6.27)