Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

特撮美術の礎を築いた井上泰幸の業績を振り返る「生誕100年特撮美術監督 井上泰幸展」東京都現代美術館にて開催中!<その1>

2022-05-13 | 特撮
古びたホテルが写っている、同じ位置から撮影された2枚の白黒写真。1956年に公開された映画『空の大怪獣ラドン』の福岡の街の1シーンである。1枚は実際の風景写真で、もう1枚は撮影に使われたミニチュアセット。

本物だと思った方の写真は、よく見ると空に黒い鳥のような影、ラドンが写っている。これほどまでに完成度の高いミニチュアが1956年に作られていたというのは驚きだ。当時の建物や看板、鉄道、道路などを正確に再現した街にラドンが舞い降りてビル群を破壊し、ラドンの羽ばたきから起こる風圧で瓦や看板が吹き飛んでしまう有名なシーンは、今も特撮ファンの間で語り継がれている。

この大規模なミニチュアセットを設計し作り上げたのが井上泰幸さんで、その後の日本の多くの特撮映画の特撮美術に携わり、「特撮の神様」として知られる円谷英二特技監督と共に日本の特撮技術の高さを世界に広めた功績は計り知れない。

その井上さんの長年の業績を振り返る大規模な展覧会「生誕100年特撮美術監督 井上泰幸展」が東京都現代美術館で現在開催している。(6月19日まで)




特撮美術監督の三池敏夫さんによると、「最初は(日本の特撮映画が有名になったのは)『ゴジラ』(1954年)で、『ゴジラ』や『ゴジラの逆襲』(1955年)は白黒映画でミニチュアとしては確かによくできてますが、本物の街に見えるようなミニチュアセットは『ラドン』(初のカラーの怪獣映画)ぐらいからが最初で、そこから日本の特撮映画の名声は世界にどんどん広がって行った」と言う。(3月19日展覧会初日取材談)

『ゴジラ』を始めとする特撮作品を世に送り出した円谷英二監督を支えていたのがセットや怪獣、メカニックなどのデザインやミニチュア製作を手がけてきた井上さんで、彼がいなければ日本の特撮作品の名声はここまで得られなかったかもしれない。

三池さんによる東京都現代美術館での5月7日のトークイベントでも「井上さんはたかがミニチュアだったものに、スーパーリアリズムを持ち込んでレベルの違うミニチュアセットを作りあげた」と強調されていた。井上さんと約30年仕事を共にした三池さんは、「上からの命令でなく、井上さんの独断でこだわり抜いて(中略)どんどんのめり込んで徹底的にやった末の結果」と説明された。(3月19日談)

井上さんは『空の大怪獣ラドン』の映画制作のため、博多の街に5日間ロケハンに行き、歩道の升目を数えるなど様々な方法で一つ一つ実測し、図面に起こした。ミニチュアを起こす前の図面を見た円谷監督から「写真通りじゃないか⁉︎」と驚かれたほどの出来だった。(『特撮映画美術監督 井上泰幸』キネマ旬報社 2012年1月11日発行「第1章 偶然が重なって映画の世界へ」p76〜77)

「(特撮美術について)こんな面白いものが世の中の職業にあったのかとそりゃ不思議でしたよ」「ミニチュアじゃない、あくまでも本物を作ってるというセットの空気感ですね。それを描くようにしています」と井上さんは生前のインタビューでそのこだわりを語っている。(ノーマン・イングランド提供による「井上泰幸インタビュー映像」より)

この展覧会の目玉は映画『空の大怪獣ラドン』に出てくる福岡岩田屋デパート周辺の大規模なミニチュアセットの緻密な再現だ(会場の最後に展示)。当時の天神の建物や鉄道の色合いなど精巧な佇まいがバックのリアリスティックな青空に映えて美しい。背景画家として井上さんと共に仕事をしてきた島倉二千六さんが、このホリゾントと呼ばれる背景の空を描いた。室内の空間なのにあたかも街自体が澄み切った空気をまとっているかのよう。見ている私たちもその世界に吸い込まれ、看板を仰ぎ見ながら一瞬その時代にタイムスリップする感覚を味わう。



この圧巻のミニチュアセットは三池さんが監修を務め、美術制作会社の老舗マーブリングファインアーツで製作された。井上さんが設計したように岩田屋の屋上の観覧車や岩田屋の一角にある丸太を組んだ工事用の足場も正確に再現されていて、懐かしい気持ちになる。










この展示室の一角には大きなスクリーンがかけられ、ラドンが街を破壊する映画の中のシーンが上映されているという憎い演出。ミニチュアセットの隣には「岩田屋再現ミニチュアセット製作メイキング映像」も流れ、その高度な製作過程が見れる。井上さんが亡くなった後、遺品や資料の保存管理を行なってきた遺族代表の東郷登代美さん(井上さんの姪)の提案でこのミニチュア再現プロジェクトが始まり、製作には3年もの月日がかかったそうだ。

東郷さんは小さな頃から叔父の井上さんに親しんできて、奇しくも亡くなった日に「作品を守る」と約束し、約5000点もの資料を保存管理してきた。このような体系的な展覧会が開催できるのも、東郷さんが資料を自宅にきちんと管理されてきたことが大きいと言える。東郷さんにとって井上さんの遺した資料を東京都現代美術館のような公共の美術館で多くの人々に見せられるのは長年の夢だったそうだ。

トークイベントで東郷さんはこう語った。井上さんの出身地の福岡県古賀市で2014年に最初の展覧会を開催して以来、(以降海老名、東京、佐世保と展覧会開催)生誕100年記念の展覧会を東京で開催することを目指した。当初古賀で抱いた「岩田屋のミニチュアを見てもらえればいいな」という妄想が目的となり、この展覧会開催の実現へと繋がった。「展示に関わってくださった皆さんのご尽力と努力のおかげで、展示が実現できましたことを本当に嬉しく思います」と晴々しい笑顔で挨拶した。

「生誕100年特撮美術監督 井上泰幸展」 会期:2022年3月19日〜6月19日(日) 休館日:月曜日
                    開館時間:10:00〜18:00  会場:東京都現代美術館


                                            〜その2へ続く〜




最新の画像もっと見る

コメントを投稿