今日は、ハーパー・カレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスの最後の授業だった。2ヶ月間、1回の授業が2時間半で、週2回というハイペースで、歴史の専門家として、ハーパーで一番定評のあるトーマス・ディパルマ教授が、ときおり、アメリカ史とからめながら、密度の濃い内容のアメリカの野球の歴史を駆け足でたどった。
最初にアサインメントにだしたベストなチームの分析と今までの選手を振り返りながら、ベスト6の選手をディパルマ教授が選ぶ。以下彼が列記した順位と教授のコメント。
6位は現役のアレックス・ロドリゲス
5位、ジョー・ディマジオで、「オールラウンドプレイヤー」と呼んでいた。
4位、ハンク・アーロン
3位、ジャッキー・ロビンソン、野球という次元を超えた大きな影響をアメリカ社会に及ぼしたという意味もあり、昔の選手だが、現代野球の選手としても立派に通用する。
2位、ウイリー・メイ
1位は、野球の神様、ベーブ・ルース、誰も文句のつけようなし。「バスケットのマイケル・ジョーダンのような存在」と言っていた。
学生たちが、口々に自分たちの野球ヒーローを叫ぶ。「カル・リプケン・ジュニア!」「ケン・グリフィー・ジュニア!」「ピート・ローズ!」
女学生のモリンダは「ルー・ゲーリック!」熱狂的なカブスファンの彼女は私と同じ趣味のようで、カブスのテリオとフォンテノーのファンだった。その他、高校を卒業してすぐで高校野球を経験したデビットは、初期の頃活躍した「ホーナス・ワグナー!」を選んだ。ハイパワーを合わせ持つベストヒッターの「テッド・ウイリアムス」忘れちゃいけない「シューレス・ジョー・ジャクソン」
そして、スーパーな守備で印象に残っている選手たちをみんなが言い合う。「オジー・スミス」「ゲーリー・マシュー」「ケビン・ミッチェル」素手でボールを捕ったという。
ここで、カブスファンのジャスティンが、「イグチが、ベース際で捕って、体全体をカーブして投げてアウトにしたすごいプレーを覚えている。」と言う。みんなが「そうそう、あれはすごかった!」と口々に言う。「(ホワイトソックスがワールドチャンピオンになった)2005年の出来事か?」と聞くと、熱狂的なホワイトソックスファンのブライアンが「2006年」と答えてくれた。みんな好きなチームの試合は最初から最後まで見ているというわけか。このクラスをとった学生たちは、野球を心底愛しているようだ。
毎回、授業が始まるとすぐ、ディパルマ教授が休みの間のメジャーリーグに起こった突起だった出来事をみんなに聞くと、みんな目を輝かして、さまざまなプレーや各チームの分析を言い合う。カブスかホワイトソックス、あるいは日本人メジャーリーガーがでているチームの試合を見るぐらいしか時間のない私にとって、みんながあらゆるチームの選手たちのプレーがちんぷんかんぷんだった。ディパルマ教授が、「このクラスはカジュアルだ。」と言っていたが、みんな好きな分野なので積極的にフランクに発言していた。
授業が早めに終わったので、ディパルマ教授になぜこのようなユニークなクラスを作ったのか聞いた。「野球は、アメリカ社会の市民権運動などの大きな歴史的な出来事を反映している。野球というレンズを通して、アメリカの歴史をつかんでみたかった。私は、フットボールやボクシングなども含めてスポーツが好きだが、野球が一番好きなスポーツで、両親、兄弟たちの影響も大きい。」とディパルマ教授は、うれしそうに語る。このクラスをとった学生たちが、授業を楽しみながら、きちんとアサインされた本をすべて読み、ジャーナルも詳しく書き続けたので、とても満足そうだった。みんな最後は、口々にディパルマ教授に握手しながら、お礼を言っていた。こんな最後の授業の光景はめずらしい。写真におさまったクラスのみんなは、とてもうれしそうだ。
ディパルマ教授は、このクラスを3年間かかって熟考し、ハーパーのマーケティング部と共に「スポーツ史」のクレディットのクラスとして、他の大学にもトランスファーできるように設定したという。勿論、ディパルマ教授もこのようなクラスは初めて教えるのだとういう。息子の野球チームのお父さんコーチやお母さんたちにこのクラスのことを言ったら、みんな目を輝かせて、「そんなクラスがあるのかい?」「受けたい!」「僕が教えてみたい!」と言いながら、昔のメジャーリーガーの話で盛り上がっていた。アメリカ人にとって、野球というのは、みんなの心のふる里なのかもしれない。
ディパルマ教授は、エバンストンで生まれて、シカゴ界隈で育ち、小さな頃は、イーストコーストから移り住んだお父さんの影響で、ジャイアンツの大ファンだったという。14歳ごろからジャイアンツとカブスの両方のファンになり、大人になって、熱狂的なカブスファンになったという。
なんと1965年に、お父さんに連れられていったリグレー・フィールドで、ジャイアンツ対カブス戦で、日本人初のメジャーリーガー、村上雅則のピッチングを見たという。ジャイアンツがリードしていて、リリーフで2番手ぐらいにでてきて、見事なピッチングをしたらしい。そのときに一緒にプレーしていたアウトフィールダーが、ウイリー・メイズで、(全盛期だったという)またまたすごいキャッチをして、カブスのロン・サントが土をけるほどくやしがったのを克明に覚えているという。村上は、2年しかメジャーでプレーしなかったから、その村上のプレーを見たという人はめったにいないのではないか!と息子と言っていた。
ディパルマ教授は、7歳ぐらいに読んだ最初の本が、「市民戦争」のような歴史物と「野球」に関する本で、それ以来この2つの分野をずっとリサーチして、追い続けてきたという。この2つに、いつも共通する何かを感じていたようだ。歴史のあるスポーツ、野球から、19世紀のアメリカの歴史をとても感じるのだという。アメリカの歴史自体も他の国に比べて古くない。アメリカの歴史と共に、アメリカ人の心に野球が常に存在したというわけだろう。選手は7回失敗しても3回成功したらよく、試合も込み入っていて、かなりアップアンドダウンのある、スポーツ、いわば私達の悲哀のある人生を反映しているような感じだとつくづく言っていた。
まずは、第1回目の「アメリカ野球の歴史」のクラスが大成功に終わって、よかったと思う。先生になるためにマスターをとろうとしているモリンダは、この夏は、このクラスだけ取っていたという。とても楽しかったという。野球史を学びながら、アメリカ史を理解することの醍醐味にみんなが共感していた。ブロードウエイで、俳優をしながら、世界中を回っていたスティーブも毎回熱心にノートをとり、ジャーナルを詳しく書いていた。スティーブは転職し、先生をめざしているという。さまざまな分野を通して、歴史を学ぶことの楽しさをみんなディパルマ教授から教えてもらった。今後もこのクラスを受ける学生たちは、ラッキーだ。ありがとう!ディパルマ教授!
まだまだこのクラスの内容を書いていない部分があるので、また投稿しますので、読んでください。
最初にアサインメントにだしたベストなチームの分析と今までの選手を振り返りながら、ベスト6の選手をディパルマ教授が選ぶ。以下彼が列記した順位と教授のコメント。
6位は現役のアレックス・ロドリゲス
5位、ジョー・ディマジオで、「オールラウンドプレイヤー」と呼んでいた。
4位、ハンク・アーロン
3位、ジャッキー・ロビンソン、野球という次元を超えた大きな影響をアメリカ社会に及ぼしたという意味もあり、昔の選手だが、現代野球の選手としても立派に通用する。
2位、ウイリー・メイ
1位は、野球の神様、ベーブ・ルース、誰も文句のつけようなし。「バスケットのマイケル・ジョーダンのような存在」と言っていた。
学生たちが、口々に自分たちの野球ヒーローを叫ぶ。「カル・リプケン・ジュニア!」「ケン・グリフィー・ジュニア!」「ピート・ローズ!」
女学生のモリンダは「ルー・ゲーリック!」熱狂的なカブスファンの彼女は私と同じ趣味のようで、カブスのテリオとフォンテノーのファンだった。その他、高校を卒業してすぐで高校野球を経験したデビットは、初期の頃活躍した「ホーナス・ワグナー!」を選んだ。ハイパワーを合わせ持つベストヒッターの「テッド・ウイリアムス」忘れちゃいけない「シューレス・ジョー・ジャクソン」
そして、スーパーな守備で印象に残っている選手たちをみんなが言い合う。「オジー・スミス」「ゲーリー・マシュー」「ケビン・ミッチェル」素手でボールを捕ったという。
ここで、カブスファンのジャスティンが、「イグチが、ベース際で捕って、体全体をカーブして投げてアウトにしたすごいプレーを覚えている。」と言う。みんなが「そうそう、あれはすごかった!」と口々に言う。「(ホワイトソックスがワールドチャンピオンになった)2005年の出来事か?」と聞くと、熱狂的なホワイトソックスファンのブライアンが「2006年」と答えてくれた。みんな好きなチームの試合は最初から最後まで見ているというわけか。このクラスをとった学生たちは、野球を心底愛しているようだ。
毎回、授業が始まるとすぐ、ディパルマ教授が休みの間のメジャーリーグに起こった突起だった出来事をみんなに聞くと、みんな目を輝かして、さまざまなプレーや各チームの分析を言い合う。カブスかホワイトソックス、あるいは日本人メジャーリーガーがでているチームの試合を見るぐらいしか時間のない私にとって、みんながあらゆるチームの選手たちのプレーがちんぷんかんぷんだった。ディパルマ教授が、「このクラスはカジュアルだ。」と言っていたが、みんな好きな分野なので積極的にフランクに発言していた。
授業が早めに終わったので、ディパルマ教授になぜこのようなユニークなクラスを作ったのか聞いた。「野球は、アメリカ社会の市民権運動などの大きな歴史的な出来事を反映している。野球というレンズを通して、アメリカの歴史をつかんでみたかった。私は、フットボールやボクシングなども含めてスポーツが好きだが、野球が一番好きなスポーツで、両親、兄弟たちの影響も大きい。」とディパルマ教授は、うれしそうに語る。このクラスをとった学生たちが、授業を楽しみながら、きちんとアサインされた本をすべて読み、ジャーナルも詳しく書き続けたので、とても満足そうだった。みんな最後は、口々にディパルマ教授に握手しながら、お礼を言っていた。こんな最後の授業の光景はめずらしい。写真におさまったクラスのみんなは、とてもうれしそうだ。
ディパルマ教授は、このクラスを3年間かかって熟考し、ハーパーのマーケティング部と共に「スポーツ史」のクレディットのクラスとして、他の大学にもトランスファーできるように設定したという。勿論、ディパルマ教授もこのようなクラスは初めて教えるのだとういう。息子の野球チームのお父さんコーチやお母さんたちにこのクラスのことを言ったら、みんな目を輝かせて、「そんなクラスがあるのかい?」「受けたい!」「僕が教えてみたい!」と言いながら、昔のメジャーリーガーの話で盛り上がっていた。アメリカ人にとって、野球というのは、みんなの心のふる里なのかもしれない。
ディパルマ教授は、エバンストンで生まれて、シカゴ界隈で育ち、小さな頃は、イーストコーストから移り住んだお父さんの影響で、ジャイアンツの大ファンだったという。14歳ごろからジャイアンツとカブスの両方のファンになり、大人になって、熱狂的なカブスファンになったという。
なんと1965年に、お父さんに連れられていったリグレー・フィールドで、ジャイアンツ対カブス戦で、日本人初のメジャーリーガー、村上雅則のピッチングを見たという。ジャイアンツがリードしていて、リリーフで2番手ぐらいにでてきて、見事なピッチングをしたらしい。そのときに一緒にプレーしていたアウトフィールダーが、ウイリー・メイズで、(全盛期だったという)またまたすごいキャッチをして、カブスのロン・サントが土をけるほどくやしがったのを克明に覚えているという。村上は、2年しかメジャーでプレーしなかったから、その村上のプレーを見たという人はめったにいないのではないか!と息子と言っていた。
ディパルマ教授は、7歳ぐらいに読んだ最初の本が、「市民戦争」のような歴史物と「野球」に関する本で、それ以来この2つの分野をずっとリサーチして、追い続けてきたという。この2つに、いつも共通する何かを感じていたようだ。歴史のあるスポーツ、野球から、19世紀のアメリカの歴史をとても感じるのだという。アメリカの歴史自体も他の国に比べて古くない。アメリカの歴史と共に、アメリカ人の心に野球が常に存在したというわけだろう。選手は7回失敗しても3回成功したらよく、試合も込み入っていて、かなりアップアンドダウンのある、スポーツ、いわば私達の悲哀のある人生を反映しているような感じだとつくづく言っていた。
まずは、第1回目の「アメリカ野球の歴史」のクラスが大成功に終わって、よかったと思う。先生になるためにマスターをとろうとしているモリンダは、この夏は、このクラスだけ取っていたという。とても楽しかったという。野球史を学びながら、アメリカ史を理解することの醍醐味にみんなが共感していた。ブロードウエイで、俳優をしながら、世界中を回っていたスティーブも毎回熱心にノートをとり、ジャーナルを詳しく書いていた。スティーブは転職し、先生をめざしているという。さまざまな分野を通して、歴史を学ぶことの楽しさをみんなディパルマ教授から教えてもらった。今後もこのクラスを受ける学生たちは、ラッキーだ。ありがとう!ディパルマ教授!
まだまだこのクラスの内容を書いていない部分があるので、また投稿しますので、読んでください。