早川俊二ギャラリートークの続きの一部をかいつまんで記す。
高校生でまだ朝日が昇る前の暗い時間帯に、朝日を昇る景色を見ながら微妙な光の変化を感じ、それに世界を感じる感性って…早熟な青年だったのかな。
そういう素養はあったんだろうけど、日々長野の雄大な美しい山々に囲まれた生活がその感性をますます研ぎ積ませたのかも。
その時の原風景と体験が今の早川絵画を築き上げた原点だった。
原風景というのはその人の人生を左右する。
「それがあるから今の絵があるんだと思うんですよ。それがなかったらもっともっとこう対象というものに引っ張られている。対象の前に世界があるというのは感動的だったんで」と早川さんは力説する。
大倉さんも「それが長野の空間につながってる感じですよね」と答えている。
勉強よりひたすらデッサンや絵画に没頭する高校時代。
明るい時は外で風景などを油絵で描き、暗い時は教室でデッサンをやる毎日だったという。
この頃ヨーロッパのルオーなどの巨匠の影響うけ、とくにセザンヌに影響を受け、セザンヌ的に絵を観ていたという。
東京に出てきてから、予備校では受験用のデッサンに一生懸命打ち込む。
そして、創形美術学校で技術的な土台を学び、素晴らしい先生方に出会い、1970年に大阪万博館長をやられた森田恒之先生に見せてもらったゴッホやフランドル絵画などの作品を観て、「これはヨーロッパに行かなきゃだめかな」と思ったという。
そして1974年ヨーロッパへ。
1976年からフランスの国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールに入り、彫刻家マルセル・ジリの指導の元、最初はモデルを使って小さな頭部のデッサンを毎日していた。
ボザールでの4年間ひたすらデッサンに費やし、1981年100号ぐらいの鉛筆のデッサンがムフレ賞を受賞し、8点発表し、そのうちの大デッサン1点と小デッサン3点をボザールが買い上げるという快挙。
この時の作品は師匠ジリも満点をつけたというほどのできで、6月の長野展や10月の札幌展にも1点の大作が展示された。
その時に、ジリから「サロン・ド・メにも出品しないか」と勧められてサロン・ド・メにも出品したという。
ジリはサロン・ド・メの創始者メンバーでもあった。
~ギャラリートーク続く~
エコール・デ・ボザール:エコール・デ・ボザール(フランス語: École des Beaux-Arts)は17世紀パリに設立されたフランスの美術学校である。350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきた。現在は建築がここから切り離されている。(中略)今日その名を残す有名な芸術家の多くがここで訓練され、エドガー・ドガ、ウジェーヌ・ドラクロワ、ジャン・オノレ・フラゴナール、ドミニク・アングル、クロード・モネ、ギュスターヴ・モロー、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ジョルジュ・スーラ、アルフレッド・シスレーなどの名が挙げられる。(ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
サロン・ド・メ:サロン・ド・メ ( salon de mai ) は、1943年に対独レジスタンス運動の一環として設立、1945年に第1回展を開きました。 ピカソやミロが死去するまで毎年出品し続けた唯一の団体展として知られており、 現在フランス画壇のみならず、世界の美術界から最も注目を集め、高く評価されているサロンです。(http://ww2.tiki.ne.jp/~natuhitomi/ea/event/finearts/salondemai.htm より)
前回の投稿で、早川さんの奥様結子さんのメッセージも投稿しています。
早川俊二さんも全く同じ気持ちだということです。
追伸:このブログに早川さんのデッサンに関する文があったのを思い出したので、紹介する。
(
「ミケランジェロ・デッサン展の感想~画家早川俊二」)
1974年秋に1~2年の予定で渡欧し、まず出来るかぎり重要な美術館を廻ってみようと、莫大な量の絵を観ているうちに、これは模写どころではない、まずデッサンから勉強し直さなければならないなと思えて、とりあえず1976年にパリ国立美術学校に入学した。東京で十分デッサンを勉強したので、油絵教室に登録しながら勉強することも出来たが油絵のことは考えず、デッサンだけに集中するため、Marcel GILIのデッサン教室に登録し、学生として在籍出来る最終年度1981年まで、ここの教室にほとんど毎朝通った。GILIの教室は自由で、描く材料は何でもよく、単色であればデッサンとして認めてくれて、スタイルも、モデルを描写することから現代流行の抽象画まで許され、学生は思い思いに自由に制作していた。
僕はその中で「対象を見て描くことは何なのか?」「絵画芸術とは?」「芸術は人間にとってどういう意味があるのか?」というような大きな命題を抱えながら、ひたすらモデルの頭部を中心にデッサンした。これらへの答えは未だによく分からないのだが、考えながらデッサンをしているうちに、自分がそれまで持っていた偏狭な芸術観から解放され、自由な芸術観が生まれてきた。これは丁寧に教えてくれ僕の硬い意識の殻を破ってくれたMarcel GILIのお陰だった。
「デッサン」というとき、下書き程度の素描だと思っている人が多いだろう。それは意味的には間違いないのだが、デッサンは平面芸術として最もミニマルな行為なのだ。時折本命の絵画、彫刻以上の次元まで突き詰めたデッサンに出会うことがある。多分、描く材料に技術的な駆使をすることが少なく、描く行為に最大限力を注ぐことが出来るからかもしれない。もっとも、デッサンを魅了してやまないような芸術作品に高めるのは容易なことではないが・・・。