西村賢太氏の作品の魅力はその人生の公理といおうか虚構といおうか、人々が実は密かに心得、怯え、予期もしている人生の底辺を開けっぴろげに開いて曝けだし、そこで呻吟しながらも実はしたたかに生きている人間を自分になぞらえて描いている。それこそが彼の作品のえもいえぬ力であり魅力なのだ。私小説は日本独特の領域ともいわれるが、私はそうは思わない。優れた作家は誰しもがどの作品の中でも己の一部を吐露している。要は居直り正面きってそれをするかしないか、あられもなさの度合いであって、それを欠いた作品は心身性を感じさせずに芸術の資格を得ない。(『苦役列車』西村賢太 新潮文庫・解説 石原慎太郎)
解説を書いた石原慎太郎は、今月2月1日にすい臓がんのため逝去した、享年89歳。西村賢太は、芥川賞作家石原慎太郎の強力な推薦もあり、『苦役列車』で同賞を受賞した。西村は故石原の追悼文を書き(同日?)、外出した際タクシー乗車中に意識を失い、病院に搬送されるも心肺停止。2月5日に逝去した。享年54歳だった。こう書くと、西村が石原の後を追ったかのようだが、それは偶然であろう。本当のところは分からない。取りも直さず、二人のご冥福をお祈りしたい。
西村賢太が芥川賞を受賞したときの会見、「受賞できなかったら、風俗でも行こうかなと・・」という発言に驚き、この人の心の強さというか、文学を志ざしてきた来し方に関心を抱いた。その時点で既に文庫本になっている本を買い求めた記憶がある(確か角川文庫で、文庫になるほど著名作家だった西村賢太)。
だいぶん若いのに、大正・昭和に精彩を放った私小説作家たちの文体・レトリック、さらに貧乏を至上とする生活信条や破滅的な志向癖も濃密に受け継いでいる。そうした方法を現代に変換した西村賢太は、ある意味で天才であり、凄い努力家であると認めざるを得ない。それほどに熟達し、作家として力量があった。
日常的な情景は、しっかりと現前している。西村賢太その人らしい「貫太」という主人公、彼の感性は時代錯誤的で、圧倒的に面白い。気が弱いつまり小心者を自覚し、だが人を威圧するような体格、そのアンバランスな心理。時として傍若無人な振る舞いは、中卒という学歴コンプレックスをもつ暗い自我と、四六時中闘っている精神の図がみえる。
そしてそこには、父が強盗強姦事件で逮捕されたことで、一家離散となった暗い過去が横たわっている。その父親の呪われた遺伝子、自らも暴力事件を犯し2回逮捕された過去。その事実を西村賢太は多くの作品で言及し、原点としての在りのままの自我をさらけ出す。
そういう自分を気に入り、私小説作家の端くれとしての矜持さえもっている。なぜなら藤澤清造という忘れ去られた作家に着目し、全集の編纂・出版まで画策し、さらに清造の菩提の墓守までも務めるという顔をもつからだ。東京神保町では、「私小説」の作家、書籍等に精通し、古書や書簡を売買するバイヤーの顔もある。
作家としての顔はどうなのか・・。作品にはいくつかの系統があり、そのうちのーつに「秋恵もの」と呼ばれる一連の作品がある。彼女と同棲した実体験を主題にし、都心からはずれた賃貸マンションで倹しく暮らす男女を私小説として書いたものだ。ここでの貫太は、虫の居所がわるいと突然に切れるDV男になる。男尊女卑を臆面もなくひけらかす、明治・大正の私小説作家のようだ。葛西善三、嘉村磯太、田中英光、藤澤清造・・(太宰治は嫌いだったようだ)。
もちろん作家たちは途方に暮れ、女に詫びを入れ、自分の非を認める。承認を得られなければ、土下座をし、涙を流しながら懇願する。これらの一連のパターンをなぞらえて、嘘偽りなく、人間性・生き様を丹念に綿密に書く。誰にも思いつかない、新たな文章表現として練り上げ、彫琢し、纏めあげる。これが私小説作家のセオリーであり、西村自身もその系譜の末席に連ねていると密かに自画自賛している。
小生は、私小説作家を嫌いではない。志賀直哉、梶井基次郎も私小説を書いたし、視点を変えれば漱石、鴎外さえも私小説を書いている。吉村昭も然りだ。
車谷長吉に続く現代の私小説作家としてデビューした西村賢太。冒頭に書いたように、彼の受賞会見の弁に興趣を覚え、小生は文庫本の新刊を買い求めた。男中心社会の弊害が鋭く指摘され、性差別やDV問題がクローズアップされつつある時代であった。
西村賢太という作家は、そうした風潮のなかで萎縮した男たちのガス抜きように読まれたふしがある。正直に言えば、小生も同じ穴の貉だったのか・・。
しかしながら如何せん、「貫太」の彼女へのDV、恫喝などのパワーハラスメントなどをくり返し読まされると辟易する。いや、しだいに後ろめたく、疚しい感情さえも覚えてくる。というわけで、西村賢太の私小説は、3,4年ほどであまり読まなくなった。流行作家となり、テレビにもちょくちょく顔を出していた。年収450万円(貧乏というわりには高所得?)が五千万円になったとも伝え聞く。女性が西村賢太どう読むか知らないが、彼のキャラクターを好む女性も結構いたらしく、付き合った方も何人かいたという。
それらの噂は最近になって知ったことで、石原慎太郎が芥川賞に推挙したことや、二人の対談を観たのは数日前である。我が家に『苦役列車』と『一小説書きの弁』の文庫本が残っていたのは、実は読んでいなかったからだ。両方とも新潮文庫だが、『苦役列車』は文庫としては4冊目になる。『暗渠の宿』と『廃疾かかえて』は読んでいる。
さて、石原慎太郎については、作家としての著書は、小生恥ずかしながら、ほとんど読んでいない。ただ、西村との共通点、感性などの相違点、また政治家としての石原について書いてみたいことがある。この記事も長文になりつつあるので、この稿はいったん筆をおき、次回に書き記すことにした。ご海容のほど願いたい。
石原慎太郎☓西村賢太【クロストーク】
西村賢太の作品は受賞以前に2回ほど候補になった。そのいずれもを石原慎太郎は推挙していた。
追記:購読している新聞の読者投稿欄に「西村作品救いだった」と題し、故西村賢太と同世代の女性が投稿していた。女性ファンが多いとは知っていたが、この方の西村作品への万感たる思い、そして、敬意と哀惜に満ちた文章はたいへん心に響くものがあった。小生の記事は、故西村氏のネガティブな面を強調した向きもあったので、その方の文章の一部を紹介したい。投稿記事であり、了承は得てはいないが、西村作品の愛読者としてお許しいただけるものと、勝手ながら追加記事としてここに転載する。(2022・2・16)
(前略)卑屈で嫉妬深く、我欲が強い。ぐうたらな主人公の情けなさを、容赦なくこれでもかと描いた。私は苦い笑いに誘われながらも、西村ワールドにどっぷりと浸り、読後は爽快感で満たされた。幸福な読者体験が存分にできた。今の日本は転落すればはい上がるのが困難な社会だ。底辺から作家としての地位を築き上げた西村さんの存在は、救いともいえる。西村さんさんが「翁」と呼ばれるような年齢になるまで、作品を読み続けたかった。とても寂しく、残念だ。 (東京都新宿区 Y・T 自営業55)