小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

煙草に関する二、三の事柄

2017年04月01日 | 日記

 

先日、たばこと塩の博物館に行ってきたが、印象に残ったことが二つ、三つあった。忘れないうちに書いておくことにする。

まず、去年96歳で天寿を全うされた故林家永吉氏の寄贈品を偶然にも拝観できた。スペイン大使を務め、メキシコ文化の碩学でもあられた氏は、マヤの神話「ポポル・ヴフ」(※)を訳された。マヤの逸品に暫し見入り、故林家先生を偲ぶことができた。何かが導いてくれたと思いたい。

▲氏の翻訳は「コロンブス航海誌」が有名。芭蕉の「奥の細道」をオクタビオ・パスと共訳した!

煙草はアメリカ大陸の先住民たちが太古より喫煙されていたが、新大陸の発見以降にスペイン人から全世界へと伝えられた。その意味で世界史的には、喫煙という習慣は新しい文化だということができる。どういうわけか600年ほど経った今、煙草はアンチ健康の旗頭となっている。

かく云う私も吸わなくなって7,8年。未成年より嗜み一日40本ほど喫煙していたが、ある事を機にすっぱり止めた。今では誰かが遠慮なく煙草を吸っていると、むしょうに腹がたつ。その人に罪はないのだが、ニコチン臭と煙はもはや私にとって忌避する害毒になってしまった。

煙草はしかし、私のなかで別れた恋人のようなもの、全否定できるものでない。独特の匂いと、喉元を通り抜ける煙の感触は脳裏にある。夢に見ることはないまでも、あの馥郁とした香り。誘惑に負けないよう、無意識のうちに遠ざけている気もする。健康に害がなければ、こんな素晴らしいものはない。と、心のなかでは叫んでいる自分を誰が知ろうか。

愛煙家の人達がどんどん社会の片隅に追いやられている現状。しょうがないとはいえ、さみしいことだ。

▲煙草の葉を入れる、梟のポットが欲しくなった。似ているもの持っていたか・・。

▲レプリカだと思うが、その存在感に引き込まれる。インディオの歴史・文化はなぜか心うたれる。


あともう一つ、脳天チョップ級の衝撃があった。これも最近亡くなられたムッシュかまやつの名曲「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の、ゴロワーズというフランスの煙草のことである。以前にもこのブログに書いたことがあり、青いパッケージについてふれ、さらにヴィスコンティの映画「異邦人」にも話に及んだ(その逆だったか)。そのたぶん19歳ごろの記憶に基づいた話が、嘘っぱちなものだったという恥かしき告白になってしまう。

世界の煙草パッケージが収納された吊るし箱のようなものを見ていたら、フランス煙草もあった。なんとゴロワーズのそれは緑色”!だったのだ。私は映画でマストロヤンニが吸う紫煙のゆらぎにフェティッシュともいうべき色気を感じた。そして、その青い煙草のパッケージに強烈な印象をいだき、数日して銀座に買いに行ったのである。

▲ムルソーが吸っていたのはジタンかフランセか。ユーチューブの映画では判然としない。

あの青い包装紙の煙草は何だったのか。何をどう間違えてしまったのだろう。

生活はふだんのままに、家に帰ってからもそのことが頭から離れられない。博物館でのその写真を見ながら記憶の彼方を探ってみた。ネットでも検索した。なんとユーチューブに吹き替え版ながら「異邦人」があることも発見した! 

 そして自分なりの結果を見出した。印象に残ったムルソーの煙草を吸うシーンはあった。が、暗い部屋のなかを、ゆらゆらと煙の舞い上がってゆくシーンは、カットされていた。パッケージは紛れもなく青の煙草。

GAULOISESはこの手にした記憶がある。青いパッケージのフランス煙草を指定したが、実際には緑のゴロワーズしかなかったのだろうか・・。その記憶は40年以上たって曖昧となり、映画の印象と溶けあって青のゴロワーズになった。これはもう老いぼれた脳の印象操作というやつかしらん。

以上 他人様にはどうでもいい話。ご海容のほど願いたい。

 ▲幼少の頃の、父が好んでいた煙草のパッケージがあった。

 

煙草と同じ専売公社がらみということだろうか、塩の博物館も併設。こちらも見ごたえのある展示内容で、視聴覚ラボというやつも最新である。

▲ポーランドの世界遺産、ヴィエリチカ岩塩坑:聖ギンガ礼拝堂の聖像 

 

▲塩釜に薪をくべる人形が、現代アートのジョージ・シーガル風で驚く。

 

 (※)フランス語に翻訳したのは、J.M.G.ル・クレジオ

 


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