この「芸術家たちの住むところ」という展覧会の最後の部屋で、うらわ美術館の収集方針の2大テーマ「浦和ゆかりのアーティスト」と「本をめぐるアート」にぴったりの女性作家、福田尚代の作品に出会う。それまでの絵画や工芸、彫刻の世界から抜け出して、別の次元空間にきたような気持ちになる。浦和に生まれ育った福田は、小さな頃から本に親しみ、2003年以降本を用いた作品を積極的に制作するようになったという。福田にとって、「読書は美術体験である」という。(「開館10周年記念オブジェの方へー変貌する本の世界 2009年11月4日〜2010年1月24日」発行うらわ美術館 図録p 36より)
本の文字が書かれている中身の方が鑑賞者側に向けて扇形に開いて展示されたオレンジ色の装丁の本は、『翼あるもの 「バートルビーと仲間たち」』という作品。アメリカ文学史上最重要小説と言われる『白鯨』の著者、ハーマン・メルヴィルの不朽の短編『バートルビー』の主人公バートルビーをモチーフにした『バートルビーと仲間たち』(エンリーケ・ビラ=マタス著、原著版、2000年刊)という本を加工している。福田が読んだ各ページを同じ長さに折り、1ページだけ中央部分に1行の文章がはっきり読めるような形に折られている。各ページの文字は折られた部分に1行微かに現れ、黒く刻印され、作家の記憶の中に埋め込められているようだ。
社会に同化できず、「何もしない英雄」と呼ばれるバートルビーの言葉が舞い降りてくる。「――これは幻の本に関するバートルビー芸術の見事な一行である。」という中央の文章は、本の著者マタスあるいは福田自身のバートルビーへの讃歌であろうか。この『バートルビーと仲間たち』という本を読みたくなる。かつてシカゴ郊外の大学のアメリカ文学のクラスで『バートルビー』を読んだ時の奇妙な感覚がよみがえり、その時の乾いた空気が立ち上がるかのよう。福田はアメリカの地に6年間暮らしていた。
『翼あるもの 「バートルビーと仲間たち」』2013年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p 259より
本の一文字一文字の上に玉結びをして、刺繍が施されている本は『ムーミン谷の冬』。(講談社、1977年刊)図録p 258の作品説明によると、地元の老舗書店、須原屋で昔買ってもらったという。本の上で字がうごめいて見える。文字一つ一つを立体化し生命を吹き込んだかのようだ。本というものは、装丁を綺麗に作り上げ、字を守ることが作者や本にとって大切だと思い込んでいたので、本やその文字を加工するという発想に度肝を抜かれる。本を読み、かみくだいて自分の発想として表現することが一つの創作の方法なのだろう。鑑賞者の私たちも福田の作品を思い出しながら、『バートルビー』や『ムーミン谷の冬』を読んでみたら、何かまた違う世界が見えてくるかもしれない。この部屋では、文学を愛する人もアートを愛する人もその相関性を感性で味わい、後で自分自身で振り返ることで感性の振り幅が広くなるような気がする。
『冬眠』2007年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p 259より
色鉛筆を細長く削ってさまざまな形の小さなオブジェを散らした(ように見える)作品『煙の骨』にしばし見惚れる。松原学芸員の話では、福田はうらわ美術館の会場で作品を並べ完成させたという。ひょっとしたら、展示をするたび福田のその時々の感情で並べ替えが起こり、この作品の印象が変わるのだろうか。やわらかなパステルのひねったり、削られた形の「骨」と呼ばれる物は、無造作に並べられているのか、何か規則性があるのか・・小宇宙に漂う美しい塵の広がりにも見える。一つ一つのオブジェが愛おしく思える。
『煙の骨』2007〜13年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p260より
『煙の骨』部分 2007〜2013年うらわ美術館蔵 作品部分 展示画像は『ひかり埃のきみ 美術と回文』福田尚代 平凡社2016年 p 38より
この可愛らしい作品の隣に、制作中に出た塵をふるいにかけて作った小さな山が存在している。『山のあなた』という作品で、時間の経過を表すようにわざと隣に展示されている。福田の作品は様々なことを喚起させる刺激に満ちている。
『山のあなた』2010〜13年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p261より
福田は文筆家としても『ひかり埃のきみ 美術と回文』という本を2016年に出していて、回文という上から読んでも下から読んでも同じ音になるという文章をこの本で美術作品、エッセイとともに発表している。こんな難解な作業をどうやって思いつき、どのくらいの時間で多くの回文が生まれていったのか、いつか福田に聞いてみたい。こんな文章で回文の作品は始まっている。
「時の軌道を描いた文字の痕跡
千古の詩も大河追う
時の帰途」
「ときのきとうおかいたもしのこんせきせんこのしもたいかおうときのきと」(『ひかり埃のきみ 美術と回文』p57)
この展覧会で福田を担当した学芸員の滝口明子さんによれば、福田にとって言葉とは空気中にある小さい粒のようなもので、ある日降りてくる時がある。それを回文として視覚化したり、違う形で美術作品となる時もあるという。
かつて、ライター側からアートを小説に取り込む小説が多々あった。ヘミングウエイがピカソやマティスなどの収集家・詩人で、モダニズムの旗手、ガートルード・スタインの指南で、セザンヌや印象派の絵画スタイルを文章のスタイルに落とし込んだように、あるいは夏目漱石が書籍の装丁にこだわって、橋口五葉や津田清楓に依頼し、後世に残るアーティスティックな本を残したように・・・作家で最大の美術コレクターの川端康成や漱石は美術作品からインスピレーションを得て、小説の創作のヒントにした。漱石は小説の中に絵画を多用した。ジョン・エヴァレット・ミレイの名作『オフィーリア』(1851〜1852年)が『草枕』に出てくるのはよく知られている。
橋口五葉『草合(くさあわせ)』夏目金之助(漱石)著 春陽堂刊 1908年 うらわ美術館蔵
画像は埼玉新聞2020年7月14日地域総合版「日々の生活とアートをつなぐ うらわ美術館がいまできること」②「草合(くさあわせ)」より
注意:この本は今回の展覧会には展示されていない。
美術と文学とが融合する作品に興味を持ち、資料を読んだり、なかなかないそういう講座をとったりしてきた自分にとって、こんなふうに両者が融合して、その結果洗練された作品を地元の美術館で堪能できたのは幸せであった。美術にとって文学とは芸術の中でも最も親密な関係なのだろうか。
この展覧会は過去の浦和の芸術家たちの軌跡を辿りながら、その絵画と立体物の芸術性の高さを味わいながら、最後に本をテーマにした作品を展示することで、美術と文学という他分野との融合がいかに心を揺さぶるか示してくれた。今後も芸術が融合するような作品が生み出されていくような魅力的な総合芸術の街、浦和であってほしいと願う。
文責 馬場邦子
〜この展覧会の投稿終わり〜
本の文字が書かれている中身の方が鑑賞者側に向けて扇形に開いて展示されたオレンジ色の装丁の本は、『翼あるもの 「バートルビーと仲間たち」』という作品。アメリカ文学史上最重要小説と言われる『白鯨』の著者、ハーマン・メルヴィルの不朽の短編『バートルビー』の主人公バートルビーをモチーフにした『バートルビーと仲間たち』(エンリーケ・ビラ=マタス著、原著版、2000年刊)という本を加工している。福田が読んだ各ページを同じ長さに折り、1ページだけ中央部分に1行の文章がはっきり読めるような形に折られている。各ページの文字は折られた部分に1行微かに現れ、黒く刻印され、作家の記憶の中に埋め込められているようだ。
社会に同化できず、「何もしない英雄」と呼ばれるバートルビーの言葉が舞い降りてくる。「――これは幻の本に関するバートルビー芸術の見事な一行である。」という中央の文章は、本の著者マタスあるいは福田自身のバートルビーへの讃歌であろうか。この『バートルビーと仲間たち』という本を読みたくなる。かつてシカゴ郊外の大学のアメリカ文学のクラスで『バートルビー』を読んだ時の奇妙な感覚がよみがえり、その時の乾いた空気が立ち上がるかのよう。福田はアメリカの地に6年間暮らしていた。
『翼あるもの 「バートルビーと仲間たち」』2013年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p 259より
本の一文字一文字の上に玉結びをして、刺繍が施されている本は『ムーミン谷の冬』。(講談社、1977年刊)図録p 258の作品説明によると、地元の老舗書店、須原屋で昔買ってもらったという。本の上で字がうごめいて見える。文字一つ一つを立体化し生命を吹き込んだかのようだ。本というものは、装丁を綺麗に作り上げ、字を守ることが作者や本にとって大切だと思い込んでいたので、本やその文字を加工するという発想に度肝を抜かれる。本を読み、かみくだいて自分の発想として表現することが一つの創作の方法なのだろう。鑑賞者の私たちも福田の作品を思い出しながら、『バートルビー』や『ムーミン谷の冬』を読んでみたら、何かまた違う世界が見えてくるかもしれない。この部屋では、文学を愛する人もアートを愛する人もその相関性を感性で味わい、後で自分自身で振り返ることで感性の振り幅が広くなるような気がする。
『冬眠』2007年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p 259より
色鉛筆を細長く削ってさまざまな形の小さなオブジェを散らした(ように見える)作品『煙の骨』にしばし見惚れる。松原学芸員の話では、福田はうらわ美術館の会場で作品を並べ完成させたという。ひょっとしたら、展示をするたび福田のその時々の感情で並べ替えが起こり、この作品の印象が変わるのだろうか。やわらかなパステルのひねったり、削られた形の「骨」と呼ばれる物は、無造作に並べられているのか、何か規則性があるのか・・小宇宙に漂う美しい塵の広がりにも見える。一つ一つのオブジェが愛おしく思える。
『煙の骨』2007〜13年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p260より
『煙の骨』部分 2007〜2013年うらわ美術館蔵 作品部分 展示画像は『ひかり埃のきみ 美術と回文』福田尚代 平凡社2016年 p 38より
この可愛らしい作品の隣に、制作中に出た塵をふるいにかけて作った小さな山が存在している。『山のあなた』という作品で、時間の経過を表すようにわざと隣に展示されている。福田の作品は様々なことを喚起させる刺激に満ちている。
『山のあなた』2010〜13年うらわ美術館蔵 展示画像は図録p261より
福田は文筆家としても『ひかり埃のきみ 美術と回文』という本を2016年に出していて、回文という上から読んでも下から読んでも同じ音になるという文章をこの本で美術作品、エッセイとともに発表している。こんな難解な作業をどうやって思いつき、どのくらいの時間で多くの回文が生まれていったのか、いつか福田に聞いてみたい。こんな文章で回文の作品は始まっている。
「時の軌道を描いた文字の痕跡
千古の詩も大河追う
時の帰途」
「ときのきとうおかいたもしのこんせきせんこのしもたいかおうときのきと」(『ひかり埃のきみ 美術と回文』p57)
この展覧会で福田を担当した学芸員の滝口明子さんによれば、福田にとって言葉とは空気中にある小さい粒のようなもので、ある日降りてくる時がある。それを回文として視覚化したり、違う形で美術作品となる時もあるという。
かつて、ライター側からアートを小説に取り込む小説が多々あった。ヘミングウエイがピカソやマティスなどの収集家・詩人で、モダニズムの旗手、ガートルード・スタインの指南で、セザンヌや印象派の絵画スタイルを文章のスタイルに落とし込んだように、あるいは夏目漱石が書籍の装丁にこだわって、橋口五葉や津田清楓に依頼し、後世に残るアーティスティックな本を残したように・・・作家で最大の美術コレクターの川端康成や漱石は美術作品からインスピレーションを得て、小説の創作のヒントにした。漱石は小説の中に絵画を多用した。ジョン・エヴァレット・ミレイの名作『オフィーリア』(1851〜1852年)が『草枕』に出てくるのはよく知られている。
橋口五葉『草合(くさあわせ)』夏目金之助(漱石)著 春陽堂刊 1908年 うらわ美術館蔵
画像は埼玉新聞2020年7月14日地域総合版「日々の生活とアートをつなぐ うらわ美術館がいまできること」②「草合(くさあわせ)」より
注意:この本は今回の展覧会には展示されていない。
美術と文学とが融合する作品に興味を持ち、資料を読んだり、なかなかないそういう講座をとったりしてきた自分にとって、こんなふうに両者が融合して、その結果洗練された作品を地元の美術館で堪能できたのは幸せであった。美術にとって文学とは芸術の中でも最も親密な関係なのだろうか。
この展覧会は過去の浦和の芸術家たちの軌跡を辿りながら、その絵画と立体物の芸術性の高さを味わいながら、最後に本をテーマにした作品を展示することで、美術と文学という他分野との融合がいかに心を揺さぶるか示してくれた。今後も芸術が融合するような作品が生み出されていくような魅力的な総合芸術の街、浦和であってほしいと願う。
文責 馬場邦子
〜この展覧会の投稿終わり〜