Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

101歳の梅田のおばあちゃんに会いに行く~日本滞在その4

2008-04-04 | 一時帰国・日本
上の写真は、主人の梅田のおばあちゃん、「ハマさん」なんと101歳!どう見ても、80歳台にしか見えない。肌つやもいいし、しわも少なく、ボケてなくて、記憶もしっかりしている、驚異のおばあちゃんである。

私たちは、日本に一時帰国のたびに、この梅田のおばあちゃんに会いに行く。梅田の介護老人保健施設というところに入っているのだが、おそらく一番年長だという。おばあちゃんの子供たちが近くに住んでいるので、代わる代わる訪れ、お散歩に連れて行ったりして、理想的な老後を過ごしているようだ。

今回の一時帰国も梅田のおばあちゃんに会いに行くのを私たちは最優先にして、息子たち2人を連れて行った。ひ孫に会えるのもおばあちゃんの最大の楽しみの一つである。10人ものひ孫がいるのだが、すべてどの子供たちの子供かなど関係をしっかり把握している。私たちがはるばるシカゴから会いにきているとわかっていて、いつも行くと、両手を合わせ、「よく来てくれた、ありがとう!ありがとう!」と涙を流しながら、喜んでくれるので、私たちも行き甲斐がある。

いやなことはいっさい言わず、笑顔をたやさず、いつも周りに感謝する気持ちを忘れない。そんな理想の101歳のお年寄りになるにはどうやって生きていけばいいのだろう。梅田のおばあちゃんは、梅田のど真ん中で、タバコ屋をおじいちゃんと一緒に営んできた。周りはやーさんがウヨウヨいるよすごい環境で、さぞさまざまな苦労があったろうが、5人もの子供たちを育てあげた。いったいどんな人生だったのだろうか。

私は、このおばあちゃんに会うたびに、おばあちゃんの手や肩に触ったり、ハグしたりして、少しでもおばあちゃんのいい気をもらおうとしている。私もこんな風に年をとりたいなあと。今回は、私はずっとおばあちゃんの写真を撮っていたのだが、周りの人たちとしゃべりながらも、カメラの方に顔を向けて、「写して!」とばかり、しっかりスマイルを見せたり、ピースサインを自然にしている姿に、またまた驚いてしまった。

関西メンバーとミニ同窓会~高校受験と本帰国の時期を考える~日本滞在その3

2008-04-03 | 一時帰国・日本
大阪の主人の実家に移動して、浦和にもどる前に、関西の元シカゴ日本人学校のメンバーに京都駅で会った。今回は4人の男の子メンバーとその兄弟姉妹とお母さんたち。幼稚園児や低学年の子供たちもいるので、京都駅近くの鉄道博物館に行った。

去年日本人学校小学部を息子と一緒に卒業した2人のメンバー、カツユキ君とアツシ君たちと会うのは1年ぶり。アツシ君はめがねからコンタクトに変えてイメージチェンジして、身長ものび、とてもカッコよくなっていた。カツユキ君は三重県の桑名から3時間かけてかけつけてくれた。そんなに前と変わっていなくて、あいかわらずの無邪気さも残っていたので、安心した。

2人のお母さんたちの話によると、2人とも公立の中学で、アツシ君の中3のお兄ちゃんも含めて、(4月から高校生)公立の雰囲気になじむのに時間がかかったらしい。日本人学校と違って、授業をまったく聞いていない生徒たちがクラスにいるというのに、とてもショックを受けたらしい。カツユキ君はやっと最近学校や友達に慣れてきたという。よかった。よかった。

もう2人は、京都の立命館宇治中に通うショウタ君とユウスケ君。アメリカで育ったショウタ君は、小学校5年の夏に日本へ、ユウスケ君は、息子と小学2年生のときに一緒だったので、なんと5年ぶり。

ショウタ君のお母さんの話によると、立命館は勉強面でかなり厳しいらしいが、中2から英語のクラスも帰国組は一般生徒とレベルごとに分けられ、きめの細かい授業のようだ。

対照的に、カツユキ君のお母さんの話だと、公立の中学は普段宿題があまりなく、定期テスト前にドバッとでるらしい。なので、普段勉強をしなくなったので、春休みから思い切ってカツユキ君を塾に入れたという。この辺の話で、昨今の日本の親たちの急激な私立志向の流れが理解できる。

公立と私立中学の話を聞いていると、シカゴ日本人学校中学部は、勉強に関して、やはり日本の私立中学のような感じで、塾に行かなくてもいいぐらいばっちりフォローしてくれている。毎日の宿題の量も多く、定期テスト前も2週間前から各自に計画を立てさせ、それを実践させるというきめ細やかさ。中1の始めから新教育という関東の業者の実力テストも受け、自身の偏差値も知ることができる。誰かが、日本人学校は、進学校だと断言していたが、そうかもしれない。なんといっても生徒たちの質が違う。うちの浦和にあるマンションの近くの公立中学の実力テストの平均点を見せてもらったが、日本人学校に比べてかなり低く、成績が二極化している。日本人学校ではみんなできるので、各テストの平均点も高い。

目下の私の最大の関心事は、高校受験をひかえた息子にとって、いつ日本に帰国したらいいかだ。中2か中3か・・・息子は、小学1年の2月から日本人学校なので、ここまでいたら、中3までいて、日本人学校を卒業したいという。

中3の始めで帰国して、高校受験を経験したお兄ちゃんを持つアツシ君のお母さんに聞くと、お兄ちゃんは公立の中学にはそんなになじまず、部活もほぼ終わっていたので、せず、その分しっかり受験勉強に集中し、滋賀県のトップの公立高校に受かったという。学校よりも塾で楽しんでいたという。同じような経験談を前に他の友達からも聞いていたので、中3の始めで帰るのも子供にとって大変だと思った。ただ、日本にいるから、情報はどんどん入ってくるし、先生方の対応もきめ細かく、親切でとても助かったという。

シカゴにいると、学校訪問もなかなかできず、受験情報も自分で一から調べなくてはいけない。そういう意味では、1年でも前に帰国しておいたほうがいいのだろうか。夏休みや冬休みを使って一時帰国し、日本でめいっぱいさまざまな学校に出向いて、調べられるのだろうか。息子のように野球に賭けている子供にとって、部活ができないのは、すごいストレスとなるだろう。そういう意味では、中3の最後までこちらにいたほうがいいのかもしれない。

地元の浦和の公立中学に通う野球友達のお母さんの話だと、中2の夏までに帰れば、野球部の試合も本格的にでれるという。その話を聞いたとき、一瞬中2で帰るのも手かと思ったが、アメリカと日本の中学の野球の大きなギャップに耐えていけるのだろうかと心配する。中1から本格的に試合にでられて、ほめてのばしていき、のびのびと野球ができる環境がアメリカだ。

どっちにしても、主人の会社が帰国の時期を決めるので、私たちはそれに従うしかないのだが・・・今回の一時帰国で、貴重な経験談を聞けたのが、収穫だった。



関東メンバーのミニ同窓会@新宿~日本滞在その2

2008-04-02 | 一時帰国・日本
先週私たちの日本滞在中、1年ぶりに上の息子のシカゴ日本人学校小学6年生のときの友達が、新宿の居酒屋「北海道」に集まった。男の子5人、女の子2人、そしてそのお母さんたち総勢14人。

そのうちの1人、息子が仲の良かったコウヘイ君とは、彼が小学4年生の始めぐらいに日本に帰国して以来、4年ぶりに会えた。コウヘイ君のお母さんとも私はとても仲がよかったので、4年という月日が一瞬で吹き飛んで、思い切りおしゃべりし、大笑いし、楽しい時間を久し振りに過ごした。コウヘイ君は、昔はふっくらしていたのだが、やせて背ものびて、日本の中学生らしくなっていた。

1年会わなかったマサヤ君は、やはりやせてかっこよくなり、今風の日本のおしゃれな男子中学生に変身していたし、カンちゃんやハッセもスマートで素敵な中学生になっていた。カンちゃんはちょっと大人びていたし、ハッセは昔からのかわいらしい童顔の風貌は変わっていなくて、安心した。

2人の女の子の1人、札幌から飛んできたエリカちゃんは、ちょっとふっくらしたかな。息子が言うには、いつものように男の子たちに怒涛のようにしゃべって、思いっきり場を盛り上げてくれていたという。昔から大人っぽいアベシは、去年の夏、シカゴに遊びに来てくれたときからは、雰囲気はそんなに変わってない。夏に会った時、妙に女っぽくなっていたので、ドキッとしたけど。

息子の話では、みんな昔とまったく変わっていないという。コウヘイ君とは、4年のブランクはふっとんで、お互いしゃべりまくったという。このとき会ったメンバーは、関東周辺のいい公立・私立中学に通っている子供たちばかりだったので、みんな日本の学校を楽しんでいるという感じだった。

しかし、みんな部活に忙しく、予定を合わせるのが大変だった。総体的に、公立よりも私立中学の部活のほうが、休みの日が1週間に1回あったりして、春休みもややスケジュールがゆるいようだった。公立に通っている子は、部活の後、塾にも週に何回か行かなければいけないので、結局一番忙しいようだった。

毎日毎日部活と塾に追われて、家族の団欒の時間もとりづらいと聞いて、「いつから日本の中学生はそんなに部活に振り回されるようになったのだろうか。」とふと疑問に思った。私たちの中学時代は、そこまで毎日部活に明け暮れていたような記憶はない。アメリカの中学生の方がずっと余裕があるような気がする。シカゴ日本人学校の中学生たちは、学校に部活がないので、パーク・ディストリクトや地域のリーグでスポーツ活動をしているが、せいぜい週に2、3回だ。もう少しあってもいいような気もする。日本の中学とこちらの中学のスポーツ活動をたして2で割ったぐらいのようなところが理想か。

浦和学院高校野球部練習見学~日本滞在その1

2008-04-01 | 一時帰国・日本
今回の一時帰国の大きな収穫は、埼玉県の野球の強豪校といわれる浦和学院の野球部の練習を息子に見せられたことだ。浦和学院は、埼玉県下の他の高校と比べ物にならないほどの甲子園の常連校といわれる。短い滞在でどの高校の野球部の練習の見学を見に行きたいかと息子に尋ねたら、東京の早稲田実業でもなく、自分が生まれ育った地元の浦和学院だった。

事前に電話で練習の予定をコーチに聞き、9時から始まるというので、はりきって余裕をもってでかけたのだが、武蔵野線の東川口駅からタクシーで20分以上もかかるほど遠かった。日本でいい運動施設を持つ学校というのは、交通の便が悪いのか、同じさいたま市に位置するのに、うちのマンションがある南浦和から遠く感じる。

練習がちょうど始まっているのに間に合い、ウオーミングアップするのを見る。みんな大きな声で、ひっきりなしに何かを叫びながら一斉に体を動かしている。アメリカのリトルリーグの練習はウオーミングアップに時間をかけないし、まったく声なんてださないから、なんだか不思議な光景だった。

まず2人1組のキャッチボール。じょじょに2人の間の距離をのばしていく。しまいには、グラウンドのはじからはじまでの遠投。まぶしくてボールの行方もわからないほど。みんなおそろしく肩が強いのに感心する。

私たちは、3塁側から見学していたのだが、コーチらしき人が私たちの横を通ったとき、きちんと挨拶をしてくださったし、最初にどこから見学するのかきょろきょろしていたときも1人の選手がきちっと挨拶をして、案内してくれた。日本の高校野球では、挨拶をするということは、常識なのだろうが、外部からきている者にとって、本当に気持ちがいい。

そして、2人で近距離からの速いスローイング練習。お互いスピードがあり、すごい迫力であった。ファンダメンタルをきちっとやってきているのがわかる。この日レギュラー組の30人は遠征に行っていていないというのに、このレベルだから、日本の高校野球のレベルがいかに高いか。アメリカのリトルリーグでずっとほめてのばすというやり方に慣れている息子が、どうやって日本の高校野球に溶け込んでいけるのだろうか。ファンダメンタルな練習が足りないアメリカの野球をしてきた息子だが、小さな頃から硬球に親しんできたおかげで、ボールに対するパワーはついている。アメリカの野球と日本の野球の両方のいい点を吸収した選手になったほしいと願う。

軽いトスバッティングをへて、二つのチームに分かれて、練習試合。片方のピッチャーがかなり打たれて、一方的な試合の途中、次の予定があるので、私たちは帰った。


今回の野球部見学は、あくまで日本の高校野球の練習見学が目的。浦和学院のような何人もいいプロ野球選手を輩出している日本の野球エリート校はアメリカ野球に慣れた息子には向かないであろう。いい監督の下で、チームの中でのびのびと楽しく野球ができて、国際的な面も力を入れている文武両道の高校。息子に合うそういう高校が見つかるだろうか。




一時帰国からもどって

2008-04-01 | 一時帰国・日本
昨日、日本からもどってきた。時差ボケが激しくボーッとしている。今回は3月最後の週末が関東は桜が満開にあたり、その美しさにみとれ、惜しみながらシカゴにもどってきた。

一時帰国からシカゴにもどるたび、飛行機に乗って10数時間で、まったくの横文字だらけの広い空間の異文化になるというのが、いつも不思議に思う。次男が「ドラえもんのどこでもドアで、(飛行機に乗らすに)すぐにシカゴにもどれるといいのに。」と言うのだが、私にとって飛行機でも「どこでもドア」のようなものだ。あんなに長く感じていたフライトもあっという間に着いてしまう。

日本のいい点、便利な点、不便な点、いやな点、アメリカのいい所、悪い所、便利な点などなど、いつも両者を比べながら、行き来する。最初の頃の一時帰国ではそれが、妙に目について、一喜一憂していたのが、何回も帰国を繰り返すと、日本へ一時帰国したときの心構えができていて、すぐに違和感なく日本の生活に溶け込めるようになった。初めて一時帰国したとき、日本の持ち家であるマンションのおもちゃのような小さな玄関に入ったときの衝撃は忘れられない。その感覚は完全になくなった。シカゴにもどっても然り。「やはり自分の居場所にもどってきたあ。」とほっとする。こんな風に気軽に日本とアメリカを行き来できて、双方の生活を味わえるのも、幸せなことだと思う。

しばらく、日本滞在でのことをブログに記録していこう。


日本一時帰国満喫!埼玉、千葉、東京、そして大阪へ

2008-03-24 | 一時帰国・日本
日本に一時帰国中で、埼玉県のさいたま市の浦和から千葉県の市川市、東京、そして大阪の枚方へと移動した。1週間で4県回れるのも一時帰国だから。次男は、見るもの見るもの面白いらしく、質問攻めにあう。

いろいろ最初から書きたい事はあるのだが、今日現在の日本での特記だったことは、やはり春の甲子園での選抜高校野球。昨日は2日目で、うちの地元埼玉代表の聖望学園が1回戦で小松島に2対0で勝った。ピッチャー大塚君が落ち着いたピッチングで完封勝利。地元の埼玉代表の試合はなかなか見れないので、ラッキーだった。

長男に聞くと、「日本の高校野球の聖地、甲子園にぜひとも行ってみたい!」と言うので、明日見に行こうかと。私も甲子園は行ったことがないので、楽しみである。主人は吉本新喜劇を見せたかったようだが、野球少年の息子にとって、迷うことなく甲子園をとるようだ。

明日は甲子園、あさっては京セラドームに楽天対オリックスの試合を見に行く予定。次男は、ポケモンセンターと海遊館という有名な水族館に行きたいらしい。

今日はこれからランチは蔵ずしにおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に行きます。日本は何を食べてもおいしい!幸せな滞在です。

日本へ一時帰国します~息子の高校見学とミニ同窓会

2008-03-14 | 一時帰国・日本
明日日本へ一時帰国するため、ハーパーカレッジのデッサンのクラスのプロジェクトをスタジオで5時間かけて無理矢理終わらせた。疲れた!昨日までは、子供たちの学校関係のことで忙しかった。ブログや記事も書き続けていたので、自分のつたない能力の限界を超している。どちらかにしぼらないと、バーンアウトしてしまうだろう。日本で大学のことはいっさい忘れて、充電しよう。というわけにもいかないのだろうか。

しかし、しばしの間、シカゴの日々の心配事から離れられる。海外生活は、せめたてられるようにいつも何かに追われ、子供たちのことを心配しながら、自分の身がけずられるような日々を送っているような気がする。この間日本に帰国した方からのメールで、「シカゴでは、つねに緊張感を持って生活をしていたような気がする。」と鋭い指摘があった。

日本では、1年前の上の息子の小学6年生のときの仲間たちと、関東と関西で2回ミニ同窓会をすることになった。1人の方は、はるばる札幌からくる。(たまたま用事でうまく重なった)関西では、1人の方が3時間かけて、私たちに会いに来てくれることになった。去年のシカゴ日本人学校小学部の卒業生は、全国に散っていったが、やはり絆は固い。親子でここまで仲良くなれるのは、シカゴで子供たちの大事な時期を一緒に過ごしたという連帯感が大きい。

上の息子がうちの浦和にあるマンションの近くの高校の野球部の活動を見学したいというので、思い切って電話で予定を聞いた。埼玉の甲子園出場が多い強豪校である。コーチの方が電話で、ずいぶん親切に教えてくれた。部員数がかなりの数で寮もある。こんな野球のエリート校なのに、日本の野球経験のない息子の質問にも答えてくれるという。浦和滞在が1週間なので、今回は高校見学は1校だけにした。日本の本場の高校野球を見て、息子の野球に対する思いがどう変わるか。技術の差に驚くのか、ますますやる気をだすのか。いい刺激になってほしい。

もう1週間は、大阪に移動して、主人と息子は京セラドームで、オリックス対楽天の試合を観る予定だそうだ。楽天のマー君が見たいらしい。うまくあたるといいけど。私は、早稲田大対シカゴ大の試合を京セラドームで(斉藤ユウちゃんが投げるなら)観たい。しかし家族は誰も賛成してくれないので、無理であろう。

3月30日にシカゴにもどってきて、31日のカブスの開幕戦をテレビで観ます。大阪にパソコンがあるので、また日本でのことをこのブログに書くかもしれません。皆様いい春休みをお過ごしください。