小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

マーケティングの力量

2005年10月13日 | 本と雑誌

 三浦展の「下流社会」を読んだ。
 一ヶ月ほど前に新刊書コーナーで立ち読みした。これからは日本人多くは中流意識よりも下流意識が浸透し、意欲のない閉鎖系の人間が増えるのか・・などと勝手に思っていた。
 この本が2,3日で店頭から消えた。他の本屋にもなかった。立ち読みができない。ベストセラーは立ち読がいちばんである。大きな書店なら置いてあるのだろうが、私が普段立ち寄るような書店には3週間ほど見かけなかった。
 新手のセールス戦略かもしれない。
 それが2,3日前、駅前の小さな書店に1冊だけあって、それが何か念願の一冊のような気がしてつい買ってしまった。データとか表がたくさんある本は苦手なのに、なぜ買ってしまったのか。
 たぶん、それは帯のコピーが気になっていたからだ。
「だらだらしてたら、あなたは下流」
私は何もしないでだらだらするのが最高の贅沢だと思う人間である。私の前世はフクロウだが、来世はナメクジに生まれ変わりたいと思っている。

 さて、この「下流社会」だが、著者の三浦展という人は「アクロス」の編集長だった人だ。私もこの業界とは縁のある方だから「アクロス」は読んだことがある。マーケティングリサーチを駆使した、なかなか読み応えのある市場動向、消費行動、嗜好調査などを特集する雑誌だ。
 とはいえ、私はだいたいがこの手のデータは斜めに見てしまう方だ。この本でも階層の設定は所得格差をメインにしているが、それは年収であり可処分所得ではない。
 アンケート対象者は無作為サンプリングだろうが、年収700万円でもローンの支払に年間300万円払う人と、代々親の家に住む人では同じ年収でも生活ぶりは大きく異なるだろう。どうも私はマーケティングリサーチというものが気に入らない。型どおりの質問をぶつけ、データ作りに必要な項目を書いてもらうだけの調査が多いのではないか。こんなものが科学的データとして罷り通っているとしたら、これを元にいくらでもヒット商品が開発できてしまうではないか。しかしバブルが弾けてから、マーケティングはさらに強力に機能しているらしい。外資系コンサル企業が隆盛し1000万以上を稼ぐ20代の若者がごろごろいる。日常的に英語を話しているし、夜は大学院で勉強する意欲的な人が多い。それでいて休みは多く、長期休暇は海外だ。さしずめ彼らが「上流」の入門生といったところか・・。
 彼らは「下流社会」を読まないだろう。読むとしたギャグのネタ仕込みのためぐらいだろう。推測するに読んでいる人の多くは、将来は不安だが自分はまあまあ中流だろうと思っているいる人が読むに違いない。だから本が売れるのだ。

「あんたは今日から下流だ」と言われても私は驚かないが、この本で驚いたことはある。
 あとがきの最後の方に
そもそも本書で紹介した私のアンケート調査は、サンプル数が少なく、統計学的有意性に乏しいことは認めざるを得ない。したがって、見出しに「?」が多いように、本書に書かれていることの多くは仮説である」と書かれてある。
 冗談かよと思わないでもない。でも私は万事に意欲的ではないので、この程度では切れない。マーケティングのプロがこの程度なら、日本はまだ簡単に読み切れるはずがない。
 日本は歴史も文化も複雑でディープなのだ。政治・経済がアメリカ偏重だから、底の浅いマーケティングにしてやられているように見えるのだと思う。



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