このところアメリカ映画をよく見ている(※)。ハリウッドの大作ではなく地味な佳品、通好みの映画を探し、その予告編を鑑賞して自分なりの基準でgoodなら見る。(ただし、イーストウッド監督のものはよく観ている)
USAを一つの国として見る、それはもう無理だと気づいた。この齢になってそう思うのは、お恥ずかしい限り。何事も周回遅れの轍を踏む、我が人生といえる。ということで、アメリカのローカルな貧しい州、ある意味で分断の激しい州に、近頃なぜか俄然興味が湧いてきたのだ。家に籠りっきりだから、映画鑑賞できるというお気楽さもあることは否めない。
さてさて、表題のとおりジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』という映画(2017日本公開)。アメリカの北東部ニューイングランド地方、有名な独立13州のひとつニュージャージー州のパターソンという街が舞台だ。そこの市営バスのドライバーとして働く、30代半ばくらいのパターソンが主人公だ。
映画は、彼の眼差しを通して、身辺におこる一週間の様子を淡々と映し出す。基本的には変わり映えのしない日常だが、小さな起伏もある。いや、主人公にとって、青天の霹靂ともいえる出来事もあった。でも、彼はまったくブレないし、感情を表に出さない。
パターソンという言葉が耳にこびりつくのは、演出意図であろうか・・。最後の方に『パターソン』という名前の詩集が登場するが、ここでは詳しくはふれない。
主人公のパターソンを演じているのは、スコセッシの映画『沈黙』で強い存在感をしめしたアダム・ドライバー。ドライバーがドライバーを演じ、その主人公パターソンはパターソンに住んでいる(笑)。
パターソンは古い一軒家にローラという妻と暮らしている(彼女はヒスパニック移民の末裔か)。マーヴィンという犬のブルドッグも家族の一員だ。憎たらしい顔つきだが愛着がわく。この映画では後半、マーヴィンはもの凄いことを仕出かす。この件、黙秘。
▲とんでもない災難が仕事中に降りかかる? のように見えるが、電気系統のトラブルでエンストしただけだ。パターソンは子供から携帯電話を借りて、会社に代車を要求する。彼はPCやスマホを持たない珍しい人間だ。
「パターソン」には、19世紀に建てられた煉瓦づくり低層ビルディングが軒を並べ、まさに旧き良きニューイングランドの街なみを残す。どうしようもなくアメリカ的なノスタルジーを喚起させるこの街は、「詩人の街」ともいっていい。アレン・ギンズバーグはここの出身であり、前述した「パターソン」という詩を書いたウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、その他に出てきた詩人の名前は、定番のエミリー・ディキンソン、フランク・オハラ、ジョン・アッシュべリーなどがでてきた。ギンズバーグとディキンソン以外、名前さえ知らなかったアメリカ詩人だ。
映画自体から受ける印象は、詩人の朗読に耳をかたむける時の、あの最初の清冽なひとときが持続する、そんな感じである。全編を通して、ポエジーに触れている感覚に包まれる。こんな経験は初めてだ。
考えてみれば、主人公パターソンはバス・ドライバーであるけれど、毎日、詩を書いている詩人でもある。妻のローラにしても、草間彌生ふうのパタンーナルな円形や波形のデザインにこだわっていて、彼女の醸し出す雰囲気は詩人である。彼女のつくるカーテンやパンケーキにしても、一編の詩を感じさせるほど美しい。
最初から最後まで、いろんな人が登場してパターソンと関わるが、その会話、行為、関係性のいっさいが、英語の韻を踏むように語られ、一行の詩に還元されていくイメージがある。
オープニングは、朝の寝覚めのシーン。朝の6時ちょっと過ぎ。隣りに眠るローラに優しくキスし、ベッドを離れる。サイドのチェストにパターソンの下士官学校の記念写真とたぶん両親の写真が立てかけられている(パターソンはたぶん戦争に行っている。つらい経験もしたはずだ。この映画の時代設定は、実は判然としない。携帯電話とマッチが共存している)。
パターソンはインスタント風の朝食をとってから、職場に歩いて出かける。その間、彼の声らしいモノローグが流れる。落ち着いた男らしい声の、詩の朗読であることが分ってくる。
We have plenty of mathes in our house
We keep them always on hands
Currently our favorite brand is "Ohio Blue Tip"
Though we used to prefer Diamond bland.
That was before we discovered Ohio Blue Tip
They are excellently pakaged sturdy
little boxes with dark and light and white labels
with words lettered in the shape of a megaphone
as if to say even louder to the world
我が家にはたくさんのマッチがある
常に手元に置いている
目下お気に入りの銘柄は オハイオブルーチップ
でも以前はダイヤモンド印だった
それは見つける前のことだ オハイオ印のブルーチップを
素晴しいパッケージ 頑丈なつくりの小さな箱
ブルーの濃淡と白のラベル
言葉がメガホン型に書かれている
まるで世界に向かって叫んでいるように
(詩の後半は省略。映画の字幕をそのまま引用した(和訳一部変更)。ビデオ視聴すると一時停止できるのが嬉しい。)
監督のジム・R・ジャームッシュは2作目の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」でブレイクした。この映画もストーリー性は強くなく、詩的イメージにあふれる白黒映画だった。次の「ダウンバイロー」は一本筋が通った感じで、トム・ウェイツとジョン・ルーリーの二人の演技が凄い。次の「ミステリー・トレイン」はオムニバスで永瀬正敏と工藤夕貴が出演。それ以外に、小生はジャームッシュを観ていない。
「パターソン」に関して、ジャームッシュは「一編の詩としての会話の間の取り方や演出を楽しむ映画だ」という言葉を残しているようだ。本人がそういう狙いなのだから、観る方は自然とそのように鑑賞する。バスのなかの乗客(大人であれ子供であれ)の雑談、独り言さえも何故か詩のように受けとめてしまう。黒人が比較的に多いパターソン、彼らのRAPもビートに乗った詩だ。
最後の方に永瀬正敏が、日本の詩人役として登場。メリハリのあるネイティブな英語でびっくり。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集『パターソン』(和訳書)を携えている。画家や詩人をめぐる主人公とのやりとりが素晴らしい。そして、別れ際に永瀬は、ギフトだからと言って空白のノートを手渡す。主人公には、新たな希望の一冊であることは明白だ。
なお、「パターソン」における主人公の詩や途中で遭遇する少女の詩など、これらはすべてロン・パジェットRon Padgett (1942-現79歳)の詩である。翻訳されたものはない。即物的なまなざしで対象をみつけ、華美なレトリックを排して適確なフレーズを選ぶ。英語の勉強をかねて、読んでみようと思った。
▲驚いた、1日ほどして宅配された。アマゾンがやめられない理由1だ。『How Long』はピューリッツァー賞・詩部門の最終候補だったらしい。
(※)アマゾンプライムで放映されなければ、「パターソン」はまず観ていなかったと思う。アマゾンの経営にはいろいろ文句はあるが、メリットもあるのでつらい。
家から出よう。春はもう、すぐ目の前にあった。