Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

日本の大晦日はサイコー!紅白を見ながら

2008-12-31 | 日本生活雑感
現在日本時間は、2008年大晦日の夜。信州に住む主人の弟から送ってくれた松本で一番おいしいというそばを食べて、みんなで紅白歌合戦を見ている。年越しそばのこしの良かったこと。

主人と二人で、「もうアメリカまで帰らなくてすむと思うと、気が楽やなあ・・」と主人の母に話す。毎年12月に日本に一時帰国した年は、日本のお正月を少しだけ味わい、シカゴへトンボ帰り。主人の実家、大阪から新幹線でさいたまに一旦帰り、そして10時間以上のフライトに乗ってシカゴの自宅に帰った。何回日本とアメリカを行ったり来たりしただろう。もうアメリカまで帰らなくてすむと思うと、主人の実家でもなんとなくのんびりできる。主人の父ともゆっくり話す。「アメリカ生活大変だったね。よくやったね。」と主人の母が、私たちの7年間の駐在生活の苦労をねぎらってくれた。こういう一言で、苦労は報われるというか・・・

紅白では、熊本で、私が小さいときにときどき遊んでいたという(石川)さゆりちゃん(こう呼んでしまう)が、「天城越え」を熱唱している。日本を代表する歌手で、その説得力のある歌唱力がすごい!全身から殺気を感じるほどの表現力。小さいころ、私の祖父母の家によく彼女は遊びにきていたという。勿論彼女の方が年上ですが。うちのお風呂で一緒に入っていたという。私はよく覚えていないけど。テレビにも「夜のヒットスタジオ」という番組に呼び出され、熊本のおじいちゃんと一緒にその番組でさゆりちゃんと会った。さゆりちゃんは、そのとき、「おばあちゃんは?」と言って、私たちのことはよく覚えていなかった。私も覚えていないからしょうがない。毎年、さゆりちゃんが紅白にでているのを見て、彼女もがんばっているなあと力をもらうし、演歌の大御所として、君臨している姿を見て、うれしくなる。

もうすぐ、2008年が明ける。激動の2008年。来年は変わるか!

年末年始は大阪に行きます

2008-12-30 | 日本生活雑感
これから、主人の実家大阪へ行って来ます。久し振りの関西を味わってきます。
上の息子と2人の旅。新幹線込んでいるだろうなあ。主人と下の息子はすでに行っている。上の息子も昨日今年最後の部活と塾の冬期講習を終え、気分はすっきり。

今日30日、午前中のテレビでは、「ごくせん」を1話から3話まで一気に再放送。あいかわらず、仲間由紀江扮するやくざの組長の娘である先生、「やんくみ」は健在。このドラマを見るとなぜか気持ちが晴れ晴れ。悪い奴らをやんくみが、最後タンカを切って、悪者たちを一掃するというパターンは、「水戸黄門」のパターンと似ているかも。見ているほうがきもちい~い。

また、大阪で投稿できそうなら、書きますので、チェック願います。

では、皆様よいお年を!今年は大変お世話になりました。

Kuni@Sainokuni

篤姫の生涯を思う~NHK大河ドラマ「篤姫」総集編をみて

2008-12-29 | 日本生活雑感
今年は、NHK大河ドラマ「篤姫」が大きくクローズアップされた。日本の激動の幕末において、そのたぐいまれな英知と行動力で、江戸の多くの人々の命を守った篤姫。時折見せる愛くるしい笑顔と対照的な、窮地に凛とした態度で臨む篤姫に、多くの人々が共感したのであろう。現代にも通じる強い女性の生き方に私たちは、学ぶところが多い。

この大人気の連続ドラマを見れなかった私は、先週から放映された総集編を食い入るように見た。篤姫演ずる大河ドラマ最年少の主役、22歳の宮崎あおいの迫真の演技が、最初から最後まで私たちの心をとらえて離さない。


NHK大河ドラマ・ストーリー 篤姫 後編 表紙 セピア色のふんわりとしたイメージの篤姫が、歴史のかなたから私たちに語りかけてくる


「女子(おなご)が覚悟を決めたからには、一本道を行くこと!」この言葉が、このドラマの最大のテーマである。夫である徳川家定が柔らかな笑顔で語りかける「ひたむきに生きよ。わしがいつも見ておるからのう」49歳という若さで亡くなる晩年の頃の篤姫の言葉「人の幸せというのは、地位や名誉や財産ではなく、家族や友と過ごす穏やかな日々の中にあるのだと思う」

波乱の人生を駆け抜けた篤姫の最後の言葉は、なんだかちょっと似つかわしくないような気もする。若くして夫に先立たれ、大奥を取り仕切る。さぞや孤独であったのではないだろうか。しかし、人間、孤独でないと大きな決断はできないのではないか。もしかすると、篤姫は、自分の信じた我が道をひたむきに歩んだがために、その反動で、平凡で温かな生活に憧れていたのではないか。

具体的な言葉は、忘れたが、一番印象に残った台詞がある。「考えてもわからないときは、自分自身の気持ちを大事にする」ということ。私のように、直感で動く人間にとって、とても納得できる言葉だった。大きな決断をしなければならないときに、迷ったら、自分の直感を信じて進んでいく。これでいいのだと。


NHK大河ドラマ・ストーリー篤姫 完結編 表紙 ここまでくると、貫禄がついた雰囲気 あおいちゃんも篤姫の霊がのり移ったかのような演技であった

篤姫を生涯心の中で支え続けた幼なじみで薩摩藩の武士、小松帯刀との美しい男女間の友情。自分の分身ともいえるお守りを渡して、篤姫をそっと遠くから見守る。随所に流れる美しい音楽が、ドラマにロマンティックな彩りをそえる。歴史の渦の中でこんな隠れた交流があったのではないかと想像するだけで、ワクワクする。主役の宮崎あおいを支える脇役の若手の俳優たちの熱演も光った。

篤姫の原作は、宮尾登美子が昭和59年頃に書いた初めての歴史小説。



宮尾登美子というと、映画にもなった女流画家、上村松園を題材にした小説「序の舞」を思い出す。こちらは、明治から昭和にかけて、女流画家ながら、巨匠となり女性として初めて文化勲章をとった松園。力強い才能のある女性たちを日本史の中で検証する作業はさぞや面白いだろう。膨大な資料をかき集め、さまざまな人々に取材し、少しでも本物の偉人に近づける。



今回の女性の視点から描かれた幕末の激動がいかに面白いかで、幕末という時代に興味を持った人たちも多いだろう。私もその1人。早速、歴史オタクの上の息子に尋ねる。息子が、得意の機関銃トークで、幕末の流れをさまざまな人物像とともに、説明してくれた。とくに、新撰組の1人1人のキャラの説明が面白かった。さまざまな歴史上の面白いエピソードを教えてくれた。息子の巧みな講義が聞けて、その知識の広さに驚き、素直に講義を楽しんだ。息子に触発された。最近、太平洋戦争オタクの息子の影響で、昭和史にも興味がでてきた。というわけで、単純な私は、今日は宮尾登美子の原作本を買ってきました。


追伸

ドラマで江戸城内も華麗に美しく描かれていた。江戸城は、私の祖先である太田道灌が築いたお城である。私にとって、江戸城は思い入れがある。なぜかというと、私の父は、道灌の子孫です。分家ではありますが、清和天皇からの家系図の巻物のコピーもあります。また、いつかブログで紹介します。

塾に行くべきか否か!~息子中2の冬休み

2008-12-28 | 日本の中学校
冬休みに入り、中学生は部活動に毎日余念がない。日本の冬はシカゴに比べて暖かいとはいえ、自動車で移動せず、自転車か歩きのため、私たちの体は冷え切る。このところ寒さが厳しくなり、息子たちの凍える中の外での部活のトレーニングは、寒さが身に沁みることだろう。部活の後は、夕方はみんな各自、塾の冬期講習へ通う。日本の中学生はホント忙しい。

うちの息子もこの冬休みあたりから、塾に通ったほうがいいのではないかと思い、近所の塾を調べた。うちが住む旧浦和市というのは、日本一塾の数が多いことで知られる。浦和=文教都市というイメージもあり、教育水準もそこそこいい。それにしても、おびただしいほどの数の塾のちらし。この中からいったいどれを選べばいいの!とりあえず、近所のママ仲間にかたっぱしから塾情報を聞く。

部活と両立させるには、やはり近くで通いやすい塾がいいという友達。大手の市進やサピックスなどの有名塾に行かせている人もいれば、個人経営の個別対応塾に行かせている人もいる。子供がなかなか勉強しなくて、個別の塾代が月々5万円もかかり、効果が上がっているかといえば疑問だという友達もいた。この塾代は、彼女がパートで稼いでいるという。5万円といえば、シカゴ日本人学校全日校の1ヶ月の授業料ぐらいだ。(もうちょっと高いかしら)全日校の素晴らしい授業内容とプログラムを知っている私としては、「ああ、もったいない!」と思ってしまう。振り返ると、「うちらは得したなあ」と。英会話の授業が週3、4時間もあったし、交流学習、スケート、スイミングなど数え切れないほどの素晴らしいプログラムがあった。

さて、息子に相談する。塾に行くのは、あまり乗り気でないのが見え見え。11月終わりにあった日本の中学で受けた初めての期末テストの成績がかなりよかったせいだ。塾の必要性を感じないという。いきなり受けて、5教科の点数合計が学年でトップの成績。こりゃできすぎじゃ。こちらで初めての期末とあって、いつもの息子より、やや長めにテスト勉強をやっていたせいでもある。まあ、全日校に通っていたおかげで、いつ帰国しても、大丈夫ということがわかる。数年前に帰国した友達の長女が、東京の公立中学で、やはり成績は上位だったと聞く。全日校中学部出身者は、公立の中学では、大丈夫です。

しかし、いくら学校の成績が良くても、英検対策は学校ではやってくれない。息子にそのことを言うと、納得したようで、英語だけ塾に通いたいと言い出した。英検の勉強だけは、自分でできないためだ。とりあえず、一番自宅に近い栄光ゼミナールの冬期講習と英検では定評のあるサイエイ・インターナショナルのお試しを申し込む。

栄光は、冬期講習は4コマ、サイエイは、英検のクラスは、80分間が、日本人の先生による英文法、50分が外人の先生による英会話のクラス。先週、1日づつ受けて、どちらもよかったという。ただ、久し振りにサイエイで、外人の先生のクラスで英語をしゃべり、息子も楽しんだようだ。せっかくアメリカで吸収した英会話力。身につけた発音と会話力をおとさないためにも、外人の先生のいる塾の方がいいかということになった。1月からサイエイに通うことに決定。

他の教科は、塾のクラスはとらず、またまた独学で頑張るようだ。来年度受験を控えて、周りの中2生は、みんな3教科か5教科塾で学ぶ。大丈夫かなとも思うが、本人が通う気がないので、任せるしかない。息子の今まで培ってきた読書力が受験にどのくらい通用していくか、見守っていきたいと思う。

息子の本棚がやってきた!~日本での生活の立ち上げその8

2008-12-28 | 日本生活雑感
今日は、いよいよ上の息子が待ちに待った本棚が届いた。といっても、組み立て式なので、息子は、嬉々として、重い部品の数々を大事そうにかかえながら、主人のアシスタントで、組み立てた。300冊の本が入るというから、そこら中の本がかたづく。

こげ茶のフローリングと同じ色ののっぽの本棚。見上げると、お店で見てたよりもずっと高い。こんな高い本棚は、日本で買ったことがない。ひょっとしたら、シカゴの家に置いてあったアイケアで買った私のお気に入りの本棚よりも高いような気がしてきた。でも、マンションが小さいので、それは目の錯覚なのかもしれないが。


左側が机なので、本棚の高さが際立つ。手前に見えるバカでかいナイキのカバンが、部活用のカバン。おそろしくでかい!制服も含めてありとあらゆるものがはいるよう。左に見えるのが、学校指定のスリーウエイカバン。

息子の部屋に置いてあった私たちの古いスライド式の白い本棚は、私たちが普段寝ている和室へと移動。今まで家具は何も置かず、わりと有名な人の日本画が飾ってあるだけだったのだが、それをはずして、そこに本棚を置く。まだ、少しこの和室に、かたづけなければならないダンボールや物がある。

息子の部屋にあった最後の数箱のダンボールの中の本類は、次から次へとこの真新しい本棚におさまっていく。一番下に、息子が大事にしている野球類のノンフィクション系の本がずらり。選手ごとに分類。松井、松坂、イチロー、城島、井口、江夏、江川、甲子園関係、球団関係、メジャーリーグ関係の雑誌も。真ん中あたりに、一番大事にしているマンガ本、人気の「メジャー」70巻がずらり。ほとんど一直線に並ぶほど幅がある。

下から2段目は、歴史物を時代ごとに分類。新撰組、太平洋戦争、戦国時代などなど。300冊以上もシカゴで処分し、日本人学校に寄付してきたのが、息子の本は、まだまだある。しかし、この一つの本棚に息子のすべての本がおさまったので、かなりの量を処分してきたことになる。シカゴでは、6つぐらい本棚があっで、日々処分するのに必死であった。何回車で日本人学校に運んだであろう。やはり、多くの本を持ってこなくてよかった。息子は、読書の虫なので、本を買うのが大好きなのだ。これから、いろんな本がまたまた並んでいくだろう。

下の息子の物語系の本たちが上下に並ぶ。トップの方には、文庫本。息子の大好きな東野圭吾、福井はるとし、重松清、石田衣良、伊集院静、椎名誠など。その下は、昔のマンガ本、息子が小学生のときにはまった手塚治虫の「ブラック・ジャック」(現在は、下の息子が読む)、私が勧めた「巨人の星」、上の息子の大のお気に入り、「ドカベン」シリーズ、「デスノート」「大きくふりかぶって」「バッテリー」。ときどき、わけのわからないマンガ本もあるのだが・・・

こうやってすべてが並ぶと、いつでも好きな本を手にとって、想像の世界におちいるわけだから、さぞや気持ちがいいことだろう。息子の部屋は、今のところ机と本棚しかない。7畳間なので、かなりすっきりしたスペース。隣の4畳半が下の息子の部屋。主人が単身赴任しているので、せまいマンションでもこうやって、ぜいたくにも兄弟一部屋づつ分けられた。下の息子の部屋はせまいが、お気に入りのおもちゃに囲まれて、その小さなスペースでずっと1人で遊んでいる。ゲームもあまりせず、黙々と遊ぶ。よかった、せまい日本のマンションでもなんとかなった。

上の息子は、いつも学校と部活で1日ずっと出ているせいか、冬休み部活がオフの日は、この部屋にこもってずっとのんびりしている。勉強するより、読書をしている時間の方が長いようだ。まったく、外に出たがらない。まあ、部活でこの震える寒さの中、3時間も外で走り回っていたら、誰でもそうなるであろう。新しいブルーのカーテンがついた広々とした部屋で、お気に入りの本が手が伸ばせばある場所で過ごす、冬のぬくぬくとした午後というのは、至福の時間であろう。

Merry Christmas! ~しかし、経済危機のため、日本は節約中!

2008-12-25 | 日本生活雑感
今日は日本に帰国して、初めて迎えるクリスマス。近年の日本は、年々飾りつけが派手になって、玄関にもイルミネーションを飾る家をときどき見かけるようになったほど。しかし、今年は、アメリカのサブプライムローンを発端とした世界的な金融危機のあおりで、企業業績が悪化し、この12月に急激な人員削減が進んだため、人々のさいふの紐は堅くなった。

12月23日、トヨタの今年度の業績予想として営業赤字が1500億円と発表になり、その責任もとり社長も交代する。前年度が過去最高で2兆2703億円だったというから、わずか1年後に赤字転落とは、信じられない事態といえよう。トヨタの工場は各地で、ライン停止や夜間操業停止などに追い込まれている。無敵と呼ばれたトヨタ。この現在の急激な経済の減速を象徴する「トヨタショック」が、日本全体に波及していく可能性が大きい。

自動車メーカー各社は、派遣社員を大幅に削減しだした。日産は、2000人の派遣社員全員、いすゞも1400人の派遣社員全員削減という厳しい措置だ。テレビのニュースでは、派遣社員が寮から追い出されて、ホームレスになった姿や大手メーカーの下請け工場の人々の苦しい状況を映し出している。経済が悪化すると、真っ先に切られるのは、ハケンか!経済動向に左右される派遣社員。もしも自分がその立場だったら・・・と思うと、やりきれない気持ちになる。

ソニーも12月9日に全世界で8000人の社員を削減すると発表した。いよいよ電気メーカーに人減らしの波は波及した。大手電気メーカーが、順に社員のリストラを推し進めるのは、時間の問題だ。これだけ円高が進んでは、輸出製造業はたまったものではない!「1日に1億損しているようなものだ」「やってられない!」と電気メーカーに長年勤める主人は吐き捨てるように言う。みんなが声をそろえて、100年に一度の経済危機だという。私たち主婦は、その危機感というものが薄いが、海外に輸出している商品を扱っている主人たちの会社は、金融危機のあおりで、押しつぶされそうだ。なぜ、日本の製造業が、あやまったアメリカの政策で、つぶされなければいかないのか、理不尽な限りである。

しかし、このアメリカ発の深刻な金融危機を誰も予想できなかったのだろうか。まちがいなく何人かの有能なエコノミストたちは、きっとずっと前から警告していただろうに・・・80年代後半のバブル経済の破綻。なぜ、堅実な方向へと向かわなかったのだろうか。

先日、テレビのニュースで、兜町の金融マンたちにインタビューをしていた。その中で、昔から長年兜町でうなぎ屋をやっている人がインタビューに答えていた。「今の兜町は、兜町じゃない。人のために何かをするという気持ちが必要だ。まじめに働いていれば、何とかなる」とその人はあっけらかんと放った。地道にこつこつ働いてきた人ならではの重い言葉である。

大手のメーカーとはいえ、来年主人の会社は、存続できるのだろうか。もし、主人がリストラされでもしたら、生活はどうなるのであろうか。12月のさまざまな暗いニュースが自分たちの生活にも現実的にものとなり、駐在生活で浮かれていた気分は、またたく間にぶっとんでしまった。シカゴのみんな、駐在生活を今のうちに楽しんでおいてください。こちらでは、みんな節約に勤めている。少しでも安い食品を買おうといろんなお店を物色して、いろいろと努力している。日本の食品が、全体的に高くなっているせいだ。肉、魚なども高くなっている。昨日買ったクリスマスケーキの高かったこと。マルエツというスーパーで、2000円代のケーキだらけだった。うちは、1唯一残っていた1000円代のを買ったけど。

とにかく非常事態に備えて、私も来年は働かなくてはと思っている。年齢的に、いい仕事を見つけるのはむつかしいが、今までのキャリアと英語力を生かした仕事を見つけたい。あるいは、次のキャリアへの準備を着々としなくてはと思う。子供達がシカゴにいる間に成長してくれたので、今後自分自身のことに目を向けていこうと思う。

シカゴのすさまじい寒さを思い出して

2008-12-21 | アメリカ生活雑感
シカゴの友人や息子の友達のメールで、シカゴの天気が荒れているとのこと。早速、天気予報をチェック。日本語のサイトはよくわからないので、シカゴ・トリビューンのサイトへ行く。なんと、ブリザード・ウォーニングとウインド・チル・アドバイザリーがでている。気温は華氏6°で、風が吹いたときの体感温度はなんと華氏-20~-30°だ。雪のオンパレード状態でしょうか?息子の友達のメールでは、20センチは積もったとか。現在どのくらい積もっているの?

シカゴ日本人学校全日校は、雪のために、金曜日の今学期の終業式がなくなり、休校になったとか。ウーン、こういうことは、今まで聞いたことがない。終業式が休校とは、なんて悲しい!この冬のシカゴは、かなり厳しい状況なのだろう。私たちは、まさに逃げてきたというか。間もなく、下の息子の友達の1人が帰国の予定だが、雪にならないといいが。祈ってます。

振り返ると、駐在中、毎年シカゴの寒さはすさまじかった。冬の間は、寒さで外で遊べない。「苦々しい」寒さ、あるいは、「かみつかれような」寒さというような表現を英語でするほどの痛みを伴った寒さ。ぬくぬくと暖かい冬を過ごしている日本の人々には、到底理解できないであろう。先日、日本の小学校で、息子の学年の子供たちにそのことを言ったら、信じられないような衝撃的な顔をしていた。

外で遊べないということが、子供たちにとって、どんなにストレスなことか。親たちもそのことをいつも気にして、どうやって冬を乗り切るか頭を悩ます。私も最初の頃、華氏30°以下(摂氏0°)になると外で遊ぶのが危ないということがわかり、「まっ、いっか!」と開き直って、家で下の息子とのんびり過ごした。室内で遊べる場所を捜し求めて、チャッキーチーズやゴーバナナのようなゲームセンターやボーリングなどに子供たちを連れて行った。冬は、スケートなどのさまざまな習い事もやらせた。

でも、雪の日は、子供たちは、近所の有名なベアーズの名クオーターバック、ウオルター・ペイトンがトレーニングしていたことで知られる、ペイトンズ・ヒルで、そり遊びに興じた。上の息子は、そり遊びが大好きで、あの長くてそこそこ急な坂を何べんもすべっていた。クラスの友達とも行った。そのとき、母たちは、防寒着に身を固め、震えながら見守った。みんな覚えているかしら。皆様、ぜひ一度ペイトンズ・ヒルへ、そり遊びに行ってみてください。全景が見渡せる素晴らしい場所です。

ペイトンズ・ヒルに関して興味がある方は、US新聞の私の記事を参照してください。http://www.usshimbun.com/childcare/childcare-paytonshill.html

よく私が、「シカゴの冬は寒くて外で遊べないから、やはり日本がいいんじゃない?」と上の息子に聞くと、息子は、「でも、スケートやそり遊びができるから、冬も楽しい!」とうれしそうに答えていた。そのとき、「子供というのは、環境に順応していくものだなあ」ととても頼もしく思った。シカゴでは、車社会なので、歩く機会が少なく、日本の子供たちに比べて、さぞや息子たちの体力も落ちているかと思ったが、あっという間に、息子は日本の中学の部活でめきめきと体力をつけている。このところ1回に6キロから9キロぐらい走っていて平気だ。心配いらないものだなあと思う。

今日は、2つ投稿していますので、前回のも読んでくださいね!

駐在員家族の帰任後の必須事項、健康診断を受ける~日本での生活の立ち上げその7

2008-12-21 | 日本生活雑感
金曜日は、帰国後年内に行っておくべき必須事項、健康診断を近所の定評のあるクリニックで受けた。これは、会社からの要望で、主人は早々と受け、冬休み中に息子たちにも受けさせなくてはいけない。血液検査をし、各臓器を超音波で念入りにチェックしてもらい、バリウムを飲んで、姿勢を変えるあのちょっと苦しい胃カメラなどを受けた。このクリニックは、人間ドック専門なので、かなり手際がいい。すべての検査が1時間半ぐらいで終わった。

血液検査をしているとき、隣のおばさんがインフルエンザの予防接種を受けている。ちらっと紙を盗み見たら、70歳ぐらい。初めて受けるという。顔の色つやがよく、とても70代に見えないほど若々しい。そうだ、私も受けておこう。すでに、全国でインフルエンザの患者が出始めている。

このところ、日本では、あいかわらず新型インフルエンザがはやった場合を想定した番組などが放映されていて、きちっとしたマスク、手洗い、うがいなどを奨励している。先日も番組で、お父さんに扮した俳優、野々村真が新型インフルエンザにかかり、重体に陥り、家族が心配して病院を訪れるという場面が想定されていた。この家族は、なぜかインフルエンザかからなかった。それは、手洗い、うがいをまめにしていたからだという。

看護婦さんに聞いたら、すぐに予防接種ができるとのこと。血液検査で血を4本抜いてすぐに、注射をされる。すばやい!息子たちもまだ受けていないので、聞くと、7時までやっているから、いつでも受けに来るように言われる。今週受けに来させよう。この病院はうちから歩いて、数分。やはり日本は楽だ。何も予約も入れなくても、予防接種が受けられる。ただし、保険が利かず、1人3000円はかかる。アメリカなら保険がきいて、タダだったよなあ。

さて、今回の健康診断の結果は、どこも悪くないとのこと。ほっとする。しめて、42000円、会社持ちである。先生の話では、ややコレステロール値が高いらしいが、心配するには及ばずとのことだ。生活が落ち着くまで外食が多かったから、「ちゃんと料理を作れということだな」と反省。

今日は、主人が風邪を引いて、高熱を出した。めずらしい!苦しそうなので、アメリカから持って帰ってきたタイラノールを飲ませる。あっという間に、熱が下がる。あいかわらずすごい威力。熱にはタイラノールだ。インフルエンザにかかっていないといいが・・・

運転免許の更新~一度更新ができなかった場合は免許センターで~日本での生活の立ち上げその6

2008-12-19 | 日本生活雑感
今週は、子供たちの学校の2学期の通常授業の最後の週。来週からは短縮に入り、午後は身動きがとりづらくなるため、大急ぎで今年中にやらなければならないこと、運転免許の更新と駐在後の健康診断を行った。

日本の運転免許の更新は、普通は、近所の県警でできる。埼玉県警のサイトで更新内容を確認して、電話で問い合わせてみたら、私の場合は、はるばる埼玉県の鴻巣市にある運転免許センターまで行かなければならないとのことだった。なぜかというと、前回の更新のとき、シカゴにいて帰国がままならず、免許が切れてから、免許センターで再び一から更新をしたからだ。そのときは、一時帰国中だったこともあり、時間がなく、バタバタと更新をして、記憶が曖昧だが、2時間以上の長めの講習を受けたような気がする。このように一度免許の更新ができかった場合、初回更新と同じ扱いになって、免許センターで2時間の講習を受けなければならないとのこと。しかも、今回の更新では、3年間しか有効にならない。ただ、次回の更新からは、近くの県警でいいということだ。更新は継続してやっておかなければいけないのだということ。しかし、海外に住んでいたら、うまく更新ができるとは限らない。

鴻巣の運転免許センターは、結構遠い。大宮から鴻巣まで高崎線で22分かかり、そこからバスで10分。うちからだと1時間20分ぐらいかかったろう。手続きと講習も含めて、5時間ぐらいみなければならない。主人は、近くの県警で更新はすぐできたというから、えらい違いだ。今後車の運転をするときに、大きな事故を起こさないようにしないと、またまたこの遠い運転免許センターまで来なければならなくなる。



シカゴに住んでいたときは、州の運転免許証が、IDになり、いろんな場面で免許証を見せられるように言われたので、重宝した。まだ、この免許は2年ぐらい有効だ。また、住む機会ができて、イリノイ州の免許証の更新ができるといいのにと思ってしまう。それほど愛着がある免許証だ。ソーシャル・セキュリティー・ナンバー(SS)と共に、アメリカで生活する上で、必須アイテムだ。余談だが、このSSを私は、かつてシカゴで働いていたときに取得したのだが、そのときSSの重要性にまったく無頓着で、それが一生涯生きるということさえわかっていなかった。そのためバカなことに、大事なSSの水色のカードをアメリカに住んでいた記念にと、日記に貼り付け、日本に置いていた。シカゴに来て、免許をとるため、そのカードが必要だと知って、必死で親に探してもらい、送ってもらった。その当時は、9・11のテロの直後で、免許取得も厳しく、SSのナンバーだけでは、だめで、その水色のカードの再発行さえしてもらえなかったのだ。なくしてしまった人はどうやったのだろうか。このSSがあれば、将来アメリカから年金ももらえるというから、貴重なナンバーである。

さて、昨日の免許更新は、思ったよりも簡単だった。流れ作業のように、係の人たちが、何をするかをすべて案内してくれる。写真を撮るのさえ、一瞬で終わるほど手際がいい。無駄な時間を一切なくして、早く終わらせるというシステムに徹しているようだ。講習もわかりやすく休憩をはさんで、きっかり2時間で終わった。

講習の冒頭で、最近5年間に改正された道路交通法を紹介してくれた。携帯電話使用等の罰則が強化、違法駐車の取り締まり強化、中型免許の導入、飲酒運転の罪が重くなり、後部座席シートベルトの着用義務など。私の知らないことばかりで、やはり講習を受けてよかったと思う。

12歳以下の子供を自転車に乗車される場合のヘルメット着用義務という項目もあった。なるほど、自転車に乗った小さな子供たちが、みんなアメリカのように、ヘルメットをかぶっているのが目立つのは、この法の改正のためだったのだ。「あ~あ、こんなことなら、下の息子のヘルメットを持って帰ってくればよかった」と後悔。数年前までは、日本でヘルメットをかぶっていた子供はいなかったので、処分してきてしまった。このように、ここ数年で日本はさまざまな面で変化がある。海外駐在が長い皆様、くれぐれもご注意ください。

飲酒運転の罰則は、5年以下の懲役又は100万円以下の罰金となっている。ビール3分1本でアルコール分が血中から消失する時間は1時間、1本で3時間、3本で8時間もかかるとのこと。罰則に関しては、アメリカの方がかなり厳しかったような気がする。最近届いたシカゴの友人のメールによると、このところシカゴの日本レストランで、出てきた日本人をポリスが張っているとのこと。皆様お気をつけあそばせ!

講習のビデオで、飲酒運転による事故で、なんの罪もない成人式前の娘を亡くした父親の手紙が、読み上げられる。この父親は、涙で「絶対に飲酒運転はしてはいけない!」と訴える。なんともやりきれないシーンだ。最近、ひき逃げをして、何メートルも被害者を引きずって、被害者を死に追いやる事故が多い。その場で何故助けられないのだろうか。年老いた父や学校が遠い上の息子には、くれぐれも気をつけるよう言う。

講習の最後で、埼玉県の交通事故による死者の数は、減少気味だとの報告があった。平成19年度の死者の数は、愛知、北海道、東京、千葉、大阪、?、兵庫に続いて、埼玉県は8位とのこと。それにしても、日本の道路はせまい!毎日自転車で、住宅地のせまい道路を慎重に運転するが、車が来ると冷や冷やする。事故にあって、引きずられてしまったらオシマイ。アメリカにいたときの車の運転と同じように、自転車も日本で慎重に運転しよう。

日本の小学3年生の社会とは~地域学習「さいたま市」を学ぶ

2008-12-18 | 日本の小学校
昨日は、下の息子の小学校の「さわやかディ」で、担任の先生との教育相談日。毎月設けられているようで、先月も息子の担任の先生に「さわやかディ」で、息子の学校の様子を教えてもらったり、こちらで不安に思っていることなどをぶつけた。

息子の担任の先生は、若い女の先生で、とてもしっかりされていて、息子の様子をこまやかにみてくださっている。11月から、日本の小学校に通いだして、足りない物などが結構あった。船便が届いてなくて、学校で必要な物もない。そのたびに、うまく対応してくださった。

息子にとって、一番の日本の小学校の難関事項は、給食であった。もともと生野菜が苦手で、シカゴ日本人学校は、木曜日を除いて、弁当であったので、息子が食べられる範囲の野菜を入れ、好きな肉や魚中心だった。だが、給食は、野菜が待ったなしで出てくる。「給食があるから、学校にいきたくな~い!」と叫んでいた。最初の頃、無理に食べて、吐いたときもあった。ミカンが大嫌いで、ミカンがでる日は、学校に行くことさえ憂鬱そうであった。しかし、担任の先生のご指導のおかげで、少量にしてもらい、最近やっと少しづつ食べれるようになった。本人も全部給食を食べれるんだと自信がでてきて、12月に入って、だんだん文句を言わなくなった。

通いだして1ヶ月ぐらいたったとき、「みんなが僕の悪口を言う!」とぼやいていたのも、このごろいつの間にか言わなくなった。かなりひどいことを言われたときもあったようだが、前からの息子の友達のお母さんの話だと、みんなひどいことは言われた経験があるという。最近の日本の小学3年生ぐらいというのは、かなり口が悪い子供がいて、そういう子供たちにうまく対応していかなければならない。

さて、昨日の相談日では、日本の小学校の3年生のこのクラスでの理科・社会の今までやってきた内容を詳しく教えてもらった。理科は教科書も違い、進度がやや日本の方が早く、抜けた部分の実験等を冬休みに家でやってみることにする。社会は、3年生は、自分たちの住んでいる地域、さいたま市の学習をしていて、「新しいさいたま市」という教科書に沿ってやっている。社会の教科書自体は、日本人学校と同じだったが、ほとんど使っていないという。

シカゴ日本人学校の3年生の社会は、日本人学校があるアーリントン・ハイツ市についてやっていたので、こちらと内容がかなり違う。たしか日本人学校の4年生の社会ではシカゴのダウンタウンの勉強だったと記憶している。アーリントンもシカゴもプリントを使って勉強をしていたが、親が見ても勉強したくなるぐらい、内容はとても面白く、充実していた。しかし、日本にもどってきたので、自分の住んでいる町、さいたま市のことをまたまた一から勉強しなくてはならない。私たちの住んでいる地域は、さいたま市のかなり南側に位置する。

先生の話では、この教科書に沿って、まず、さいたま市の市章を教え、市のシンボルであるケヤキの木、サクラソウ、サクラを教えたという。さいたま市が成り立っている5区を地図で学び、自分の住んでいる区の位置を確認。各区の色まで決まっているという。たとえば、浦和区は、浦和レッズがあるから、赤、緑区は緑などとなかなか面白い。

そして、東コースと西コースと2つのグループに分かれ、学校の周りの地域を探検し、地図に地図記号などを書き込んでいったという。

その後、学校の屋上で東西南北にどんなものが見えるか確認。さいたま市で田や畑が多い地域、県庁おや市役所などいろいろな施設が集まっている浦和駅西側の様子、岩槻区のように工場が集まっている地域といろんな地域のことも学んだという。これらのことをふまえて、全体の土地の様子も地図を色で塗りながら地形を学んだという。

この「新しいさいたま市」という教科書は、さいたま市の全体像が、とてもわかりやすくビジュアルに説明されている。私は、この教科書を見ながら、先生の説明を受けて、私が授業を受けているような感覚におちいった。「ああ、もう一度3年生を最初から受けさせたいものだ」とさえ思ってしまう。しかし、もう時間はとりもどせない。よし、少しづつ息子と一緒に歩きながら、さいたまのことを親子で学ぼう。冬休みは、小学校の周りを息子と探索してみよう。

校外学習は、国内でも人気で話題の大宮の鉄道博物館、そして、さいたまスーパーアリーナに行ったという。途中の旧浦和市の市役所や県警などの主要な建物も子供たちに説明したというから、すごい!

アメリカでいろんなことを経験できたのも素晴らしいと思うのだが、こういう日本の地域での基本的な生活に必要な機関、施設、神社のような建物、田畑、用水などの自然体系など、日本で本当に学ぶべきものがあるのだということに気づいた。こういうものの実体験がすっとんでしまった上の息子は、(小学校1年の終わりから中2の途中までずっとシカゴ)どうなるのだろう。先日、上の息子の中学校の友達は、みんな近所の神社の恒例のお祭りに喜んで出かけたというが、息子はまったく興味を示さず行かなかった。しかたないよなあ。ま、いっか!