秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

天女花(OOYAMARENGE)  SANE著

2007年06月02日 | Weblog
第十五章
回想夜明け前
激しい風が、木造建てのアパートの壁を、少し揺らす。江美は目を覚ました。豆電球の明かりが僅かに揺れている。視界の中に、映ったものが、暫く曖昧になる。健二が居る。壁にもたれて、江美を見て小さく頷いて微笑んでいる。江美は、さっきまでの記憶を整理する。雨音が、激しい。「江美、少しは楽になった?」聞き慣れた健二の声が、動悸のように、胸いっぱいに広がっていく。「うん、頭少し痛いけど大丈夫」江美が、小さな声で答える。壁の時計が、12時を少しまわっている。「今、台風の中心淡路島だって」健二がテレビをチラッ見て、小声で言う。「私、すごく迷惑かけちゃった。あのままだったら、倒れてたかも知れないね。ゴメンナサイ」江美は、額にあてられた冷たいタオルを右手でそっと床に移した。「江美のごめんなさいは、百回聞いたから、もういいよ。それより、江美のマユゲ、繋がってるよ。たまには手入れしたら?」健二が江美の頭の上で、人差し指を走らせながら、小さく笑う。「こんな時に言わないでよー」江美は、布団の中に顔をもぐらせる。「江美、テレビ観てごらん」布団を指でつつきながら、健二の声が、はしゃいでいる。「さっきから台風情報の合間に、日本の秘境って番組適当に流れてるんだ、今から四国がでるよ」健二の声に、江美は布団の中からブラウン管を覗く。クラシックのメロディに乗せて、江美にも見覚えのある風景が、映しだされる。「あっ、ここバス遠足で高校の時に行ったよ」江美が布団の中から右手を出して、健二の腕を思わず掴む。健二は江美のその手を右手でそっとつつんで、じっとブラウン管をみつめてる。ゆっくりと揺れるかずら橋が、画面に映っている。健二は、暫く黙っていた。「健二さん、行ったことない?市内から近いでしょう?」健二は、チラッと江美を見て、声のトーンをさげて、小声で言う。「健二さんは、もういいよ。健二ってなんで呼び捨てにできないかなあー江美は、ホントに優等生だなあ。」「だって、付き合ってないもん」江美が、少し拗ねてみせた。繋いだ指を、健二は強く握りなおして、ぽつんと言った。「江美、祖谷って、知ってるか」「イヤ」「うん、江美のイントネーションおかしいよ。イヤーじゃなくて、普通に祖谷って言ってごらん」「健二さんは知ってるの。イヤのこと」江美は、健二の横顔をみつめる。「生まれたんだよ。ここで、かずら橋のずーと先の、山のてっぺんで」健二はまた小さく肩を上げる。「健二さんは、市内で生まれたんでしょう。仏壇店の家出した一人息子、イヤで生まれたって、テレビに、調子合わせて、からかわないでよ」江美は、指で髪の毛を少しずつといていく。「里の江」ぽつんと健二が言葉を放つ。「江美の江とおんなじ、里の江で生まれたんだ。」健二のこんなに真剣な眼差しを見たことが前に一度だけあったことを、江美は思いだしたていた。公園でみた外灯の満月の記憶が、甦る。江美はゆっくりと身体を起こす。江美の肩に、さりげなく健二は、バスタオルをかける。「江美、連なる山って、見たことあるか、山が自分の目の前で、動かないんだよ。緑の匂いが、一面に拡がるんだ。谷間から、風が空に向かってまっすぐに吹いてくるんだ」江美は、黙って健二の話しに頷いている。台風は、通り過ぎていた。少しの沈黙が二人を包む。テレビは、台風の針路予想を、無音で流している。健二はまた小さな声で、ぽつんと言った。「雲上寺」「ウンジョウジ」江美が聞きなおす。健二は、壁にもたれたまま、自分の横に江美を手招きしてそっと手をとる。「江美、一緒に帰ろう」健二の澄んだ瞳が、江美をまっすぐに見つめた。「山の中で、ゆっくり歳をとっていくんだ、江美は、クシャクシャ頭のおばあさん、俺は、歳をとらない山の達人」健二は顔をまた傾けて、江美の頭を撫でて、クスッと笑う。「ズルイよ。自分もお爺さんにならなくちゃー」江美は健二の腕を、引っ張る。窓の外は、ゆっくりと淡いオレンジ色が拡がっている。「俺は、お爺さんには絶対ならないよ、江美のこと、ずっと守っていきたいから」健二は、江美を静かに抱き寄せた。夜明け前、二人は初めて、互いの体を確かめあった。