Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

日本人ソフトボールチーム、MJのキッズ・ベースボールクリニック

2008-08-31 | 日本人ソフトボールチームMJ・SJ
快晴のレイバーディウイークエンドの初日、日本人ソフトボールチーム、マリンジェッツ(通称MJ)のキッズ・ベースボールクリニックがウイーリングのホライズン・フィールドで行われ、異年齢の子供たちが大喜びで大人たちと野球を楽しんだ。

下は小学1年生から上は高校生まで、12人ほどのさまざまな野球少年たちが各地から集まり、MJのメンバーたちの指示に一生懸命従い、2時から始まったクリニックは、夕方6時過ぎまで熱心に行われた。

今回のクリニックは、MJキャプテンの駒谷さんの発案。「秋は子供たちが野球をする場がアメリカでは少ないので、せっかくのシカゴのいい季節にもったいない」というわけで、MJの大人たちが始動。主人も含めた5、6人で指導にあたった。

まずは、体をほぐすウオーミングアップから。駒谷さんが、先頭に立って、ランニング。小学1年生、2年生、3年生、5年生、6年生、中学生、そして高校生と続くと盛観だ。




まず近い年齢同志でキャッチボール


バッティング練習 ピッチャー駒谷さん、バッター息子リオ君、駒谷さんは子供たちが打ちやすい球を黙々と投げる


全員混じってのフィールディングの練習


ダブルプレーの練習 高校生のヨシアキ君とうちの中2の上の息子がお手本を見せる


右がMJキャプテン駒谷さん、抜群の運動神経でMJのセンターを守る、左がMJキャッチャー、主人、まさにMJの縁の下の力持ち


MJメンバー天野さんとタクト君 師弟関係の二人


天野さんと息子トウマ君の対決(バッティング練習)


MJメンバー宝蔵寺さん指導によるベースランニング練習、駒谷さんの息子リク君、小学1年生と一番小さいながら、みんなに必死でついていく頑張り屋


いよいよ大人と子供が織り交じっての試合、一番小さい1年生のリク君と2年生のトモキ君のじゃんけんで先攻と後攻を決める


小さなリク君健闘して、打つ!大人に混じってすごい根性だ!


上の息子バッティング絶好調!ホームラン、3塁打、2つのシングルヒットと大活躍!


MJ上野さんのヒットで3塁にいた上の息子がホームを踏み、サヨナラ勝ち!


試合終了、大人も子供も一緒に「ありがとうございました!」

今日は、4、5時間という長い間汗とほこりだらけになって、大人も子供も野球を心底楽しんだという感じ。日本からきて間もない野球少年も2人ジョインして、普段野球ができないストレスを発散。みんなきらきらの笑顔で、思いっきりプレーしていた。こんなに楽しめるのは、やはり野球技術のあるMJのメンバーがうまく練習メニューを考え、子供たちがプレーしやすいようにリードしてくれるからだ。駒谷さんをはじめとして、宝蔵寺さん、その他のMJメンバーの皆さん、本当に有難うございました!河西さん、撮影ご苦労様でした。(私の撮影もね!)

小学3年生は「漢字学習最大の山場」~シカゴ日本人学校全日校の宿題

2008-08-30 | シカゴ日本人学校全日校
シカゴ日本人学校全日校小学3年生に通う下の息子は、毎日毎日漢字学習に一生懸命取り組んでいる。日々の宿題で「漢字博士」(略して「漢は」)という担任の先生独自の工夫されたプリントにドリルの新しい漢字を含む文章を丁寧に書く。



今までは、ドリルの漢字を漢字ノートに書くのが常であったので、疑問に思い、先生に聞くと、このプリント方式が効率よく各自の書いた漢字をチェックできるのだそうだ。間違えた漢字ももう一度プリントに書き出し、提出しなくてはいけない。このプリントの1回のクラス全部のチェックにも数時間かかるという。33人かかえたクラスを持っているため、1分1秒でも手早くやらなければならないようだ。ウーン、先生もまさにプロフェッショナル!

1学期は、この方式に慣れなくて、かなり苦労した子供たちもいたようだが、息子を含めて、みんな着実に漢字を学んでいるような気がする。息子は、夏休みの宿題の一部として、この「漢は」を30枚以上やった。(60ページ)表と裏があるので、1枚終わるのに結構時間がかかる。おかげで、今日の50問テストも楽にこなせたようだ。息子が頑張って、その「漢は」を100枚突破したので、先生から立派なオリジナルの賞状をもらい、息子はとても気をよくしている。この調子が続くといいのだが・・・

1学期の最初の頃、「3年生では、小学校最大の新出漢字200字を習うので、早いピッチでやっていかなければならないんですよ」というようなことをおっしゃられていた。最新の進研ゼミ「チャレンジ通信3年生」9月号に、2007年の「小学生の漢字力に関する実態調査2007」によると、全国の小学3年生の漢字の「書き」の正答率は約60%。つまり5人に2人が漢字でつまずいている、という驚くべき結果が!」とセンセーショナルに前置きが書かれていた。(河西泰道先生談)

先生がおっしゃられたとおりのことが書かれ、「3年生は漢字学習最大の山場」と指摘されている。「そのうえ登場する漢字の画数も増え、とめ・はね・てんなど細かい部分にも注意しなければならなくなります。そのため、お子さまの中に漢字に対する抵抗感が芽生えやすく、つまずきが増えてくる時期なのです。」と書かれていた。なるほど、納得!今しっかりと漢字を理解し、繰り返し学習しないと、高学年で苦労することが目に見えている。

やはり、うちは全日校でよかった、と胸をなでおろした。

息子の中2としての2学期の目標~シカゴ日本人学校全日校始業式より

2008-08-29 | シカゴ日本人学校全日校
8月22日にシカゴ日本人学校全日校の始業式があり、子供たちは勉学やスポーツに燃えて、ここシカゴでの最後の学期を悔いなく過ごそうとしている。上の息子が、始業式に中学部を代表して、夏休み中に書いた「2学期の目標」の作文を学校全員の前で発表した。

その日に学校に子供たちをピックアップしにいったとき、真っ先に英語科のコニシ先生が、「とてもいい発表だった」とほめてくださった。私は、息子から言われていたにもかかわらず、発表をみんなの前でするのとは知らず、作文を書いているのだとしか思わず、その晴れ姿をのがしてしまった。いつも肝心なところをのがしてばかりのドジな親である。あーあ!とがっくりきていたら、担任の先生が、学級通信「RAINBOW」でその作文を紹介してくださった。

それを読むと、息子の予定より早まった日本への帰国への動揺、そして、その気持ちを切り替え、ポジティブな方向に持っていくまでの心の動きがわかり、親としてジーンとしてしまった。息子の2学期の目標が、一番中学部の生徒としてやらなくてはいけない部分を鋭くわかりやすくついていて、「しっかりしてきたなあ」と感心してしまった。本当に日々の中学部の先生方のご指導のおかげである。

以下、全日校の小学部の保護者の方にも中学部の生徒がどのように考えているかを知ってもらいたく、紹介したいと思う。

                2学期の目標

今学期の僕の目標は、僕自身の個人的なものと、中学部全体のものでおおむね一つずつあります。

まず、個人的な目標は、この学校での6年間の生活の最後の学期をきっちり締めたいということです。実は先日、僕は本帰国が決定しました。おそらくは11月頃だろうとのことです。てっきり、中学卒業まで早くても2年生の終了までは、いるだろうとたかをくくっていた僕にとって、ものすごく衝撃的な決定でした。何しろ小学校1年生から今日まで、多すぎるほどの思い出や記憶があるこのシカゴから日本へと本帰国するのです。いつか来る必然的なことだとしても一大ショックでした。

もっとも、いつまでもショック状態でいられるほど弱くもありません。さっさと悔いのないように帰国できるよう、一つの目標をたてました。それがシカゴ生活最後の学期をきっちり締めるということです。

しかし、今日からスタートする2学期は、もっとも長い学期です。その分、学習するのも広範囲ですし、行事も非常に多いです。でも、長いシカゴ生活に自分が納得できるけりをつけるため、この2学期、1日1日で自分ができる最良のことをしていきたいです。

中学部全体での僕が目指すべきと思う目標は、中学部全ての人が、自分以外の全員1人1人を、自分の仲間だと断言できるようになることです。今の中学部がバラバラだというわけではありません。現時点でも学年関係なくとても仲の良い中学部だと思います。ただ、日常生活で特定のグループのみでの会話で、特定の人のみしか発案しないこと等もあります。全ての人の意見で物事を完成させるという形を僕たちは目指すべきでしょう。

この2学期は以上2つの目標を常に念頭において毎日を過ごしていきたいです。

久し振りの取材を楽しむ!

2008-08-28 | アメリカ生活雑感
今日は久し振りにゆっくり取材を行った。というか、この地域の日本の企業で活躍されている方とお話をしたという感じだが・・・

シカゴにきてから、駐妻の身で、お金を稼げないので、(というか絶対働く気がないので)ビジネス関係の取材には、トンと縁がなかった。まあボランティア記者として、そういう取材をやりたくても、時間と余裕がなくて、自分の子供と関わっている教育関係の記事を中心に書いていた。よって、こちらで頑張っている日本人のビジネスマンの方のお話を聴く機会がまったくなかった。

昔は、金融関係の記事を書いていたので、かたっぱしから証券会社や銀行関係の人たちと仲良くしていたものだ。というわけで、久し振りにビジネスマンの方とじっくり話せて、とても新鮮!

取材相手は、こちらの会社でもトップの方だが、本当にご自分の企業のこと、しいては、1人1人の社員のことを考えられて、広い視野で物事を見られているといたく感心した。

主人の会社もかなり私たちの生活や子供たちの教育のことを一番に考えてくれて、帰国の日程等を調整してくれている。主人の会社は、日本でも子育てや育児休暇などでとても先進的なことを行っていることで有名な企業である。以前、ヨーロッパ駐在の経験のある友達が、主人の会社のドイツでの教育に関する待遇をとてもほめていた。こういう会社に恵まれて、私たち家族も本当に幸せである。やはり、家族あっての駐在ということだろうか。「安定した家族がいるから、安心して駐在ができる」という取材相手の方の言葉がとても印象に残った。


日本への本帰国は、11月1日頃!

2008-08-27 | アメリカ生活雑感
昨日主人から、やっと会社から帰国の日にちの指定があったと聞いた。私たちの希望通り、11月1日。3日が月曜日で文化の日で祝日となり、3連休のためだ。学期の途中で帰国のため、少しでも休みがあり、その間子供たちが学校への道のりを慣れさせるためだ。

しかし、6年半住んだ家を引き払うのって、大変な労力を要するようだ。みんな帰国していく人たちは、すさまじい勢いで、物を処分し、さびしそうなみんなを残して、さっと帰っていく。いつもいつもいろんな人たちを複雑な気分で見送ったものだ。それが、自分に降りかかってくるとは・・・

ありとあらゆるものの処分が・・・頭が痛い!みんなもっていってくれ!って感じ。家具でもおもちゃでも。

今日は、第2弾として、シカゴ日本人学校に50冊ぐらいの児童書を寄付してきた。何袋もあり、かなりの重さで運ぶのが結構大変だった。司書の白上先生が待機してくれて、全部引き受けてくださった。きれいな状態の大量の人気の怪傑ゾロリシリーズや中学年に人気のずっこけシリーズ、はたまた可愛らしいピーターラビット全巻をすべて寄付した。ああ、すっきりした!しかし、まだまだある大量の本。白上先生に「また持ってきます!」と言い残した。

そして、近所の友達がかなりびっくりした様子で、うちの帰国のことを聞いてきた。話す人話す人、みんなびっくりしている。でも、駐在員の家族は、みんな帰国していくのに。みんなうちがずっといるものだと思っていたらしい。永住だと思っていた人もいたかもしれない。ショックを受ける友達もいた。そのことを前に主人に言ったら、「ウーン、やはり、長くいすぎたなあ・・・よくない!(駐在)5年で帰るべきだった。」と一言。

やはり、去る者より残される者の方が、つらいのだろう。私もずっとそうだった。そう考えると、こっちもつらくなる。でも、またシカゴには主人の仕事で遊びにきますから。

とそれよりも、物を捨てなくちゃ!

シカゴ・ホワイトソックス戦で、タンパベイ・レイズ、岩村選手の活躍を見る!

2008-08-25 | メジャーリーグ
先週末は、USセルラーフィールドにて、ホワイトソックス対タンパベイというアメリカンリーグにとっては、各地区のトップチーム対決という見逃せないカード。そして、タンパベイには、日本人メジャーリーガーの岩村選手がいる。リードオフマンとして、今やタンパベイにはなくてはならない存在となった岩村明憲選手を見ておこうと、第2戦の土曜日にセルラーへ繰り出した。2戦目か3戦目かどちらにするか迷う。2戦目のタンパベイのピッチャーはスコット・カズミア(日本語表記キャズミア)、3戦目は、ホワイトソックスがマーク・バーリーの予想。上の息子は、メジャー屈指のピッチャー、カズミアが見たいというので、前日夜ピッチャーが発表されるやいなや、主人が素早くチケットを取る。

さて、前回ホワイトソックス対レッドソックス戦の異常な混みようと打って変わって、道路状況はすいていた。1時間以上前にセルラーに着き、余裕で選手たちの練習風景も見学できた。



私は、どうしても帰国前に1900年初頭のシューレスジョーたちがかぶっていたホワイトソックスの古びた昔の帽子がほしい。先日露天の店で見かけたので、必死でさがすが、今回はどこにも売ってなく、がっかり!ファンたちは、帽子にも凝る。球場の中の大きなお店では、さまざまな帽子が売られていて、そのデザインがなかなかいい。みんなかぶって、お互い「これはどう?」とじっくり選んでいる。ハーパーカレッジの「アメリカ野球の歴史」をとっていた熱狂的なホワイトソックスファンの感じのいい男子学生の1人は、いつもさまざまな間新しげなホワイトソックスの帽子をとっかえひっかえして、かぶっていた。勿論、古びた私がほしい帽子もかぶってきていたし、最新の黒と白のカッコいいデザインで、SOXの部分が浮き出ているのもかぶっていた。

ティーシャツもみんな凝っている。ベテランズディだったか、ホワイトソックスの選手たちが1回だけ着ていたアーミー系のデザインのティーシャツを着ている人も見かけた。ざっと周りを見たところ、一番人気のティーシャツは、センターとファーストを守る今年トレードできたニック・スウイッシャーのティーシャツ。そんなに打率が高いわけではないのになぜこんなに人気なのだろう?不思議だ。なんとなく、愛嬌のある感じの顔で、コマーシャルなどで見せるひょうきんさもある選手。長髪にしていたかと思うといきなり坊主にして驚かせる。ただこれは、抗がん治療で頭髪が抜けた女性にカツラを無償でプレゼントする団体に寄付するためなのだそうだ。そんな誠実な人柄も人気の秘密なのかもしれない。

私は、ティーシャツはどれにしようかと迷って、結局「カネルコ」ティーシャツ。生え抜きのホワイトソックスの4番だったのに、今季は打撃不振で最近ベンチ入りしている。頑張れ、カネルコ!(3戦目は代打タイムリーで活躍)上の息子は、今一番旬の現在36本とアメリカンリーグホームランダービートップの、若きスラッガー、「クエンティン」のティーシャツ。下の息子は、誠実なベテランDHホームランバッター「トーミィ」のティーシャツ。主人は、何もないシンプルなグレーのホワイトソックスジャージーをはおる。主人の帽子は、勿論2005年ホワイトソックスがワールドチャンピオンのときのやつ。私の帽子は、お気に入りの白の2005年地区優勝のときのやつ。この白の帽子は、なかなか見かけないが、女の人がかぶってもソフトなのでいける。

さて、前置きが長くなったが、話を肝心の試合にもどそう。


試合前のナショナル・アンサムのときの選手たち、なぜか右端のクウンティンだけが、両手を後ろに回していて、妙にじじくさい格好、左端の丸坊主がスイッシャー

ホワイトソックスの先発ピッチャーは、7年連続2ケタ勝利をあげている右腕バスケスで、なんと5回ぐらいまで、完璧なピッチングを見せ、完全試合。この試合もしかして・・・と思わせるほど、制球が良く、ストライクも先攻。岩村選手も苦戦している。


岩村選手対バスケス

左腕カズミヤも、ゆったりとしたフォームで、打たれながらもなんとか得点をおさえる。しかし、ホワイトソックスの4番、ジャーメイン・ダイの2本連続の鋭いホームランを打たれる。ダイのホームランは、2本とも外野席に一瞬で突き刺さるような見事な当たりだ。2本とも同じ用な場所に飛び、飛距離も368フィートと365フィートだった。しかし、このホームランの前にランナーがでていなかったのが、ホワイトソックスにとって大きかった。




2対0とホワイトソックスがリードした6回表に、岩村選手がねばってフォアボールとなり、それがきっかけで1点返す。これで、バスケスの完全試合もなくなり、試合の流れが変わる。そして、8回表、ノーアウト満塁で、岩村選手がヒットを放ち、同点にし、そのあとヒットも続き、岩村選手がホームを踏み、ホワイトソックスは逆転された。その回4点も入ったため、ダイの2本目のホームランもランナーがでていなかったため、及ばず、5対3でホワイトソックスは負けた。頼みのトーミィが4連続三振ではねえ・・・この日は、クエンティンも打てなかった。

次の日は、ホワイトソックスは、10回裏見事な逆転サヨナラ勝ちをおさめたので、タンパベイにスイープされず、私たちホワイトソックスファンとしては、ほっとした。2位のツインズがせまってきているため、3戦目は絶対に落とせなかったからだ。

しかし、2戦、3戦と岩村選手はいつもいい所で打つ。2戦目の粘りに粘ったフォアボールなどリードオフマンとして、絶対に塁にでてやるという気迫がみなぎっているような感じだ。ホワイトソックスが2戦目負けてしまったが、岩村選手の見事な活躍が見られて、私たちは日本人としてとてもうれしく、誇らしかった。守備も華麗なフィールディングで楽しませてくれた。スクリーンに岩村選手の顔写真の横に、大きく、去年の守備率9割7分5厘と3塁手でメジャートップと紹介されていた。今季は、コンバートして2塁手だが、守備がますます光っている。



タンパベイは今まで地味な球団で目立たなかったが、今季は若い選手の台等で勢いがある強いチーム。その中で、岩村選手がチームを引っ張っている。打率も2割7分台で健闘している。カブス、福留選手がメジャーの壁にぶち当たってスランプ気味(昨日は代打ホームランを打つ)だが、コンスタントにメジャーで活躍することは、大変な努力がいるのだろう。日本人メジャーリーガー頑張れ!

さて、次のうちの狙いは、ミルウオーキー戦。メジャー屈指の最高ピッチャー、巨漢のサバシアを息子は見たいという。再来週は私も大好きな場所、ミルウオーキーへ!(今日の投稿の写真は少しづつアップしていきますので、また見てください。)







駐在員家庭における「日本人学校か現地校か」という永遠の課題

2008-08-20 | シカゴ日本人学校全日校
今日は、ここシカゴ駐在員家族における永遠の課題、「日本人学校全日校か現地校か」というかなり繊細な問題について書いてみる。うちの息子2人の場合のケースなので、さまざまな性格の子供たちがいるだろうから、あくまでも参考として受け取られてほしい。

うちは、上の息子が小学1年生の2月にシカゴに赴任。すでに日本語はそこそこ固まり、日本語の速読もできるようになっていたので、現地校に入れようと思えば入れられたのだが、「急激な変化は子供にとってストレスになるだろう。」との私たちの判断から、迷わずシカゴ日本人学校全日校に編入させた。

私は、日本で英語をこつこつ勉強して、お金を貯めて若い頃留学して、その後仕事も通して英会話や英語の読み書きは楽にできるようになった。まったく英会話ができなかった主人も、20歳過ぎに若くしていった海外勤務で自然に英語力は取得。英語嫌いだった主人が、2年海外勤務しただけで、帰国後TOEICで800点後半をマーク。私をびっくりさせた。私たちは、英語は大きくなってからでも、いつでも勉強すれば取得可能ということが経験上わかっている。しかし、日本語はそういうわけにはいかない。

上の息子は、本当に心底日本語が好きだ。というか、日本語活字中毒なのだ。暇があれば、本を読んでいる。現在、1ヶ月普通の大人が読む本を40冊ペースで読む。新聞の1ページなんて、一瞬で読み込む。小学校のときに、全日校で力を入れている「読書マラソン」を通して、だんだん身についた速読のおかげた。

こちらにきてすぐに入ったリトルリーグで、アメリカ人の友達もできて、英語にもじょじょになじみ、本人も現地校に興味がでてきたので、小学3年生の夏に、私もチャンスとばかり、親子で現地校に見学に行き、ポースクールという現地校に変えることを真剣に考えた。しかし、本人がどうしても全日校で日本語を勉強して、英語も頑張るというので、無理強いはできなかった。

上の息子の速読の力が増したのは、その後の小学4年生のときであった。1年に10万ページの本を読み続けた結果だ。そして、ありとあらゆる歴史の本も読み漁り、あらゆるジャンルを網羅した読書のおかげで、さまざまな知識が彼の血となり、肉となっていった。

そして、現在中学2年で、その培った速読のおかげで、他の人の勉強時間のおそらく3分の1ぐらいの少ない時間で、野球と両立して、テスト勉強などが楽にこなせるようになった。数学の文章題などもすらすら解け、むつかしい問題も答えを見れば、すぐに理解できるという。去年入学した中学部から全日校の勉強内容がかなり濃いため、スポーツと両立するには、この地では塾に行くのがなかなか大変。しかし、中学部の先生たちの日々の熱心なご指導のおかげで、塾に行かなくても、業者の実力テストでは、目標の偏差値に達するようになった。親孝行の息子である。日本語の読書のおかげでもある。

英語に関しては、全日校にいるので、どうしても語彙は少ないが、野球のチームできたえた会話力で、長年やっているアメリカ人家庭教師、アイリーンとは、普通に大人の会話ができるようになった。アイリーンは、息子の成長を見て、涙を流さんばかりに喜んでいる。(しかし、本人いわく、英語はそんなに好きではないらしい。)

現地校は、現地校の素晴らしいプログラムがあると思うし、「せっかくアメリカにいるのだから、現地校に入れないともったいない」と普通思うだろう。しかし、息子があのまま現地校に行っていたら、今のような絶対的な日本語の力はつかなかったろう。長男のきまじめな性格として、日本語と英語を両方できるだけ頑張っただろうが、補習校との兼ね合いで、野球が思い切りできないストレスで、情緒的に不安定になっていたかもしれない。

「せっかくアメリカにいるのに、どうして現地校に入れないの?」という疑問はいつもあり、私たちの背中に常につきまとう、「アメリカに来たからには、現地校に行って、英語を吸収しなければいけない!」そういう強迫観念がある。うちが来た当初、「どうしてお母さんが英語がしゃべれるのに、現地校に行かせないの?」とよく聞かれた。「親が英語ができる=子供も現地校」という安易な考え方。私たちは、さまざまな子供の性格、目標、興味を考えて、悩みに悩んで、日本人学校全日校を続けることを選んだ。全日校に通っているから、いつも日本人だけで固まっていると思われるのも悲しい。息子は、多くの親しいアメリカ人の友達が野球を通してできたし、おそらく日本に帰国してからも努力すれば交流は続くだろう。

そして、全日校に入って、一番の財産は、日本語英語という言語上のことではなく、年齢年齢ごとに日本人として備わらなければならない規律や集団として各自何を優先してやらなければならないかなど、精神的な成長がきちっとできたことだ。つまり、シカゴ日本人学校全日校というのは、日本にもアメリカにもなかなかない素晴らしいこなれた教育プログラムがある学校だということだ。

下の息子にいたっては、日本語と英語と両言語をこなすのは、むつかしいタイプで、小学校1年4月に入学して、1言語にしぼってから、論理的に物事が考えられるようになり、ようやく頭の回転が速く回るようになったような気がする。1年生のとき、懇切丁寧に担任の先生が、一時一句ひらがなの形を時間をかけて指導してくださったし、毎日日本昔話などの読み聞かせを面白く工夫してやっていた。アメリカにいながら、こういう環境があるということがすごい!

しかし、とくに女の子など、両言語を器用にこなせるお子さんにとって、現地校のさまざまな面白いプログラムを経験するのも素晴らしいし、将来の財産となるだろう。私自身も同じ立場なら、絶対現地校を経験したいと思うに違いない。

というわけで、各子供たちの性格を十分把握しながら、慎重に全日校か現地校が選ばれてください。

帰国準備をしながら、シカゴでの子育てを振りかえる

2008-08-19 | アメリカ生活雑感
今日はめずらしくうちに小さなお友達がきた。ショウゴ君という9月で2歳になる男の子だ。うちの不要になった山のようなおもちゃや本やビデオをとりにきてくれた。上の息子の代から慣れ親しんだ大量のトミカのミニカーや日本のさまざまな電車の模型であるNゲージとついにおさらばした。以前に、すべてのキャラがそろっていた日本製とアメリカ製のトーマスのおもちゃも大量のプラレールセットなども近所のナカムラさんとニシノさんがすべてもらってくれた。

2人の息子たちは、2歳ぐらいでこれらの電車や車にはまり、下の息子は2歳のとき、2月という寒い時期にこちらに来て、私も動けなかったので、広いうちの中で、これらのおもちゃたちを広げて、1人遊びをずっとしていた。プラレールは、お兄ちゃんが熱心にリビングに大きく組み立て、さまざまなパーツを使って、下の息子は延々と遊んでいた。同じくらいの友達と遊ぶのも大事なのだろうが、こうやって1人遊びをして、想像の世界に浸るのも発達段階では大事な時間だったのではないかと思う。

シカゴに来て、日本人の友達が最初はいないので、お母さんたちはとても苦労するかもしれないが、風の子クラブやその他のサークルで、いつのまにかじょじょに友達はできていく。兄弟がらみの友達も貴重だった。勿論、親しくなったら、私たちはお互い努力して、遠い距離を車を飛ばして、家を行き来して、子供たちが小さな頃は大変だった。今は、下の息子も小学3年生となり、日本人ともアメリカ人とも新しい友達ともすぐに仲良く遊ぶようになり、親も楽になった。

ただ、上の子が小学1年の終わりまで日本で子育てを経験してきた私にとって、ここでの下の子の子育ては、日本語環境と英語環境のバランスをとるのに、結構大変であった。また、様々な苦労を振りかえりながら、このブログにその当時のことも書いていこうと思う。今日、ショウゴ君のお母さんに下の息子のプリスクール時代の苦労を話していたら、昔のことを思い出してしまった。



マイケル・フェルプスの8冠の偉業をささえた母の力!

2008-08-18 | スポーツ一般・娯楽
北京オリンピック真っ盛りの日々。いつもバタバタしていて、じっくり各競技を見てなくて、少しづつかじる程度だが、さすがに「水泳の貴公子」(「水泳王子」って感じはしないんだな。勝手に私たつけたあだな)、マイケル・フェルプスだけは、追いかけてしまった。あのマーク・スピッツの7冠を抜き去り、史上最多の金メダル8冠(トータルでは14個の金メダル獲得)というかつてない偉業を達成したマイケル・フェルプス。まだ、23歳の若さ。6個の金メダルをとった4年前のアテネオリンピックでは、19歳だったってこと?!


100メートルバタフライで0.01秒差で1位をもぎとり、7個目の金メダルが決まった瞬間
8月17日付けシカゴ・トリビューン、スポーツセクション表紙より

アメリカのメディアは、マイケル・フェルプス一色だわなあ。今週発売のスポーツ・イラストレイティッドの特別号を含む2冊の表紙は両方ともフェルプス。まだ、レースは始まったばかりなのに、メディアは完璧に彼がいくつも金メダルを取ることを予想していたようだ。私はまったくオリンピックに疎かったので、この表紙を見て、この人が注目株なんだと気付き、やおら、テレビの水泳のときは、凝視した。まあ、北島もすごかったし・・・

偉業の内容は、各メディアがリポートしているので、私が書く必要はないが、私が感心したのは、勝利したあとのフェルプスのさわやかな対応だった。最後のリレーで、北島が平泳ぎでハンセンを抜いて、日本が1位になり、その後フェルプスのバタフライでアメリカチームは一気に盛り返し、逆転。最後の自由形で逃げ切り、アメリカが金を取る。

毎回、フェルプスは、レースの後は、勝利の雄たけびをあげ、すごい形相で勝ったことを全身で表現するが、その後のやわらかでさわやかなスマイルは、女性ファンをひきつける。テレビは、もうずっとフェルプスを追いまくり、彼のアップを映し出す。北島に完敗しているハンセンはまったく無視され、引き立て役。そのときのフェルプスへのインタビューも、ニコニコしながら、他のメンバーとのチームプレーを強調し、控えめな態度。

そして、多くのカメラが彼を追いかける中、花をかかえながら、どこへ行くかというとお母さんとお姉さんが座っている観客席へ。祝福のキスを受け、2人への感謝を忘れない。

このフェルプスのお母さんの応援中の顔の表情がいたく面白かった。金曜日の100メートルバタフライで、1位か2位かわからないほどの接戦だったときのお母さんの目玉が飛び出るほどびっくりした表情。結果が0.01秒差で1位だとわかったとき、へなへなとくずれさり、テレビに映らなくなってしまったのだ。その表情と動きがとても素直でかわいくって、フェルプスとともに、お母さんも人気がでそうな感じだ。

今日NBCがフェルプスの特集をしていて、最後の方で本人とともにお母さんも出て、インタビューをされていた。シングルマザーで、2人の子供たちを育て上げ、学校の校長先生だという。みんな生徒たちが、2人のことをバルティモアで待っているという。

そして、なんとフェルプスが小さな頃、ADHDだったという事実が明かされる。私は思わず声を上げてしまった。そのためフェルプスは、他の友達によくいじめられていたという。水泳に出会って、若いうちに才能が開花され、お母さんの努力で、ここまできたのだろう。すごい!ネガティブな部分を親子で努力して克服して、きっとポジティブな力に変えていったのだろう。アメリカ人ってこういうエネルギーがすごい!

並外れたスポーツ選手が、小さな頃落着きがなく、暴れていて、そのエネルギーを好きなスポーツに渾身に傾けて、成功したという話をよく聞く。前回の投稿にでてきた親友のべスのボーイフレンドのマットの弟がそうだったという。かなり有名な元メジャーリーガー。今もデトロイト・タイガースの1塁ベースコーチとして、テレビによくうつる。シカゴカブスをかもにしていたというアンディ・バンスラクだ。カブス戦でよく打っていたらしい。でも、シカゴの人々からは、愛されていたという。

アンディは、小さな頃はかなりワイルドでお母さんたちの手を焼いていたが、野球を見つけてから、練習に邁進していたという。これも成功例。こういう話を聞くと、小さな頃やんちゃで、周りを振り回し大変な子供でどうなってしまうのかと心配するが、そういう子が大化けするから、子供ってわからないものだ。

このフェルプスとお母さんのインタビューを聞きながら、マイケル・フェルプスのお母さんの育て方をもっと知りたいと思ってしまった。母親として、フェルプスとフェルプスのお母さんに乾杯!




グレイスレイク、自然保護地区「プレイリー・クロッシング」湖畔での夏休み

2008-08-17 | アメリカ生活雑感
昨日は、息子たちを連れて、アメリカ人の親友べスの住む、シカゴ郊外北、ウイスコンシン州に近いグレースレイクのプレイリー・クロッシングという住宅地にある湖の小さなプライベートビーチで、残り少ない夏休みの1日を楽しんだ。



このプレイリー・クロッシングという場所は、マスコミでもかなり話題になり、自然をそのまま残して住宅地を設けた特別な自然保護地区だ。住宅地の中に住民が育てられる作物があるオーガニック・ファームまで設けられて、小学校の教育もファームと直結しているほど。

こういう環境なので、べスたちを含めた住民達が、ゴミをださないよう物を大事にし、自然を大切にする意識も高いようだ。アメリカ人は、大雑把で、消費しては大量にゴミを捨てているかと思うのは間違いで、エコロジーで質素な生活を心がけている人もたくさんいる。日本人駐在員の私たちの方が、余計なものを余分に買っては捨て、外食も多い。意外とアメリカ人家族も毎日家で料理をしているのである。

べスとボーイフレンドのマットの2人は、シカゴのダウンタウンに20年以上も住んだシカゴアン。北のリンカーンパークの近くの大通りから少し入った、美しく簡素なタウンハウスに住みながら、町の文化を謳歌したべスだが、年齢が高くなるとともに、ダウンタウンの騒音が気になり、郊外に住みたくなった。そして、去年良い物件を探しながら、この美しい自然に囲まれたプレイリー・クロッシングを見て、コンドミニアムの購入を即決し、ダウンタウンの家が売れるや否や、去年の2月この場所に越してきた。



この地域の活動は、またじっくり別の機会に紹介するとして、今回はこの住宅地の目玉である静かな湖を紹介する。ビオトープとでもいおうか、自然の状態のまま湖が存在し、周りにはシンプルで整然としたかわいらしい住宅がたたずんでいる。きっと住人たちも自然を愛し、大切にしているのであろう。両者の風景が、さりげなく、無理なく見事に溶け合っている。ゴミ箱でさえ、タルの形で設けられ、きちんとふたまでついているから、ゴミを拾って捨てるのさえ、整然と行わなければならないような気分。



その小さな湖のビーチはそんなに広くないが、個人のボート、カヤックなどが置かれ、救命用ボートまで用意されている。横の草むらに、簡易トイレと脱衣所まであった。また、何かあったときのイマージェンシー用の電話ボックスまできちんと設置されている。

この湖は、水の循環がいいので、水質がきれいなため、魚もかなりいる。息子たちは、必死で手でその魚を捕ろうとするが、うまくいかない。もぐって魚を見るぐらいだ。去年、私がここで泳いだ時、魚たちに囲まれて気分上々だったのだが、突然足をかまれ、ぎょっとした。魚って、かむのか?!べスの話では、かまれた人が何人かいて、べスや子供たちはかまれたことがないという。よっぽど、私の細い足がおいしそうにみえたのだろうか。太い足ならいざ知らず、複雑な気分だ。

近所の上の息子の友達ニシノ君も連れてきたのだが、中学生の2人が大喜びで、砂遊びをして、山を作っている。普段大人のような意見を言い、なまいきなことばかり言う上の息子だが、まさに、童心にもどっている時間。



湖の真ん中に飛び込みのマットが浮かんでいる。そこまで3人で泳いでいって、遊ぶ。突然深くなっていて、小さな子供たちは危険なので、みんな救命胴衣をつけてそこまでいく。下の息子は、べスがもって来てくれたドーナツ型の浮き輪で、お兄ちゃんたちを追いかけるが、途中で浮き輪から離れてしまい、危険な状態。上の息子に下の息子から目を離すなと言ったのに、さっさとマットの方に泳いで行ってしまった。浮き輪をさがし、深いほうに泳いでいく息子を見ながら、私は水着になっていなかったので、ビーチから「あっちに行っちゃダメ!こっちにもどってこい!」と大声で叫ぶ。結構、ハラハラドキドキ。やっぱり、上の息子もあてにならないときがある。

下の息子、無事に浮き輪でマットにたどりつき、満足そうにマットの上で湖の感触を楽しんでいる。上の息子たちは、しっかり湖に飛び込んでいる。やっぱり、私も水着を着てくればよかった。水着姿のべスが、マットのそばまでいっていれたから、下の息子の安全も万全だった。



そして、ビーチにもどってきたら、お決まりのように、自分から「埋めて!」と体を砂の中に埋めてもらい、今度はドロの感触を楽しんでいる。



下の息子は、小さな頃からドロと遊ぶのが好きだった。3歳ぐらいの幼児の頃、上の息子の野球の試合で、ちょっと目を離したすきに、大きな水溜りの中に入って、体中ドロドロになり、他のアメリカ人の親たちに大笑いされたことがある。いつもほっておくと、泥まみれで遊んでいた。だから、少し大きくなって、泥んこキャンプに入った頃は、逆に泥だらけにならなかったようだ。不思議だ。ただ、こういう場所にいくと、小さなときの泥の感触の記憶がよみがえるのだろうか。

勿論、上の息子も日本の公園や幼稚園で、泥んこになって遊びまくった経験が多い。上の息子は、幼稚園に入る前は、仲良しの公園グループ(やんちゃな男の子メンバーと超個性的なお母さんたちで構成された有名な公園ママ軍団であった)で、毎日暑い日もどんなに寒い日も公園のはしごをしていたので、筋金入りの泥んこ遊び大好き人間。



下の息子に続いて、自分から「埋めろ!」状態に。ニシノ君が、きちんと真四角の立方体の枕を作り、ニシノ君と下の息子が整然と土をかけ、きれいな上の息子のお墓ができていた。中学生になっても、こういう遊びは小学生と変わらないのねえ。



このこじんまりとした素晴らしきプライベートビーチは、ここの住人かそのゲストでないと利用できないのだが、ときどき住人でない見知らぬ人が勝手に泳いでいるのを見かけるという。しかし、1人1人をいちいちチェックできないので、「どうしたものか」とみんなで言い合っているという。確かに、こんな美しく観光におかされていない場所を見つけたら、泳ぎたくなるだろう。私たちは、親友のべスが住んでいるので、利用できてラッキーだが・・・


べスの一番のお気に入りの家、湖を望む高台に位置する べスとマットは、いつも自転車で美しい自然のある近所を回って余暇を過ごす、こんな場所に住めれば・・・

一通り水遊びに興じたあとは、おしゃれなカフェで、アイスクリームを食べる。息子たちは、シャワーを浴びていないのだが、プールに入ったときのカルキのにおいやベトベト感がなく、肌がすべすべしている。湖の水質のいい自然の水に浸かったせいか?!べスのおかげで、なかなかいい夏休みの1日だったなあ。