Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

3月送別会ラッシュ!

2008-03-09 | 友達
3月は毎年いつも送別会が続くので、一時帰国の準備をしながら、母たちは忙しい。そう、自分を忙しくでもしてないと、大事な友達を失うという悲しさで、胸がつぶれてしまう。

去年は、前の投稿でも書いたように、上の息子のクラスが小学校卒業ということで、クラスの半数の人々が去っていった。送別品と手紙をいろんな人に渡しながら、自分もみんなと日本に一時帰国することで、みんなを見送るのを避けた。

去っていく人たちは、日本に帰国することで必死で余裕なく、そして日本での生活の立ち上げで、さびしいなんていってられないほど忙しい日々だが、残される人々は、いつも呆然としたさびしさに包まれる。みんな「残されるほうがつらいね。」とつくづく言う。

今月は、1日に有名フレンチレストランのラ・ティティ・デ・パリスで、会社の婦人会のメンバー2人を3人で送別ランチをする。そのうちの1人は、うちが6年前に駐在に来たときから、知っている方なので、普段そんなに付き合いがなくても、さびしい。もう1人の方も、家族でお付き合いしたことがあるので、見送りはつらい!

おとといは、下の子のクラスの上田さんの送別会。私は大学のクラスがあって行けなかったが、かなりの数の方が出席されて、みんなブラジルレストランで舌鼓を打ったとか。残念!大阪に帰国されるというから、「主人の実家が大阪なので、きっとまた会えるだろう。」とほっとする。上田さんは、最近になって、とても正義感の溢れるガッツのある人だということがわかった。チャッキーチーズで、片言の英語で、お店の人が間違っていることを必死に主張する姿に私はいたく打たれた。「もっと上田さんのことを知りたかったなあ、」と今になって思う。ケーキ作りもプロ並みの腕前であるから、クラスで貴重な方がいなくなる。

昨日は、上の子のクラスの吉田さんの送別会が、アーリントンのイタリアンレストラン、「フランチェスカ」であった。吉田さんとは、3年間子供同士が同じクラスで、とても親しくさせてもらった。いつもクラスの縁の下の力持ち的存在で、なくてはならない人だったので、みんなも吉田さんに対する思い入れは深い!おいしいものでも食べて、気を紛らわせないとやってられない、って感じ。フランチェスカの個室を時田さんが手配してくれて、とてもいい雰囲気の中、イタリアンをぱくついた。最後に、みんなで可愛らしい小柄の吉田さんを囲んで、記念写真を撮った。

「優しい雰囲気の吉田さんがいなくなってしまうので、すごく寂しい気持ちです。
Kuniさんも私も、何人の人を見送っているのでしょう・・・
この季節は、本当に辛いですね。」と1人の方がメールに書いてきた。私もまったく同じ気持ちだ。来年は、見送るのか、はたまた自分が見送られるのか。

親友べスが今年初訪問

2008-01-19 | 友達
今日は、久し振りにアメリカ人の親友べスが来た。べスは、グレースレイクに住んでいて、レイク・カウンティ・コミュニティ・カレッジのESLの教師とピアノの先生を掛け持ちしている。

水彩画を描いて、自分の絵をセンスよく飾ったり、教会で自分のピアノの腕前を披露したりと、生活の中にさりげなく自分自身の中のアーティスティックな部分を表現できる人だ。

性格は、普段はとても穏やかで、冷静、聡明な大人の女性。でも、ちょっとしたことに感動すると、突然子供のような反応をするのが、見ていてとてもかわいい。

自分の信念を強くもっている人だけど、人の話もじっくり聞いてくれるタイプ。というわけで、私にとって一番自分がさらけだせる人だ。

私の長くなってきた駐在生活もべスがいてくれるという精神的な心のささえで、今までなんとか乗り切れたような気がする。シカゴの日本人の友達は、駐在員の奥さんが多いので、みんな親しくなると帰国してしまう。しかし、べスは、こちらにずっといる。

1992年、シカゴに通信社の転勤で初めて住んだ時に、べスと知り合ったのだが、もう通算するとかれこれ16年の付き合い。私が日本に帰国した後、1994年の夏、べスは日本に来てくれた。べスと知り合った当時のことなども、またこのブログに書くつもりだ。

べス、いつもいつもありがとうね!でも、このブログは、べスには読めないんだよね、日本語だから。