ひさしぶりに朝7時前に起きて、新聞をとりに行った。降りやまない雨は、強くも弱くもなかった。冷たい雨が頬をぬらしたが、メダカの様子を見ようとしたときに・・。向かいの住宅の階段から、レインコートを着た若い女性が降りてきた。こんな背の高い女の子はいたかな。女性は無表情に近い会釈をして、すかさず「おはようございます」と挨拶した。私も「おはようございます」と返して、彼女の歩いていく後姿をながめた。気をつけて行ってらっしゃいと、心のなかでつぶやいた。エナメルのブーツのような靴を履いていたから、階段を下りてくる音に気づかなかったのだなと思った。
向かいの家は2,3階がアパートで、若い人たちが住んでいる。深夜になって、鉄製の階段から靴音がたまに聞こえてきた。その妙に響く靴音に、わかい時のことが懐かしく蘇ってくることがあった。
メダカは大小ふたつの古い火鉢で飼っている。その、小さい方は、最近引っ越したお向かいの女主人から引き継いだものだ。連夜の雨で火鉢の水はあふれんばかりになっていた。用済みのティーポットで水をかき出した。以前、火鉢を傾けて水を流したら、中くらいのメダカが一緒に流れ出てしまった。その前には、大きなメダカが外に飛び出たらしく、地面の上で死んでいるのを見た。だから、面倒でも用心深く、メダカが知らないままポットに紛れ込まないようにして、水を何回も汲みあげ捨てている。
雨空を見あげていると、いつか心の中のバケツに雨水が溜まってくるようだ、とある詩人は書いていた。そして、こんな文を続けて書き残していた。そのメモ書きをやっと、ここに記すことができる。
むかし、ギリシャの哲人はいったっけ。<魂はね・・バケツ一杯の雨水によく似ているんだ>
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