今日は久しぶりにパリ在住の画家であり、大切な友人の早川俊二氏とスカイプで話した。
残暑の厳しい日本と打って変わって、地球の裏側のパリの気温は22、3℃という秋まっただ中で、スカイプ画面に現れた早川さんはジーンズ地の長袖姿。
私が早川さんと話したパリ時間は朝の7時で、外を見るとまだ薄暗く、ようやく夜が明け始めたという感じ。
ちょっと前に
アスクエア神田ギャラリーの伊藤厚美氏から「アート・スクエアの会」発行のAS会誌特別号(2011 May)が送られてきていて、その中に早川さんが長年見たかったミケランジェロ・デッサン展の感想文が掲載されていた。
ミケランジェロ・デッサン展は去年ウイーンのアルベルチーナ美術館で開催され、12月に早川さんが見に行って、自身の絵画に一番影響を与えたミケランジェロのデッサンに対する自身の芸術観を見極めたといっても過言ではない。
60歳になる早川さんが、ミケランジェロから与えられた新たな渦巻きのようなインスピレーションを今後どう自分の絵画に生かすか考えていた矢先に、3月11日の東日本大震災が起こり、早川さんの心は大きく揺れたという。
「自分と日本、あるいは日本社会」「生きているということ」さまざまなことを考え、落ち込み、5月末まで仕事をできるような状態ではなかった・・・と正直に語る早川さん。
その後やっと本格的に仕事をやりだしたという。
今後ミケランジェロ・デッサン展がどのように作品に投影されていくか楽しみである。
というわけで、前置きが長くなったが、早川さんのミケランジェロ・デッサン展の感想文をこのブログで紹介する。(本人からの掲載許可はとりました)
本物の画家でないと伝えられない言葉がちりばめられている。
さあ、私たちも早川さんの言葉とともに時空を超えて遠い宇宙のかなたにあるかのようなミケランジェロへの旅にでようではないか!
「ミケランジェロ・デッサン展の感想」 早川 俊二
2010年の12月、ウィーンのアルベルチーナ美術館で開催されていたミケランジェロのデッサン展を観た。
2003年にルーヴル美術館で開催されたデッサン展では、ルーヴル美術館所蔵の作品を中心に42点ほど展示されており、実物のミケランジェロのデッサンを初めて観て、図版で想像していた以上の世界に感動した記憶は忘れられない。しかしその時、大英博物館所蔵の「聖母マリアと聖ヨハネのキリスト磔刑図・1555~1564作」を観られるかと期待して会場に勇んで行ったが、展示されていなくてがっかりしたことも記憶の中に残っていた。
この作品は、僕がそれまで学び培ったものを捨てて白紙に戻し、再度デッサンから勉強し直すために学校に通っていた頃、対象を描写するという次元から成長して、創造するという意味を気付かせ教えてくれたデッサンであった。その後、制作中壁にぶつかって悩んでいるとき、何度となくこのデッサンの図版を見てはインスピレーションを沸かしたものだった。この作品でなくても、ミケランジェロの本物のデッサンを観ることが出来れば良かったが、ルーヴル美術館のキャビネのデッサン室で特別に閲覧許可を取っても、なかなか見せてもらえないということで、「les Carnets de Dessins」という、わりと印刷の良いデッサン集を見ながら想像を逞しくして勉強したのだった。
アルベルチーナ美術館は、ミケランジェロの「ピエタ像・1531~1534作」の赤チョークのデッサンを所蔵しており、今回のミケランジェロ・デッサン展で、これら2点の作品が展示されているのが分かった翌日にはウィーン旅行を決定した。
実際に会場に入ると120点ほどが展示されていて、殆どの代表作が集められていたのには驚いた。僕が生きている間にこれだけの作品をまとめて観られることは多分ないだろうと思えるので、このチャンスを授かったことに感謝した。
ウィーンには昼過ぎ到着し、ホテルでチェック・インを終えたのは午後3時過ぎだった。すぐにでもExpo会場に行きたかったが、事前にネットで調べておいた菜食レストランで安心して食事が出来ることを確認したり、街を散歩したりして体調を整え、翌日に備えた。
第一日目は朝から降り続いている雪の中を歩いて会場に着いたが、寒い中で、すでに20人位待っていた。アルベルチーナ美術館は特別展の会場らしく、ミケランジェロのデッサン展の他、ピカソの「平和と自由」、あといくつかの現代作家らしい特別展が開催されていたが、僕の目的は一つ、それもミケランジェロの2点のデッサンなので、他の展覧会にはまったく興味が沸かなかった。
チケットを購入し、逸る気持ちを抑えながら会場に入った。まだ十数人しか入っていなくて小さなデッサンを見るには都合良かったが、まず目的の「聖母マリアと聖ヨハネの磔刑図」に直行した。それは最後の壁に飾られており、他のデッサンを素通りして、このデッサンから目をそらさず、何かに吸い込まれるように近寄った。
不思議なのだ! 今までどういうデッサンも、必ずというほど視点が合って、視線が止まるところがあるのに、このデッサンは、近寄って30センチ位のところで辛うじて止まったのだ。こんな感覚は初めてのことで戸惑った。30数年も図版で想像を逞しくしたからだろうか?期待していたほど強い抵抗感がなくて、むしろデッサンを通り越し、その先の空間、宇宙とでも言えるような大空間に放り出されたような感覚だった。
「聖母マリアと聖ヨハネのキリスト磔刑図」1555~1564年
第一印象はこれ以上言葉にならなかった。
それから舐めるように画面に見入った。紙は時間と共についた染みが有機的に作用して少々グレーに見えるが、物質感があり温かい。そこに黒鉛で引かれた繊細な線と調子で、絵柄が現れてくるまで忍耐強く積み上げるように描かれているのだ。像が決定出来るまでに何度となく引かれた線や紙の目を利用した複雑な調子が波動となり、眼を心地よくくすぐる。白からリズミカルに無限大の階調を経て黒へ到達するのだが、黒から突如白に回帰し、再び観ることを繰り返して終わることがない。すごい絵だ!
僕が図版でこのデッサンに出会ったときは、キリストのお腹の調子から腋の下の陰の調子に異常に惹きつけられた。それまでいろいろな作家のデッサンを見てきたが、この様なしっとりした調子に出会ったことがなく、黒鉛でここまで出来るものなのかと驚嘆したことを思い出す。図版では絶対見ることが出来ない微妙な調子が乾・湿を織り成しながら、求心的に密度を形成しており、周辺の空間から黒鉛の粒子が光と共に集まる様は、聖ヨハネ、聖母マリア、キリストという絵柄を借りた宇宙ではないか?
ミケランジェロが晩年に、「神を見た」と叫んだそうだが、キリスト像の向こうに宇宙をみたのではなかろうか? そう考えると僕の頭は合点がいく。このデッサンはあまりにも自然なのだ。
最大の目的のデッサンを思う存分観たので最初に戻り、初期から順を追って観てみた。初期にはペンで描かれた肉体の筋肉のエチュードが多く、僕はあまり興味が沸かなかったが、大変リズミカルな感覚を持った人だと思った。そういう中に赤チョークで描かれた「Doni Madonnaのための頭部のエチュード・1504~1507作」があって、軽くサッと描かれたふくよかな線と調子、その上手さに感動する。デッサンは赤チョークか黒鉛で描かれたものがよく、特に陰の調子がふくよかに湿っているものに僕は惹き寄せられる。
これも、これもと傑作が並んでいてビックリしたが、いよいよ第二の目的の赤チョークの「ピエタ像」の前に来る。この作品はやはり学生の頃、スキラ社発行の、確か「Le dessin」というタイトルの、アルタミラの壁画から現代までの代表的なデッサンを集めた画集の中に収録されていたもので、出会った時の衝撃はすごかった。貧乏学生にはあまりに高価な画集だったので購入することが出来ず、学校の帰りにしばしばFNACの美術書コーナーに寄って立ち鑑賞したことを思い出す。
「ピエタ像」1531年~1534年
実物は赤チョークと、わずかにアクセントで入れた黒鉛のせいか、色気がほのかに立ち昇り、大河の流れのようなゆったりしたリズムが実に優雅なのだ。人体を描いているにもかかわらず、大自然を見ているような感覚を与えてくれる。若干輪郭の線が気になるが、たいしたことではない。それに対して濃密な身体の調子は驚くばかりだ。どう描いたらここまで密に出来るかと感心してしまう。殆どの場合、描き込むといやらしく重くなってくるものだが、それが無い。天才だけが成せる業なのか?
1974年秋に1~2年の予定で渡欧し、まず出来るかぎり重要な美術館を廻ってみようと、莫大な量の絵を観ているうちに、これは模写どころではない、まずデッサンから勉強し直さなければならないなと思えて、とりあえず1976年にパリ国立美術学校に入学した。東京で十分デッサンを勉強したので、油絵教室に登録しながら勉強することも出来たが油絵のことは考えず、デッサンだけに集中するため、Marcel GILIのデッサン教室に登録し、学生として在籍出来る最終年度1981年まで、ここの教室にほとんど毎朝通った。GILIの教室は自由で、描く材料は何でもよく、単色であればデッサンとして認めてくれて、スタイルも、モデルを描写することから現代流行の抽象画まで許され、学生は思い思いに自由に制作していた。
僕はその中で「対象を見て描くことは何なのか?」「絵画芸術とは?」「芸術は人間にとってどういう意味があるのか?」というような大きな命題を抱えながら、ひたすらモデルの頭部を中心にデッサンした。これらへの答えは未だによく分からないのだが、考えながらデッサンをしているうちに、自分がそれまで持っていた偏狭な芸術観から解放され、自由な芸術観が生まれてきた。これは丁寧に教えてくれ僕の硬い意識の殻を破ってくれたMarcel GILIのお陰だった。
「デッサン」というとき、下書き程度の素描だと思っている人が多いだろう。それは意味的には間違いないのだが、デッサンは平面芸術として最もミニマルな行為なのだ。時折本命の絵画、彫刻以上の次元まで突き詰めたデッサンに出会うことがある。多分、描く材料に技術的な駆使をすることが少なく、描く行為に最大限力を注ぐことが出来るからかもしれない。もっとも、デッサンを魅了してやまないような芸術作品に高めるのは容易なことではないが・・・。
結局、デッサン展にはパリに戻る当日まで3日間、毎朝通った。出来るかぎり見逃しがないように、また少しでも多く記憶細胞に刻み込めるようにと願ってのことだった。
第一日目にミケランジェロのデッサンを十分観た後、近くの美術史博物館のブリューゲルを観ておこうということになり、行ってみた。
ブリューゲルの部屋には、名作「雪中の狩人」「農民の婚礼」「バベルの塔」などあり、ブリューゲル好きの人にはたまらない部屋だろう。油絵を薄く塗り上げながら、これでもかというように細部描写しているにもかかわらず、それなりに格調があり認められた。
フェルメール、レンブラント、ラファエロと、彼らの傑作を見て美術館を早々に出た。その後、折角ウィーンに来たのだから、エゴン・シーレの「死と乙女」とクリムトの「接吻」を観ておくべきだろうとの思いで、大雪の中を歩いてベルヴェデーレ美術館を訪ねた。
彼らの絵の前に立って、判断力のない自分に腹が立った。愕然としたのだ!
午前中十分観て味わった、ミケランジェロの格調の高いエッセンスといえるようなものがどんどん淡くなって記憶から遠ざかっていくのだ。
「死と乙女」「接吻」両方とも激しい題材で刺激的だが、絵として単純で薄っぺらく、あまりにも表面的なのだ。ブリューゲルを観ている時に何かが逃げてゆくなと、チラッと感じ始めていたのだが、ここで他の作家の絵を見るべきではなかったと悔いた。残る日をミケランジェロだけに絞り、他の絵は見ないことにして早足に美術館の出口へ向かった。
第二日目、三日目はミケランジェロを思う存分観た。特に1530年代からその後のものを中心に、もう良いかと思えるまで観た。
絵というものは大きさではない。現に、これらのデッサンはおよそ25X35㎝のものがほとんどだが、どんなに大きな油彩画と比べても存在感は強い。多くの絵が対象の描写であったり、物語の絵画化であるが、これらのデッサンは創造されているのだ。
絵は、深遠な空間をいかに創造するかが問題なのだ。
「ピエタ像」1533年~1534年
30数年前に図版で出会ったデッサンに今回初めて実物と対面したのだが、油絵を本格的にやる様になって、このデッサンが与えてくれた創造の意味を、油絵でやってみようと決意したのは25~6年前のことだ。同じような世界観を持った作品にするには、市販の油絵の具では出来ないので、絵の具を自分で練り始めた。満足できるものがなかなか出来ずに苦労してきたが、特に白色には苦労した。それがこの秋の小品展に出品した作品を制作しているときに、やっと白が出来たと思えた。
さあ、これから大作にかかるかな、と思っていた矢先にミケランジェロのデッサン展が舞い降りてきたのだった。
なんという因縁だろうか!
期待していたものは想像をこえ、密で軽く豊か、強靱且つ繊細。これらは開かれた自然であった。これらのデッサンを観る人はあらゆる言葉で言い表すことができるだろう。なぜなら、白から黒への無限大の光の中に、人間の喜びや悲しみと共に存在の全てが創造されているだろうから。
人類美術史上の頂点に立つこの大天才が描いた最晩年のデッサン、おそらく今後もここまで到達できる人は出てこないだろう。
ダニエル・ダ・ヴォルテラが描いた、透明で、宇宙の彼方をみているような目をし、人類の孤独に触れてしまったと思われる老ミケランジェロに無言で挨拶をし、会場を後にした。
パリ 2010年12月28日
この後、早川さんの感想文に対する橋本宙八氏の感想文も投稿する予定なので、おみのがしなく!