今日久しぶりにジムにいき、ランニングマシンを傾斜10度ぐらいにして時速6キロで歩いた。(最初、この記事を書いたとき30度としたが、ありえないと思った。冷静に考えた結果、せいぜい10度の傾斜であろう。自戒のためにここに記す)
汗をかきたかった。馬の汗を想像したからだ。
その理由とは・・。
今週のはじめ愛宕神社に行ったのだが、参拝への階段がとんでもない急こう配で驚いた。「ぶらタモリ」でも紹介されていたが、その階段を馬とともに駆け上る行事があったという。途中で力尽き、転げ落ちて命をおとすことも多々あったという階段である。わたしは情けないことだが登りはエレベータをつかった。高低差は30メートルぐらいか。
こんな急階段を登らされた馬はなにを思っていたのだろうか? 主人への純粋な忠誠心だけだったか? 死への恐怖はおぼえなかったのか。必死の形相で登る馬、そして人間をつい想像してしまう。 馬のはげしい息づかいも静かな神社の杜のなかで響き渡っただろう。馬のからだにしても、皮膚からふつふつと沁みだすように汗が湧きだして、きらきらと反射して輝くように見えたにちがいない。
そんなふうに想像したことが心の片隅というかひっかかっていて、汗をかく自分をおもい描いた。だが最近、体をうごかしても汗をかかない。きつめの運動をしてもダメだ。老いて、新陳代謝のメカニズムが知らない間に変容したのであろう。
話はとびますが、80年代ごろにはR&Bをよくきいていて、来日アーティストのライブによく行った。
チャカ・カーン、デルズ、ウーマック、フレディ・マクレガー(レゲイ)・・。
みんな凄い汗をかいていた。全身で歌い、ハートを震わせていた。
なかでもジム・コットンのライブは忘れられないし(たぶん渋谷のライブイン)、握手したとき彼の汗が僕の手からもしたたり落ちた。汗というよりも半端ない水分量だった。
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YouTube: James Cotton - Slow Blues (Blues in My Sleep)
青春時代の思い出、ピットインのエルビン・ジョンーズ(もっと汗かきだった)のことはいつか書くぞ。
春に筑波山に登った。夏にむけてもう一つ上の百名山に挑むために心とからだを鍛える。