Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

ECO-AQUAにてサンゴとイソギンゲット!~横浜赤レンガ倉庫

2011-09-25 | 日本生活雑感
今週末は台風が去った後に、秋晴れのさらりとした気候が訪れた。
昨日は横浜赤レンガ倉庫でアクアリストの祭典「ECO-AQUA(エコアクア)」に行ってきた。
日本最大級の観賞魚イベントとのふれこみ。

横浜に行くなんて何年ぶりだろう・・・
私たちがシカゴに駐在している間にできたのか、横浜赤レンガ倉庫という場所も知らなかった。
息子はウルトラマンシリーズの映画で、ティガになるV6の長野君扮するダイゴが横浜市の職員になったときの舞台が赤レンガ倉庫だとさかんに言っていた。(うん、そういえばそうだった・・・あの映画のダイゴは、我が愛する平成ウルトラマンシリーズのティガのときのダイゴより年取ったな)

エコアクアに行ったというよりも横浜をぶらついたというか・・・
いつものどかな小田原の田舎にいるため、一瞬港がある都市に違和感を覚えた。
漁港といえば小田原は早川(明日友達を案内するけど)で、人は少ないし、大きなビルなんてない!
それに比べて、横浜は人だらけ、カップルだらけで、ミシガン湖を目の前にしたシカゴを彷彿させるほどの美しいビルとネイビーピアのような観覧車つき!
こういう場所にくるのもたまにはいいもんだ。

赤レンガ倉庫には海水魚と熱帯魚のショップが並び、息子は興奮しながら海水魚を物色!
残念ながらお目当ての魚はなかったが、状態のいい宮古島の小さな緑のディスクコーラルとマメスナギンチャクをゲットした。

今日はここまで~つづく




小田原市避難勧告!

2011-09-21 | 日本生活雑感
酒匂川、狩川、山王川の水位が上昇して氾濫する可能性があるため、小田原市民10万人に避難勧告がでた!
小田原市のサイトにみんなが集中してアクセスしているため、アクセスできないため、FMおだわらのツイッターサイトで詳しい情報を確認し、私たちの地域も避難勧告地域であると知る。

しかし、避難場所の方がヤバい!と二人のママ友とメールでお互い確認。
ってことで、自宅にとどまることにした。
主人早く帰ってこないかな・・・

http://fm-odawara.com/


さきほどFMおだわらで「酒匂川、狩川、山王川周辺に発令されていた避難勧告解除」との情報。
ほっとする。
雨もやんで台風はあっけなく去って行った。
うちの近所の停電は続いているらしい。
ママ友のメールで小学校に避難している知人家族がテレビに映っていたとか・・・
やっぱり、避難すればよかった・・・いや、もう少し安全な避難場所を小田原市は考えてほしい!!と声を大きくしている。

台風15号浜松市付近に上陸!

2011-09-21 | 日本生活雑感
現在2時25分。
ついに台風15号が浜松市付近に上陸したと気象庁が発表。
と同時に小田原の自宅に吹きつける風と雨の勢いが増している。
マンションの前の電線が大きく揺れて、窓を吹き付ける風の音がゴンゴンしているほど。
12時に小学校に息子を迎えに行ったが、風が強くて傘がさせない状態。
学校に行く直前に近所のママ友に車で買い物に連れて行ってもらい、そのまま学校へ一緒に向かった。
東海道新幹線も新大阪から東京間で止まっている。

名古屋周辺に住むシカゴ仲間3人にメールしたら、2人は大丈夫、1人の人の近所はテレビにも映り大変な状況らしい。
だが、みんな無事の模様。
上の息子の高校も2時間目で帰されたというから、埼玉も暴風雨がすごいのだろう。

おおっ、今関西に住むシカゴ仲間からメールあり。
雨は止んで時々強い風。
昨日、今日と警報がでていたので、子どもたちの学校は休校で、まさかの5連休だったらしい・・・

福井、三重、静岡、そして全国にいるシカゴ仲間たち、大丈夫かなぁ・・・
もしも、みんなブログ読んでいたら、書き込みお願いします!


16時現在、静岡に上陸した台風15号は1時間に45キロの速さで北東に向かっているらしい。
静岡では最大瞬間風速45メートルを観測!
現在の小田原は風のピューピューいう音が常に響きわたり、木々が大きく揺れ、台風が神奈川に近づいているのがわかる。
テレビのNHK報道は台風一色で、さかんに小田原市内の暴風雨の様子を映し出している。
やはり東海道線も止まった模様。
去年の台風もそうだった・・・
外に出るのは危険だ!

ミケランジェロ・デッサン展の感想~画家早川俊二~橋本宙八氏から その2

2011-09-17 | アート
新年の挨拶と共に、友人達に「ミケランジェロ・デッサン展の感想」をお送りしたところ、早々に橋本宙八(はしもと ちゅうや)さんから読後の感想文が届いた。橋本さんは美術の専門家ではないが、ここで語られた深く核心を突いている芸術観には感動した。
橋本宙八さんはおよそ40年の経験を持つ、桜沢如一玄米菜食・マクロビオチックの現在第一人者であり、指導者である。
1986年4月の末、チェルノブイリの原発事故があった年、僕はそれまでの不養生がたたって身体の調子が悪く、このままやっていてまともに人生が送れるだろうかと、不安を持ちながら毎日を過ごしていた。同年の夏、パリ観光を兼ねて訪れた友人が、「新しき世界」という雑誌を置いていってくれた。その日、僕ら夫婦は一気に読んだ。

一般常識と正反対の視野に立つこの世界に驚嘆し、深く納得し、早速翌日から玄米菜食・マクロビオチックの実行となった。環境、食べ物、人生観、東洋思想の陰陽理論。そして何よりも、デッサンをしている中で出会っていた長谷川等伯の「松林図屏風」が一体となって、ぐるぐると物凄いエネルギーを持って渦巻き始めたのだ。僕の絵画人生はこれを実践しなければ、求める「松林図屏風」のような世界に到達出来ないだろうと思えた。

その後、マクロビオチック関係の本を手当たり次第に読んで勉強した。
橋本宙八さんはすでに先達として活躍しておられて、書かれた彼の記事を読んで、凄い人がいるものだと感心した。特に、現在、自宅兼仕事場(マクロビアン・半断食セミナー)にしているいわき山中の建物は、山奥の手付かずの原野を夫婦二人だけで伐採、開墾し、自力で建てられたものであり、奥さんのちあきさんはその自宅で、助産師さんの介助なしで自力出産、5人のお子さんを出産され、自然丸ごとの子育てをされたという、恐るべき逞しさに心底圧倒された。

1992年に、橋本さん夫妻が「チェルノブイリの放射能被爆者の子供達の保養滞在を受け入れる」という記事を読んで、感激した結子さん(早川氏の奥様)が支援カンパしたことと、その後AS会員でもある俵谷さん夫妻が、橋本さん主催の半断食セミナーに参加したことがご縁で、以来、親しくお付き合いをして頂けるようになった。
橋本宙八さん、ちあきさん夫妻の実践、行動を拝見していると、人生そのものが感動的な生きた芸術なのだ。

この紙面をお借りして、橋本宙八さんの感想文を紹介させて頂くことをお許し願いたい。

2011年2月 早川俊二


早川俊二様

ミケランジェロ展の感想文、お送りいただきありがとうございました。
絵に関して素人の私が絵画展に行っていつも気になることは、絵をどのように楽しめばいいのか?という、じつに素朴な疑問です。
何かを感じれば、とか、楽しめば、とか言われますが、ルーヴル美術館で絵を見た時に最も興味が湧いたのは、有名な画家たちが、どのような目的や気持ちで絵を描いているのだろうか?というものでした。描かれている世界が、一体何を表しているものなのか?にもっぱら強く興味を惹かれたのです。

そんなこともあって、早川さんが他人の絵をどのような視点で見ているのかは、とても興味のあることでした。その意味で、今回のミケランジェロ展の感想は、なるほど、早川さんはそんな気持ちで絵を見ていたのか?ということが分かり、とても面白かったです。ありがとうございました。
その感想の中で「芸術とは何か?」について考えたと言われていますが、これは、早川さんの真摯な、そして、自分のされていることの原点を忘れないようにという姿勢が出ている、とても素晴らしい自問だと思いました。ミケランジェロのデッサンが驚くほど「自然」であった、という感想にも「なぜ早川さんはそう感じたのだろう?」と、とても興味を持ちました。

私事ですが、昨年の暮れに大学時代の恩師である北沢方邦氏(文化人類学者=信州大学名誉教授)が80歳にして数ある著書の中で初めて詩集を出し、それを贈ってもらった際、お礼に書いた一文を思い出しました。
氏は、ピアノもフランス語も英語も数学も、すべて独学で身につけたという、驚くべき才能の持ち主で、構造主義やインディアン文化をいち早く日本に紹介した人でもあり、知的な文明論者として、日本の知者30人の指に入ると言われている人です。
 そんな北沢先生がつい先頃上梓した詩集は、「目に見えない世界のきざし」。そのテーマは、「見える文明から見えない文明へ・・・」。いわば、現代文明が、その行き詰った壁を打破するためには、物質的、経済的、見える世界を中心に展開している西洋文明一辺倒の世界から、より精神的、文化的、見えない世界をも包含してある東洋の文明への転換に移行していかなければならないという、新しき文明論を高らかに謳った詩集です。

その詩集を読んで、なぜ先生が、人生の集大成の時期に当たる今頃、得意の知的、論理的表現の文明論ではなく、詩という芸術によるものだったのか?という疑問を感じました。そこで、私なりに、「見えない世界の重要性を提言し続けていた先生にとって、言語や論理での表現方法は、当初からもっとも大きなジレンマであり、それを超えた世界で表現したかったのではないのでしょうか?」そのためにも、「自然や宇宙、その本質のリアリティーをそのままに、先生のいのち丸ごと表現するためには、芸術という形でしかそれを表すことが出来なかったのではないのでしょうか?」という感想を書かせてもらいました。これは、思いがけず先生にも喜んでいただきましたが、じつは、これが「芸術とは何か?」に対する私なりの見解だと思っています。

これを書きながら、5年ほど前、パリ訪問の際、早川さんに現代絵画のギャラリーに連れて行ってもらった時のことを思い出しました。その時、とても印象に残っているのは、現代アートのインスタレーションを見た後で、「作品に神を感じられないものは、ただのガラクタだと思うな」という早川さんの一言でした。
これは、一緒にルーヴル美術館に行き、多くの優れた古典の作品を見た後であっただけに、「まさにその通り!」と思う一言でした。「神を感じさせるもの」に、「芸術とは何か?」の深遠な早川流の解釈が見事に言い尽くされているように感じました。もちろん、特別な宗教者ではない早川さんですから、この神という意味が、世間でいうところの、キリストやブッタやモハメッドであるはずがありません。それは、宗教を包含してあるところの宇宙の実在、真理、究極のリアリティーといったものでしょう。恩師の北沢方邦氏が、言語や論理で語りつくせなかった文明論を、詩の世界で表したいと思った意味もまたここにあるように思います。

ミケランジェロのデッサンが思いのほかさりげない「自然」であった。という感想もまた素敵でした。ミケランジェロについてはごく一般的な知識しかない私にとって、早川さんのこの一言で、コロリと、「ああ、やっぱりミケランジェロって偉大な芸術家だったんだ!」と認識を新たにさせられました。(笑)
なぜそう思ったかと言えば、じつは、初めてのルーヴル美術館で、何時間もかけて作品を見終った時、私が感じた率直な感想は「少々うんざりした」だったからです。
というのは、数ある作品のどれもが人間の姿に具人化されたものばかりで、これでもかというほどに色を使い、脂ぎっていて、饒舌で、写実的過ぎて、絵画に素人の私にとって、見えない世界を見ようとする、微かな感性を邪魔するものばかりに思えたからです。言うなら、その時の私にとっては、神を描いてあるはずの作品に、少しも神を感じることが出来なかったからでした。これは、私の力量の無さであることは言うまでもありません。

勿論、そこにあった作品が、見えない世界を色でリアルに描こうとする西洋人の手になる作品ばかりであることは重々承知の上でしたが、現実にそれを目の当たりにして見ると、それらが、私の想像や感性をはるかに超えて強烈なものであったからだと思います。その意味で、ミケランジェロの作品にはそうしたものとは異なった、驚くほどさりげない「自然」、つまり、神や宇宙のリアリティーを感じた。という早川さんの感想に、やはり偉大な芸術家は、西洋、東洋の区別無く、手法の区別なく、モノや現実を超えた世界を描けているんだなと知り、とても嬉しい気持ちになったのです。

偉大な芸術とは、論理や言語を超えて、宇宙(神、仏)のリアリティーを作品の上に、この、今という消えゆく一瞬の内に、作者や見る側のすべての感性、世界観、いのちも環境も丸ごと包含して存在するもの、まさに自然のように、空気のようにさりげなく、そこになくてはならずアラワレテ在るもの・・・なのかも知れませんね。

西洋の油絵と東洋の墨絵の手法は、180度その目指すところが異なっていると思います。見える世界をことごとく描こうとすれば、七色を存分につかって描く世界となるでしょうし、色であって色でない黒と白しか使わない墨絵の世界は、いわば、色を極力使わずに色の世界をどれだけ存分に心の中にアラワレさせることが出来るか?という世界ではないかと思います。これは、どちらがいいとか悪いとかいうものではなく、まさに国や民族の感性の違いであり、共に優れた芸術の異なる方法だと思います。
その意味で、早川さんの絵についての私見を述べれば、早川さんは、見える世界を描き出すのに便利な西欧的絵画の手法(油)によって、色を使わない東洋的な墨絵の世界、つまり、見えない世界を徹底的に描きたいと思っているのではないのでしょうか?
これは描く側にとっても、色によって色を消すという、大変矛盾した行為でもあると思いますが、その困難な世界に挑戦しているのが早川さんの絵ではないかという気がします。

大好きな友人を思い切り褒めるとすれば、「パリという、欧州の“見える世界”の本拠地に長年どっぷりと住みながら、遠い“見えない世界”の日本の心をいつも想い、だからこそ余計に、私たち以上にそのことをいつも強く想い、身体を張って、絵によって西洋文明と東洋文明の架け橋になろうという芸術の新境地に果敢に挑戦しているすごい画家!」ということになります。そして、その難しい課題をすでにかなりなまでに具体的に成功させている人、それが画家、早川俊二ではないだろうか?とそう思っています。
まさにこれは、私の恩師が言語と論理の壁を感じながら、詩という芸術によって新しい文明論を伝えようとしているのと同じことではないか?と思いました。
的外れな感想であったらご容赦!

閑話休題ですが、かつて地元福島の造り酒屋の蔵元を訪ね、そこの杜氏さんと話をした時、私の、「どんな酒を造りたいですか?」と言う質問に、彼は間髪入れずに、「水のような酒を造りたいですね」と言いました。それを聴いた時、「これこそ究極の酒だ、この人はすごい!」とその杜氏さんの酒というものに対する深い理解を感じたことがありましたが、この心は、どこか早川さんの絵に賭ける思いに通ずるところがあるのではと思っています。
水は酒と違い、いつでもどこでも、死ぬまで飲み続けなければならないものですからね。これもまた的外れのコメントでしたらゴメンナサイ。
以上、嬉しかった早川さんの感想文に対する私見です。早川さんには、今後もぜひ芸術の王道を究めていただきたいと心からそう願っています。
今年もまた、作品作りにとって良い一年でありますように・・・・。

2011年1月7日         橋本 宙八

写真は2009年3月アスクエア神田ギャラリーにて開催された早川俊二大作展の中の作品
「まどろむAmely-1(2008)」

ミケランジェロ・デッサン展の感想~画家早川俊二 その1

2011-09-16 | アート
今日は久しぶりにパリ在住の画家であり、大切な友人の早川俊二氏とスカイプで話した。
残暑の厳しい日本と打って変わって、地球の裏側のパリの気温は22、3℃という秋まっただ中で、スカイプ画面に現れた早川さんはジーンズ地の長袖姿。
私が早川さんと話したパリ時間は朝の7時で、外を見るとまだ薄暗く、ようやく夜が明け始めたという感じ。

ちょっと前にアスクエア神田ギャラリーの伊藤厚美氏から「アート・スクエアの会」発行のAS会誌特別号(2011 May)が送られてきていて、その中に早川さんが長年見たかったミケランジェロ・デッサン展の感想文が掲載されていた。
ミケランジェロ・デッサン展は去年ウイーンのアルベルチーナ美術館で開催され、12月に早川さんが見に行って、自身の絵画に一番影響を与えたミケランジェロのデッサンに対する自身の芸術観を見極めたといっても過言ではない。

60歳になる早川さんが、ミケランジェロから与えられた新たな渦巻きのようなインスピレーションを今後どう自分の絵画に生かすか考えていた矢先に、3月11日の東日本大震災が起こり、早川さんの心は大きく揺れたという。
「自分と日本、あるいは日本社会」「生きているということ」さまざまなことを考え、落ち込み、5月末まで仕事をできるような状態ではなかった・・・と正直に語る早川さん。

その後やっと本格的に仕事をやりだしたという。
今後ミケランジェロ・デッサン展がどのように作品に投影されていくか楽しみである。
というわけで、前置きが長くなったが、早川さんのミケランジェロ・デッサン展の感想文をこのブログで紹介する。(本人からの掲載許可はとりました)
本物の画家でないと伝えられない言葉がちりばめられている。
さあ、私たちも早川さんの言葉とともに時空を超えて遠い宇宙のかなたにあるかのようなミケランジェロへの旅にでようではないか!


「ミケランジェロ・デッサン展の感想」    早川 俊二

                  
2010年の12月、ウィーンのアルベルチーナ美術館で開催されていたミケランジェロのデッサン展を観た。
2003年にルーヴル美術館で開催されたデッサン展では、ルーヴル美術館所蔵の作品を中心に42点ほど展示されており、実物のミケランジェロのデッサンを初めて観て、図版で想像していた以上の世界に感動した記憶は忘れられない。しかしその時、大英博物館所蔵の「聖母マリアと聖ヨハネのキリスト磔刑図・1555~1564作」を観られるかと期待して会場に勇んで行ったが、展示されていなくてがっかりしたことも記憶の中に残っていた。

この作品は、僕がそれまで学び培ったものを捨てて白紙に戻し、再度デッサンから勉強し直すために学校に通っていた頃、対象を描写するという次元から成長して、創造するという意味を気付かせ教えてくれたデッサンであった。その後、制作中壁にぶつかって悩んでいるとき、何度となくこのデッサンの図版を見てはインスピレーションを沸かしたものだった。この作品でなくても、ミケランジェロの本物のデッサンを観ることが出来れば良かったが、ルーヴル美術館のキャビネのデッサン室で特別に閲覧許可を取っても、なかなか見せてもらえないということで、「les Carnets de Dessins」という、わりと印刷の良いデッサン集を見ながら想像を逞しくして勉強したのだった。

アルベルチーナ美術館は、ミケランジェロの「ピエタ像・1531~1534作」の赤チョークのデッサンを所蔵しており、今回のミケランジェロ・デッサン展で、これら2点の作品が展示されているのが分かった翌日にはウィーン旅行を決定した。
実際に会場に入ると120点ほどが展示されていて、殆どの代表作が集められていたのには驚いた。僕が生きている間にこれだけの作品をまとめて観られることは多分ないだろうと思えるので、このチャンスを授かったことに感謝した。
ウィーンには昼過ぎ到着し、ホテルでチェック・インを終えたのは午後3時過ぎだった。すぐにでもExpo会場に行きたかったが、事前にネットで調べておいた菜食レストランで安心して食事が出来ることを確認したり、街を散歩したりして体調を整え、翌日に備えた。
 
第一日目は朝から降り続いている雪の中を歩いて会場に着いたが、寒い中で、すでに20人位待っていた。アルベルチーナ美術館は特別展の会場らしく、ミケランジェロのデッサン展の他、ピカソの「平和と自由」、あといくつかの現代作家らしい特別展が開催されていたが、僕の目的は一つ、それもミケランジェロの2点のデッサンなので、他の展覧会にはまったく興味が沸かなかった。
チケットを購入し、逸る気持ちを抑えながら会場に入った。まだ十数人しか入っていなくて小さなデッサンを見るには都合良かったが、まず目的の「聖母マリアと聖ヨハネの磔刑図」に直行した。それは最後の壁に飾られており、他のデッサンを素通りして、このデッサンから目をそらさず、何かに吸い込まれるように近寄った。
不思議なのだ! 今までどういうデッサンも、必ずというほど視点が合って、視線が止まるところがあるのに、このデッサンは、近寄って30センチ位のところで辛うじて止まったのだ。こんな感覚は初めてのことで戸惑った。30数年も図版で想像を逞しくしたからだろうか?期待していたほど強い抵抗感がなくて、むしろデッサンを通り越し、その先の空間、宇宙とでも言えるような大空間に放り出されたような感覚だった。


「聖母マリアと聖ヨハネのキリスト磔刑図」1555~1564年

第一印象はこれ以上言葉にならなかった。
それから舐めるように画面に見入った。紙は時間と共についた染みが有機的に作用して少々グレーに見えるが、物質感があり温かい。そこに黒鉛で引かれた繊細な線と調子で、絵柄が現れてくるまで忍耐強く積み上げるように描かれているのだ。像が決定出来るまでに何度となく引かれた線や紙の目を利用した複雑な調子が波動となり、眼を心地よくくすぐる。白からリズミカルに無限大の階調を経て黒へ到達するのだが、黒から突如白に回帰し、再び観ることを繰り返して終わることがない。すごい絵だ!
僕が図版でこのデッサンに出会ったときは、キリストのお腹の調子から腋の下の陰の調子に異常に惹きつけられた。それまでいろいろな作家のデッサンを見てきたが、この様なしっとりした調子に出会ったことがなく、黒鉛でここまで出来るものなのかと驚嘆したことを思い出す。図版では絶対見ることが出来ない微妙な調子が乾・湿を織り成しながら、求心的に密度を形成しており、周辺の空間から黒鉛の粒子が光と共に集まる様は、聖ヨハネ、聖母マリア、キリストという絵柄を借りた宇宙ではないか?
ミケランジェロが晩年に、「神を見た」と叫んだそうだが、キリスト像の向こうに宇宙をみたのではなかろうか? そう考えると僕の頭は合点がいく。このデッサンはあまりにも自然なのだ。

最大の目的のデッサンを思う存分観たので最初に戻り、初期から順を追って観てみた。初期にはペンで描かれた肉体の筋肉のエチュードが多く、僕はあまり興味が沸かなかったが、大変リズミカルな感覚を持った人だと思った。そういう中に赤チョークで描かれた「Doni Madonnaのための頭部のエチュード・1504~1507作」があって、軽くサッと描かれたふくよかな線と調子、その上手さに感動する。デッサンは赤チョークか黒鉛で描かれたものがよく、特に陰の調子がふくよかに湿っているものに僕は惹き寄せられる。
これも、これもと傑作が並んでいてビックリしたが、いよいよ第二の目的の赤チョークの「ピエタ像」の前に来る。この作品はやはり学生の頃、スキラ社発行の、確か「Le dessin」というタイトルの、アルタミラの壁画から現代までの代表的なデッサンを集めた画集の中に収録されていたもので、出会った時の衝撃はすごかった。貧乏学生にはあまりに高価な画集だったので購入することが出来ず、学校の帰りにしばしばFNACの美術書コーナーに寄って立ち鑑賞したことを思い出す。


「ピエタ像」1531年~1534年

実物は赤チョークと、わずかにアクセントで入れた黒鉛のせいか、色気がほのかに立ち昇り、大河の流れのようなゆったりしたリズムが実に優雅なのだ。人体を描いているにもかかわらず、大自然を見ているような感覚を与えてくれる。若干輪郭の線が気になるが、たいしたことではない。それに対して濃密な身体の調子は驚くばかりだ。どう描いたらここまで密に出来るかと感心してしまう。殆どの場合、描き込むといやらしく重くなってくるものだが、それが無い。天才だけが成せる業なのか?

1974年秋に1~2年の予定で渡欧し、まず出来るかぎり重要な美術館を廻ってみようと、莫大な量の絵を観ているうちに、これは模写どころではない、まずデッサンから勉強し直さなければならないなと思えて、とりあえず1976年にパリ国立美術学校に入学した。東京で十分デッサンを勉強したので、油絵教室に登録しながら勉強することも出来たが油絵のことは考えず、デッサンだけに集中するため、Marcel GILIのデッサン教室に登録し、学生として在籍出来る最終年度1981年まで、ここの教室にほとんど毎朝通った。GILIの教室は自由で、描く材料は何でもよく、単色であればデッサンとして認めてくれて、スタイルも、モデルを描写することから現代流行の抽象画まで許され、学生は思い思いに自由に制作していた。

僕はその中で「対象を見て描くことは何なのか?」「絵画芸術とは?」「芸術は人間にとってどういう意味があるのか?」というような大きな命題を抱えながら、ひたすらモデルの頭部を中心にデッサンした。これらへの答えは未だによく分からないのだが、考えながらデッサンをしているうちに、自分がそれまで持っていた偏狭な芸術観から解放され、自由な芸術観が生まれてきた。これは丁寧に教えてくれ僕の硬い意識の殻を破ってくれたMarcel GILIのお陰だった。
「デッサン」というとき、下書き程度の素描だと思っている人が多いだろう。それは意味的には間違いないのだが、デッサンは平面芸術として最もミニマルな行為なのだ。時折本命の絵画、彫刻以上の次元まで突き詰めたデッサンに出会うことがある。多分、描く材料に技術的な駆使をすることが少なく、描く行為に最大限力を注ぐことが出来るからかもしれない。もっとも、デッサンを魅了してやまないような芸術作品に高めるのは容易なことではないが・・・。

結局、デッサン展にはパリに戻る当日まで3日間、毎朝通った。出来るかぎり見逃しがないように、また少しでも多く記憶細胞に刻み込めるようにと願ってのことだった。
第一日目にミケランジェロのデッサンを十分観た後、近くの美術史博物館のブリューゲルを観ておこうということになり、行ってみた。
ブリューゲルの部屋には、名作「雪中の狩人」「農民の婚礼」「バベルの塔」などあり、ブリューゲル好きの人にはたまらない部屋だろう。油絵を薄く塗り上げながら、これでもかというように細部描写しているにもかかわらず、それなりに格調があり認められた。
フェルメール、レンブラント、ラファエロと、彼らの傑作を見て美術館を早々に出た。その後、折角ウィーンに来たのだから、エゴン・シーレの「死と乙女」とクリムトの「接吻」を観ておくべきだろうとの思いで、大雪の中を歩いてベルヴェデーレ美術館を訪ねた。  
彼らの絵の前に立って、判断力のない自分に腹が立った。愕然としたのだ!
午前中十分観て味わった、ミケランジェロの格調の高いエッセンスといえるようなものがどんどん淡くなって記憶から遠ざかっていくのだ。
「死と乙女」「接吻」両方とも激しい題材で刺激的だが、絵として単純で薄っぺらく、あまりにも表面的なのだ。ブリューゲルを観ている時に何かが逃げてゆくなと、チラッと感じ始めていたのだが、ここで他の作家の絵を見るべきではなかったと悔いた。残る日をミケランジェロだけに絞り、他の絵は見ないことにして早足に美術館の出口へ向かった。
 第二日目、三日目はミケランジェロを思う存分観た。特に1530年代からその後のものを中心に、もう良いかと思えるまで観た。
絵というものは大きさではない。現に、これらのデッサンはおよそ25X35㎝のものがほとんどだが、どんなに大きな油彩画と比べても存在感は強い。多くの絵が対象の描写であったり、物語の絵画化であるが、これらのデッサンは創造されているのだ。
絵は、深遠な空間をいかに創造するかが問題なのだ。


「ピエタ像」1533年~1534年

30数年前に図版で出会ったデッサンに今回初めて実物と対面したのだが、油絵を本格的にやる様になって、このデッサンが与えてくれた創造の意味を、油絵でやってみようと決意したのは25~6年前のことだ。同じような世界観を持った作品にするには、市販の油絵の具では出来ないので、絵の具を自分で練り始めた。満足できるものがなかなか出来ずに苦労してきたが、特に白色には苦労した。それがこの秋の小品展に出品した作品を制作しているときに、やっと白が出来たと思えた。 
さあ、これから大作にかかるかな、と思っていた矢先にミケランジェロのデッサン展が舞い降りてきたのだった。
なんという因縁だろうか!

期待していたものは想像をこえ、密で軽く豊か、強靱且つ繊細。これらは開かれた自然であった。これらのデッサンを観る人はあらゆる言葉で言い表すことができるだろう。なぜなら、白から黒への無限大の光の中に、人間の喜びや悲しみと共に存在の全てが創造されているだろうから。
人類美術史上の頂点に立つこの大天才が描いた最晩年のデッサン、おそらく今後もここまで到達できる人は出てこないだろう。
ダニエル・ダ・ヴォルテラが描いた、透明で、宇宙の彼方をみているような目をし、人類の孤独に触れてしまったと思われる老ミケランジェロに無言で挨拶をし、会場を後にした。

パリ    2010年12月28日

この後、早川さんの感想文に対する橋本宙八氏の感想文も投稿する予定なので、おみのがしなく!

高校生の上の息子の夏休み~リア充ってことで・・・

2011-09-13 | 日本の教育一般
このところ夏休み後半から忙しくなってきて(といってもいたってマイペース)ブログ更新できてなくてすみません。
夏休みの投稿は小学生の下の息子との自然での活動ばかりで、読者も「高校生の上の息子はいったいどうなっているの?」と気にしているだろう。
ちょこっと説明してみよっと。(といっても時間がないので、さっと)

上の息子はいたって元気で夏休みも彼なりに活動を広げ、しっかりとあつ~い夏を彼なりに謳歌した模様。
1学期の成績もそれなりに納得がいったような感じでほっとする。(苦手な物理や化学がよかったのがなによりです)
委託ホームの面倒をみてくださっているホストさんのおかげで、1学期無遅刻無欠席だった。
そして、1学期終了後、7月半ばに小田原に帰ってきて、たしか記憶では政経部の課外活動を企画し、警視庁や皇居などを部で見学。
警視庁ではその武器を見て興奮!(こういう男の子の気持ちは理解できん!)

その後、慶応義塾高等学校主催(慶応女子共催)の招待討論会に出席。
息子の話では「かちっとしている」(硬い感じなのかしら?)感じの討論会。
石神井の早稲田高等学院主催の討論会は柔らかい(?)印象だから、討論会では歴史のある慶応とは対照的。
両方の大学の校風が付属高校の活動にもでるのだろうか・・・
議長として息子の高校の女子の先輩も参加していた。
息子もさまざまな討論会に参加して、高校2年生にして、すでに討論会ではベテランの域になりつつあるのかな?(本人は否定するだろうが)


8月は沖縄旅行の後、こども国会の本会で国際関係の分科会を担当し、せっせと資料作りにいそしみ、分科会のファシリテーターとして1泊2日の日程をこなし、満喫した模様。
先日そのときの写真を見せてもらったが、大学生とともに活動している、どう見ても高校生に見えない息子ともう一人の女子高校生ファシリテーターコンビに思わず、「(似たものコンビで)合っている!」と叫ぶ。
子ども国会の代表のきれる大学生の人がイケメンなので、「やっぱり」と思わずうれしくなる。
毎回来ている小学生の男の子も発見!熱心だな・・・将来が楽しみだ!

8月の終わりは自転車部の2泊3日の合宿に参加。
茅ヶ崎から湯河原、熱海、伊東あたりまで湘南・伊豆エリアを自転車でひさすら60キロぐらい(もっとかな?)走ったらしい。
温泉付きの施設のいい旅館や早稲田大学のセミナーハウスに泊まって、充実していた模様。
詳しくは今週あたり息子がブログで長々と報告するだろう。
やつのブログはため込んで吐き出すので長い!ながすぎる!とおばあちゃんが嘆いていた。→久しぶりにアップされた息子のブログでは、私のアドバイス通り細切れにされていた。

なんかもっといろいろあったような・・・年のせいか覚えてないわ。
夏休みの課題もクリアしたとか、昨日息子からメールがきた。
息子の学校はメリハリがある。
大学の付属校なのでのんびりできるかと思っていても、やることをしっかりやらないと赤点くらう。
結果をださないと留年までいってしまうという恐ろしさがあるから、親たちは学年末にはハラハラしながら結果を待つ。
教科書の数も他の学校より多く、4倍ぐらいの値段がかかるからきっと高度な内容をしているのだろう。
ユニークな先生も多く、授業も十二分に楽しめるらしいが、点のつけ方はかなり厳しい学校である。

そうそう、3月に卒業した先輩の中にAKBメンバーがいたらしいという事実にびっくり。
芸能活動と学業との両立、卒論までこなして卒業し、無事大学に入学したようだからその根性に脱帽。
学部も政経部らしいから(?)いい成績をキープしていないと人気の政経部には入れないから、その努力は本物だ。
正規メンバーに昇格しているみたいだから、今後大学と芸能活動をうまく両立させて頑張ってほしいもの。

息子よ、2学期も決して1科目も落とさず、頼むぜ!(ホームにいるから私たちはどうすることもできないので)
ホームのホストさん、くれぐれも息子のことをよろしくお願いします!