高野山金剛峯寺を開いた真言宗祖 弘法大師。
804年―31歳の時、中国に渡った。
834年―空海は、『吾れ永く山に帰らん』
と弟子たちに告げ、翌年高野山で入寂(62歳)遺骸は荼毘に付されたが
空海は定(深い瞑想)に入って今も高野山に在るという。
空海の密教は、護国の修法を旨としながら、即身成仏という独自の内容をもつ。
それは人間と仏は、合一しうるという、確信のもとに生まれた思想であり
その後の日本仏教の底流となった。人は誰でも仏に成るという考え方の大きな原点が
空海の即身成仏の思想なのである。
注※日本の宗教の偉い人の書いた本より そのままパクル。あしからず。
始まった若葉のキャンパスに水彩画の桜色。
春の高知に続く国道は、まさに春爛漫。
桜 さくらっ サクラ~!!!
優しく 強く 柔らかく健気に さらりと 美しく~
※ワタシの事では ありません。桜の話っ。
そんな 高知に住む従姉妹とヴヴヴ星人の…あれからの、それからのお話。
七歳のひ孫は、『ひい祖母ちゃん』
の部屋に置かれた仏壇に、テンションマックスで、くいついておりました。
誰が 教えた訳でもないのに、頂いたお菓子を、1番最初に、お仏壇にお供えし
チーンと鈴を鳴らし、何か唱えながら、手を合わせる。
男の子なのに、こいつは、気の利かない大人よりも、超気の付く子供です。
こういう、子供は、将来的に苦労します。
…が、多分回りの人からも、大切にされます。
苦労はしても、生活には困らない程度の人生を、送ると思います。
お友達の数が、お金の数を 多分越えると思います。
※ワタシの話ではないよ。あしからず。
婆ちゃんのお部屋に、新しく置かれた、ベット。
そして お仏壇。
こたつ。テレビ。
輪ゴムで、縛っている、食べかけの豆菓子。
婆さんは、枕に頭を乗せ、こたつで仰向けに寝そべっていた。
頭の方向、斜め頭上には、タンスの上に、ミニ仏壇。
豪華なお供えが、祭られている。
ミニ仏壇の中には、祖谷の家から引っ越ししてきた、お大師様もご一緒。
…ワタシ本日高知!
引っ越しした、お位牌に、とりあえず、ご挨拶。
お線香 三本。
鈴 三回。
手を合わせる
『高知で、オバヤンのこと、みんなの事、見守ってね…』
そして 読者の皆様、
情景がピンとこないでしょうから、自分の部屋で、やってみてくださいませ。
仰向けに、寝そべったまま、後ろ斜め頭上を無理に見ようとしたら、その無理な体勢は
〈首のイナバウアー〉
婆さんは
首のイナバウアーをしながら、
ワタシに言った。
『なんぞ…?』
「仏壇に手を合わしたんよ」
『…ふぅん…』
婆さんは首の、
イナバウアーをしながら、
仏壇を見た時のお顔と、
ベランダに止まった鳩を見るお顔は、
全く 同じで ありんした。
婆さんは
仏様の為に祖谷に帰りたかったのではなく、祖谷に帰る理由の「口実」として
ご先祖様を、『おとり』にしたのでありんした。
ひ孫が、従姉妹に言いました
『婆ちゃん、全然拝まんね~』
……
……
『それは人間と仏は、合一しうるという、確信のもとに生まれた思想であり…』
その高尚な思想は
0型の婆さんには
何一つ 適応されなかった
吾れ永く山に帰らん
ヴヴヴ永く祖谷に帰らん
真言宗の皆さん
どうぞ、皆さんご一緒に
『南無大師遍照金剛』チーン~ふぅん…
合 掌