この石にさす光はその意志を失う。光はこの石の上をすどおりして他の物へ行くことができない。光はこの石に身を寄せ、ためらい、とどまり、この石の中に住むのである。 (リルケ 『ロダン』)
吉岡実の散文からの孫引きである。
わたしは俗物を自認するが、むしょうに美しいものや、心を刺す言葉を求めるときがある。やはり好きなものは色とかカタチ。しかし、四六時中それらのものに囲まれたら、飽きてくる凡人すなわち自分がいる。現実のほうが刺激的で面白い。そこに、人間たちが動いているから、そこに向かって歩くだろう。
この世には芸術家といわれる人々がいて、この世にはない美しいもの、色、形、ことば、ほかのものを作りつづけている。そのすべてではないが、心が動き、ときに静まってゆき、やがて深く感知されてゆくのがわかる。現実によりそいながら、あるとき思いつくように芸術家の魂、作品にふれること。そういう機会に恵まれることをのぞむ。
熊谷守一展のあとで、MOMAT美術展にも入館できた。そのほんの一部である。
▲パウル・クレー アール・ブリュットの先駆といわれるが、強靭な美だ。ベンヤミンさえも支えたほど。
▲舟越保武 桂の父親である。キリスト者、長崎の26聖人殉教者像の作者である。隣の彫刻家の作品の迫力が凄かったが、私にとっては舟越の静謐さがズシンと来る。
▲菅井汲 映画『悲しみよこんにちは』に、彼の個展が映ったほどフランスで人気だった。後年、デザイン画というかパターン化されたので、関心は薄れたが、この時代の作品は好きだ。
▲朝倉文夫『燈台守』 地元の彫塑館では撮影できない。いい機会だと思い撮った。
▲草間彌生 見てのとおり男根である。笑いがこみあげ、しばし見惚れ、考えさせる。反復のフェティシズムが世界を震わせた。彼女の苦節がどんなものか想像を超える。
▲建物をでると、世界がちょっと変わって見えてくる。心がなにか、色や形を探しはじめるから不思議だ。