幕末に日本という私は、列強の西欧諸国に様々なモーションをかけられました。
犯されかけるといった感じです。
このままでは処女でいられない、と私は思いました。
もっと強い心と体にならねば、と下級武士にもはっぱをかけられました。
そんな混乱期にアメリカ様が突然闖入して、わたくし日本は犯されたのです。
強姦ではありませんでした。
かといって和姦でもありませんでした。
でも犯された。わたくしの心は深く深く傷ついたのです。
それ以来、体は欲望を知ってしまったのです。
私はそれから「アメリカの影」になり、お妾のような存在になりました。
ご主人の影にいて、生きていく色々な方法を模倣しました。
それから、力をつけ、主体性をももち始めたのです。
体も男のように逞しくなりました。
なおかつ私は自立しますと、ご主人に絶縁状をたたきつけ、
ご主人がしたように隣国を犯そうと不埒な行ないまでしました。
それがご主人の逆鱗にふれ、再び犯されてしまいました。
その犯し方は強姦以上のお振る舞いでした。
その「ピカドン」の結果、私は呆然自失となりました。
いや、極太の肉棒のような強さと、
デモクラティックな優しいコイタスに、
心のそこまでアメリカ様を欲望したのです。
欲望の奴隷となってからは、ご主人のいいなりです。
恥ずかしい政的体位もとらされますし、
金が不如意だからよこせと言われれば笑顔で渡します。
それが日本の生きる道で御座います。
でもそのご主人さまが近頃ご乱心です。
私利私欲をむきだしにし、傲慢さが目立つようになりました。
説明のつかない理不尽な行ないも数々と・・。
二度目のお妾ご奉公もいまや腑に落ちないことも御座います。
そんなおり内田樹という方の「街場のアメリカ論」を読みました。
アメリカ様は少なくとも170年前から基本的に進歩していないことが分かりました。
頭が進歩してないのですね。
体は最新なんですけどね。
だから歪や捩れが随所に出ているのでしょう。
岸田秀という方も同じようにご主人さまを分析していましたが、
内田様はそうですね、社会学プラス哲学的精神分析といった感じで、
そのクリアさは当代随一ではないかしらん。
様々な知見を結びつけ、練り上げ、まったく新たな知見へと昇華させていきます。
さしずめ日本のジジェクですね。
今回はアメリカさまのネガティブの面を多く取り上げてますけど、
私は内田様がアメリカ映画や音楽にとっても良い影響を受けていることを知っています。
そうなんです、内田様にしてもアメリカを欲望しているのです。
マリナーズにモイヤーという投手がいます。もう40歳を超えたロートルです。
投球する前に振り上げる足をちょっとステップするんです。
その動きが凄くセクシーなんです。
もちろんそれは私の勝手な思い込みで、打者のタイミングをずらせる絶妙な技なんでけどね。
日本人には真似のできないのは、その投球フォームですね。
変化球もストレートもまったく同じ。
普通ちがう球種を投げるときは微妙な差異がでますけど、
モイヤー様は完璧に同じタイミングとフォームで投げます。
彼の身体性はいわゆるアメリカナイズされたエクササイズやワークアウトで生れたものではなく、
むしろ武道のような身体性を精進させたものだと私は思います。
つまりあの投球に「コヒーレンス感覚」を私は感じます。
アメリカにもそういう人物が現れはじめている。
一部にはステロイドなどを使って「身体を道具として考える」スポーツ人もいますが、
モイヤーのような人もでてきた。
アメリカのスポーツはまだ捨てたもんじゃないですね。
トクヴィルの時代には、まだアメリカにはスポーツがなかった。
いま、アメリカ生れのスポーツがたくさんあります。
それに打ち興じる若者達は多分に幼児性を残していますが、
その純真さと身体性に磨きをかけていく様は、
かつての日本の若い侍のような求道性を感じさせます。
サーフィン各種、モトクロス、スケートボードなどの選手には特にそれを感じます。
また、こういうスポーツの観客にはしごく健全なひとが多い気がします。
ま、いろいろな見方ができますけど・・。
このブログで私はアンチアメリカを随所に展開していますが、
どうも体はいまだにアメリカを欲望しているんですね。
自立というのは、たとえば「親からの自立」といったように、
「・・からの」という前置詞があります。
アメリカからの自立はいまや国際関係上ほとんど想定できない段階にまできています。
それよりも「個の確立」でしょう。日本という個をどのように立たせるか・・。
◆今回は「街場のアメリカ論」に触発されて、まったく意外な文体で書くことになった。
むろんふざけたつもりは毛頭もない。