米軍基地の辺野古への移設にともなう「埋め立て承認の問題」について、考えにも及ばない驚くべき事実がわかった。私が知らないということは、日本人の多くの人たちも知らないということであろうし、事の次第、その是非もたぶん認識されていないだろう。
結論からいえば、司法の最高機関とされる最高裁は、今月20日に翁長沖縄県知事に対して敗訴の決定を下した。しかし、さかのぼること一週間前の12日に、最高裁は紙切れ一枚の裁定結果のみを公表していた。その公表の事実関係を記事にしたのは沖縄の新聞社一社のみ。内容は翁長氏側の論拠である憲法判断にまったく関知しないもので、「埋め立ての承認」の合理性を是と示すだけであった。
最高裁の判事たちはいかなる理由からか、国側の方針に絶対なる信をおき、その勝訴結果を見すえて導きだした「逆算の論理」を使ったとしか考えられない、と木村たちは嘆息した。
ともかく翁長氏側の論点である憲法92条との関連にふれることなく、仲井真前知事の埋め立て承認が合理的であることの判断を示しただけだったのだ。これにより、違法か、違法でないかという訴状に沿った核心的審議を、最高裁は意図して避けたとみなされても当然である。法治国家にあるまじき前代未聞のレトリックを使って、辺野古の海の一部を埋め立てることを「法の力」で推進させたのだ。
日本の司法がもはや機能しないばかりか、思考停止の状態に陥ったことを露呈したと言わざるをえない。関わった判事たちは、誰にも、どこにも阿(おも)ねる必要ない方ばかりである。純粋に日本国憲法と照らしあわせ、その存在意義を示すことができる立場の方たちだ。何故だ・・。
これらの一連の成り行きは、いつもながらの「ビデオニュース」というネット上の番組をみて知ったのである。
主として気鋭の憲法学者木村草太が解説し、例によって神保・宮台のレギュラー陣が論議を深めるもの。番組ではこれまでの大筋の流れを踏まえつつ、仲井真前沖縄知事が独断で決定した「埋め立て承認」を、翁長現知事がその「承認」を取り消すという同一行政内の訴訟だ。その法的手続きを巡って、最高裁はなんと、翁長氏側の法的根拠の妥当性さえも全く関与せずに、前知事の「埋め立て承認」を是認した形をとった。
http://www.videonews.com/marugeki-talk/820/
▲ビデオニュース プレビュー版(ごく一部)
私は素人であるから意見・注釈を加えるつもりはない。しかし、彼らの話しをきいて政府がいかに沖縄を差別していること。米軍基地の依存を70%も押し付けていることに、日本政府は何の痛痒を感じていないことを肝に銘じた。
さらに、木村草太氏はふれることはなかったが、日本国憲法というものは、日米安保条約および日米地位協定つまり条約や協定よりも、遥かに法的実効力を欠き、劣位にあること、その隠された圧倒的な事実をわたし自身はとことん刷り込まされた。
日本および日本人は、アメリカ合衆国に対して主権、いや個人の尊厳さえも主張することはできない。事実上、アメリカは日本を支配し、日本人を法の概念さえも理解できない「土人」としてみなしている。その冷徹な事実を、日本の政治家、行政人はじめ知識人らは深く認識しているにもかかわらず、一人ひとりが高度な政治的判断(?)に基づき無作為を決め込んでいる。(注1)
日本が平和であり続けることの超法規的な判断は、戦後70余年にわたる無作為によって、アメリカに従属することを無意識に身体化したのである。
寄らば大樹の陰、お上にはもの申せず。日本人のこの無責任感覚は何処からきているかわからない。この主体性の欠如は、結果的におおきな恩恵を日本にもたらした。と、体制派の多くの方が思い込んでいて、その事実結果を覆すものは見当たらない。今のところ、この方針を変えようとする動きはないし、次世代の子々孫々に継承していこうとしている。
仮にアメリカ合衆国と、どこぞの大国が交戦状態に入ったと仮定しよう。
その大国はまず、前線基地というべき沖縄を攻撃し、同時に本土の米軍基地を標的にする。それは戦略的な集中攻撃なのか、核攻撃による破壊攻撃なのか分からない。アメリカ及び対戦する仮想敵・大国はともに消耗し、戦争終結への落としどころを模索するだろう。もしアメリカが勝利の見込みが薄いと判断するなら、日本を犠牲にしても自国にとっての最適解を選択するであろう。
それが平和への道筋、条件提示であるならば、日本がクリミアのように領土化されても、国際政治の力学では看過される可能性が高い。国際法において、いかなる戦争も禁止されているが、戦争状態はどこにでも発生している。また、戦争後における、当事国の領土、財産などの占有について、その正否・審判が問われることはない。アルゼンチンと英国の例がすぐに思いつく。
最悪の事態を想定すること。想像すること、表現することの自由を、誰もが侵害することはできない。
追記:翁長知事は今日、埋め立て承認を取り消した自らの処分撤回の手続きをするようだ。敗訴が決定したことで、埋め立て工事はさっそく再開される。それを受けて、翁長知事は、知事権限使った実務的な工事阻止の闘争に切り替えたのであろう。もはや司法に頼るべく「信 」はこの国にはないと判断したのであろうか。日本は崩れている。
(注1)1959年の砂川事件の上告審判決は、日米安全保障にかかわる高度な政治問題は判断しないという「統治行為論」を採用した。このことで日本憲法は事実上骨抜きになったことを、司法自らが認めたということだ。約60年前の判決によって、いまだに自縄自縛になっている司法。目を覚ます、自立する途はあるのだろうか。矢部宏治の本をすすめたい。