Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

日本一時帰国満喫!埼玉、千葉、東京、そして大阪へ

2008-03-24 | 一時帰国・日本
日本に一時帰国中で、埼玉県のさいたま市の浦和から千葉県の市川市、東京、そして大阪の枚方へと移動した。1週間で4県回れるのも一時帰国だから。次男は、見るもの見るもの面白いらしく、質問攻めにあう。

いろいろ最初から書きたい事はあるのだが、今日現在の日本での特記だったことは、やはり春の甲子園での選抜高校野球。昨日は2日目で、うちの地元埼玉代表の聖望学園が1回戦で小松島に2対0で勝った。ピッチャー大塚君が落ち着いたピッチングで完封勝利。地元の埼玉代表の試合はなかなか見れないので、ラッキーだった。

長男に聞くと、「日本の高校野球の聖地、甲子園にぜひとも行ってみたい!」と言うので、明日見に行こうかと。私も甲子園は行ったことがないので、楽しみである。主人は吉本新喜劇を見せたかったようだが、野球少年の息子にとって、迷うことなく甲子園をとるようだ。

明日は甲子園、あさっては京セラドームに楽天対オリックスの試合を見に行く予定。次男は、ポケモンセンターと海遊館という有名な水族館に行きたいらしい。

今日はこれからランチは蔵ずしにおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に行きます。日本は何を食べてもおいしい!幸せな滞在です。

日本へ一時帰国します~息子の高校見学とミニ同窓会

2008-03-14 | 一時帰国・日本
明日日本へ一時帰国するため、ハーパーカレッジのデッサンのクラスのプロジェクトをスタジオで5時間かけて無理矢理終わらせた。疲れた!昨日までは、子供たちの学校関係のことで忙しかった。ブログや記事も書き続けていたので、自分のつたない能力の限界を超している。どちらかにしぼらないと、バーンアウトしてしまうだろう。日本で大学のことはいっさい忘れて、充電しよう。というわけにもいかないのだろうか。

しかし、しばしの間、シカゴの日々の心配事から離れられる。海外生活は、せめたてられるようにいつも何かに追われ、子供たちのことを心配しながら、自分の身がけずられるような日々を送っているような気がする。この間日本に帰国した方からのメールで、「シカゴでは、つねに緊張感を持って生活をしていたような気がする。」と鋭い指摘があった。

日本では、1年前の上の息子の小学6年生のときの仲間たちと、関東と関西で2回ミニ同窓会をすることになった。1人の方は、はるばる札幌からくる。(たまたま用事でうまく重なった)関西では、1人の方が3時間かけて、私たちに会いに来てくれることになった。去年のシカゴ日本人学校小学部の卒業生は、全国に散っていったが、やはり絆は固い。親子でここまで仲良くなれるのは、シカゴで子供たちの大事な時期を一緒に過ごしたという連帯感が大きい。

上の息子がうちの浦和にあるマンションの近くの高校の野球部の活動を見学したいというので、思い切って電話で予定を聞いた。埼玉の甲子園出場が多い強豪校である。コーチの方が電話で、ずいぶん親切に教えてくれた。部員数がかなりの数で寮もある。こんな野球のエリート校なのに、日本の野球経験のない息子の質問にも答えてくれるという。浦和滞在が1週間なので、今回は高校見学は1校だけにした。日本の本場の高校野球を見て、息子の野球に対する思いがどう変わるか。技術の差に驚くのか、ますますやる気をだすのか。いい刺激になってほしい。

もう1週間は、大阪に移動して、主人と息子は京セラドームで、オリックス対楽天の試合を観る予定だそうだ。楽天のマー君が見たいらしい。うまくあたるといいけど。私は、早稲田大対シカゴ大の試合を京セラドームで(斉藤ユウちゃんが投げるなら)観たい。しかし家族は誰も賛成してくれないので、無理であろう。

3月30日にシカゴにもどってきて、31日のカブスの開幕戦をテレビで観ます。大阪にパソコンがあるので、また日本でのことをこのブログに書くかもしれません。皆様いい春休みをお過ごしください。

シカゴ日本人学校2007年度修了式、5人の先生たちの感動の離任式

2008-03-13 | シカゴ日本人学校全日校
今日は、シカゴ日本人学校全日校の修了式があり、その後、お世話になった5人もの先生方の離任式があった。私は、今まで一度も離任式を見たことがなく、出席した方の話だと、すごくよく、感動すると聞いていたので、ハンカチを用意して行った。

帰国される先生方5人とも、息子たち2人が大変お世話になったので、親子でとてもさびしい気持ちで胸がいっぱいだ。3年前、先生方が日本人学校に着任されて、上の息子が小学5年生のときに、坪内先生が担任。小学6年生の時に飯島先生。同じ年に、下の息子が小学1年生のときに吉田先生。今年は上の息子が中学部で理科を山田先生に教わった。山田先生は、中学部長担当だったので、上の息子は生活面でもお世話になった。そして、中村校長先生には、子供たちはときには一緒に遊んでもらい、ときには励まされた。強いリーダーシップを持ちながらも、その気さくな人柄で、子供たちからも保護者からも慕われていた。ジャングルやUS新聞などの取材にも協力してくださって、私も本当にお世話になった。校長先生の絶妙なコメントで、記事が引き締まり、何度か助けてもらった。

最後の先生方1人1人の挨拶で、「苦手なことやいやだと思うこともいつかその人の得意な分野になる可能性がある。」という校長先生のお話や、苦労を乗り越えてオリンピック選手になった友達の経験談から、「決して夢をあきらめるな!」と吉田先生が激励。飯島先生は、突然サッカーのユニフォームに着替え、サッカーボールをとりだし、サッカー選手に変身して、高度なサッカー技術をみんなの前で最後に披露。そのかっこよさで、私たちを驚かせた。「また、いつかどこかで会いましょう!」と明るくみんなにさっぱりと一言。しめっぽくならないよう、飯島先生のさりげない演出かなと思ったほど。坪内先生は、ナポレオンの言葉を用いて、「何か自分の得意なものを持って!」との励まし。「一分一秒を惜しんで、みんないろんなことに一生懸命やっていた。」というほめ言葉が日本人学校の子供たちのひさむきさを示していた。山田先生は、「笑顔ときちんとした挨拶ができる子供たちから、先生はいつも励まされた。みんながこういう態度で接していけば、いつか世界平和も実現できる。」というような最高のコメントで最後をしめくくられた。

本当にこのような素晴らしい熱意のある先生方から導かれて、今の日本人学校の生徒たちのポジティブで素直な姿がある。先生方の挨拶を聞きながら、胸が本当にジーンとして、最後の子供たちの「旅立ちの日に」の歌の合唱のときは、お母さんたちも涙、涙であった。5人の先生方、本当にありがとうございました。私たちも先生方の意志を次いで、今いる先生方に協力して、ますますいい日本人学校になるように努力していきます。今後の日本での、先生方のご活躍をお祈りいたしております。またいつかどこかでお会いしましょう!

息子たちの6年生のときの担任飯島先生は、サッカー選手でスポーツ万能。厳しかったけれど、中学部でみんなが充実して過ごせるのは、6年生のときのたくわえがあってのこと。息子たちも恩師として、一生忘れない先生であろう。

アメリカのリトルリーグの親の仕事

2008-03-12 | リトルリーグ
3月3日の投稿に今シーズンの息子たちのバッファロー・グローブでのリトルリーグ(通称BGRA)のことにふれたが、2人の息子たちのチームの監督からのメールが出揃い、最初にある恒例のペアレント・ミーティングに向けて私たちが各チームで何を手伝うのか主人と話し合った。

正直言って、2人の息子たちが同時に野球のチームに入ると、拘束時間が野球の試合は長いので、シーズン中はめまぐるしく、親の体もきつい。アメリカは、子供たちで行けないので、家から遠いフィールドだと、私たち親も練習時間も含めて4時間近くいる場合も多い。今年の上の息子の13歳、14歳混合リーグは、ウィークディが夜の8時から始まる試合があるため、7時過ぎに練習に連れて行き、試合が長引けば、帰るのは11時半ぐらい、へたしたら12時近くなるのではないか。その間、親たちはじっと試合を見るだろうから、下の子はたまったものではない。ずっとフィールドにいたら、恐怖の時間である。きっと主人とバトンタッチで、私は下の子と共に帰り、最後まで試合が見れないだろう。

息子がいつ長打を放ったり、いいピッチングをするかわからない。去年、私は、下の子の友達のバースディパーティに行っていて、なんと上の息子の初ホームランを見られなかったのだ。しょっちゅう息子の打席のたびにいつでるかいつでるかとビデオを回していたのに・・・あのときのくやしさったら。初ホームランというのは、一生に一度しかない。息子の話によると、井口選手が日本人学校の講演で言われたように、「打った瞬間、感触がなかった。」そうだ。野球は、見ていて面白く親ものめりこむ反面、やると決めたら親の時間をけずられると覚悟すべきである。しかし、子供が野球を通してアメリカ人と切磋琢磨して技術を向上させていく過程を見られるのは、アメリカ生活の大きな財産である。また、おおげさかもしれないが、親と子が一心同体というか・・・気持ちの上で。子供のチームを応援しながら、他のメンバーに対して時には嫉妬心も交えながら、アメリカ人の親とも心が心底通じ合う時がある。

私は、アメリカのリトルリーグを上の息子がやり始めて7年目を迎えるにあたって、そろそろ何か手伝いをしようと思っていたので、ビジネス・マネージャーに立候補することにした。バッファロー・グローブのリトルリーグは、白人人口が圧倒的に多い。アジア系やスパニッシュ系はサッカーに比べて、かなり少数派だ。その中で、会計やチームパーティーを企画するビジネス・マネージャーの仕事をやるのは、かなり勇気が入る。しかし、下の子の監督が今年3年目で、気心がしれているので、思い切って立候補してみた。だが、私が立候補する前に、すでに1人のアメリカ人のお母さんが立候補していた。監督がさっさとメールで、2人のビジネスマネージャーと紹介してしまった。うーん、2人のマネージャーで仕事の取り合いになるか!低、中学年の子供たちの親は熱心なので、こういうことも起こるわけだ。

さて、上の息子の方は、監督が最初のメールで、コーチもビジネス・マネージャーも両方足りないので、募集中ときた。やはり、年齢が上に行くにつれ、みんな親たちも面倒くさくなっていくのだろう。この監督は、初めてやるらしいが、メールの内容がとても詳しく、自分の野球歴や方針もはっきり打ち出している。かなり、頭脳派の監督になりそう。主人は、いてもたってもいられなくなり、さっさとアシスタント・コーチに立候補する長いメールをだした。バッティング・コーチ希望だ。前からずっとやりたかったようだ。監督からの返信メールは、「ぜひ、頼む!君がやってくれるなら、こんなにうれしいことはない!」

主人は、上の息子のバッティングを小さな頃からこつこつ指導してきて、結果がでたので、それをチーム全体に生かしてみたいようだ。おそらく、主人は自分もやってきた日本の中学校の部活のファンダメンタル中心の練習とアメリカの試合(実践)中心のリトルを両方知っているので、双方のいいところを生かしたコーチングを実践してみたいのだろう。「主人がアシスタント・コーチをする!」前からずっと思い描いてきたことなので、主人がチームに貢献できるよう祈るのみだ。ピッチング・コーチに立候補したアメリカ人のケンとは、2回も同じチームになっていて、お互いよく知っている。監督を2人でささえて、子供たちの適性を生かした起用を3人で考えていくだろう。また、8時からの試合というのが、仕事の忙しく早く帰宅できない主人にとっては、試合に間に合うので、逆にいいかもしれない。すべて、ポジティブに考えよう。

となると、私は上の子でビジネス・マネージャーはしなくてもいいか、と考えた。夫婦2人も1つのチームで手伝うよりか、下の子のチームをささえることに専念ししようと思った。スコアラーの仕事もやったことがないので、下の子の試合でお手伝いをしてみよう。上の子では、下の子を連れているので、試合に集中できず、スコアをつけることができないから。スコアのつけ方を前から知りたかったので、いいチャンスだ。

私たち親にとっても今年のリトルは、挑戦のシーズンとなりそうだ。どんなに忙しくなっても、野球好きなら、こなせるかな。主人は、自分のソフトボールのチーム、マリン・ジェッツ(通称MJ)の練習と試合もこなさなくてはならない。キャッチャーという重要なポジションなので、MJ優勝のためには、気を抜けない。そして、MJの試合の応援と撮影という大きな仕事も私には残っている!



写真は、去年の秋のバッファロー・グローブ・パーク・ディストリクトの13歳、14歳混合リーグの試合にて。息子が所属した「アイロンバーズ」という変わった名前のチーム(春からのレギュラーシーズンは、BGRAのリーグで、メジャーリーグのチームの名前がつく)の3人のコーチ、右が監督ラリー、真ん中がアシスタント・コーチ、ケン(ちょっと80年代ハードロックを引きずっているかのような風貌)左がアシスタント・コーチ、ビクター。この3人は、バッファローグローブの野球リーグのコーチの常連。ちょっと後ろの女の人が、監督の奥さんのモーリンで、スコアラーを担当。





日本人ソフトボールチーム、マリン・ジェッツのささやかな送別会

2008-03-10 | 日本人ソフトボールチームMJ・SJ
今日は、日本人ソフトボールチーム、マリン・ジェッツ(MJ)のメンバーの1人、Yさんが3月後半に帰国が決まったので、送別会をワンタングルメでこじんまりと行った。

帰国の準備の忙しさのため、なかなか時間がとれず、ばたばたと送別会を決めたので、2家族しか参加できなかったが、ゆっくり話ができて私たちはよかった。

Yさんは、今まで野球経験はなかったが、持ち前の抜群の運動神経で、強豪チームMJに溶け込み、主人の話では、必ず試合には来てくれ(ここがミソ)、打線をつないでくれたという。皆さんそうだが、Yさんもいつも一生懸命プレーされていたそうで、井口選手のチームとの対戦試合もいい思い出になっているという。

井口選手のチーム、ゴールデンソックスとMJがダブルヘッダーで対戦した話は、前の投稿で書いたが、その時の第1試合の先発ピッチャーの塩味さんが今日来ていたので、もう一度様子を思い出してもらった。塩味さんの話だと、井口選手が打席に立ったときの威圧感はすごかったという。そして、ものすごく緊張したが、みんなが見守っているので、「決して4球はだすまい。ホームランを打たれてもいいから、真っ向勝負をする!」と自分自身に言い聞かせながら、それを実践したという。そして、抜群のコントロールで、井口選手を見事に打ち取ったから、すごい!

その時の話や去年のエルク・グローブのリーグでの準優勝した話などを振り返りながら、Yさんは、満足そうにうなずいていた。シカゴ生活が、ご自分の仕事と共にプライベートも充実していたとその笑顔が物語っていた。日本でのご活躍をお祈りいたしております。ずっとMJの絆を忘れないでください。


写真は、MJの準優勝のときの胴上げ。帰国が決まった人をいつも胴上げするのが恒例だそうだ。背番号22番がYさん。

3月送別会ラッシュ!

2008-03-09 | 友達
3月は毎年いつも送別会が続くので、一時帰国の準備をしながら、母たちは忙しい。そう、自分を忙しくでもしてないと、大事な友達を失うという悲しさで、胸がつぶれてしまう。

去年は、前の投稿でも書いたように、上の息子のクラスが小学校卒業ということで、クラスの半数の人々が去っていった。送別品と手紙をいろんな人に渡しながら、自分もみんなと日本に一時帰国することで、みんなを見送るのを避けた。

去っていく人たちは、日本に帰国することで必死で余裕なく、そして日本での生活の立ち上げで、さびしいなんていってられないほど忙しい日々だが、残される人々は、いつも呆然としたさびしさに包まれる。みんな「残されるほうがつらいね。」とつくづく言う。

今月は、1日に有名フレンチレストランのラ・ティティ・デ・パリスで、会社の婦人会のメンバー2人を3人で送別ランチをする。そのうちの1人は、うちが6年前に駐在に来たときから、知っている方なので、普段そんなに付き合いがなくても、さびしい。もう1人の方も、家族でお付き合いしたことがあるので、見送りはつらい!

おとといは、下の子のクラスの上田さんの送別会。私は大学のクラスがあって行けなかったが、かなりの数の方が出席されて、みんなブラジルレストランで舌鼓を打ったとか。残念!大阪に帰国されるというから、「主人の実家が大阪なので、きっとまた会えるだろう。」とほっとする。上田さんは、最近になって、とても正義感の溢れるガッツのある人だということがわかった。チャッキーチーズで、片言の英語で、お店の人が間違っていることを必死に主張する姿に私はいたく打たれた。「もっと上田さんのことを知りたかったなあ、」と今になって思う。ケーキ作りもプロ並みの腕前であるから、クラスで貴重な方がいなくなる。

昨日は、上の子のクラスの吉田さんの送別会が、アーリントンのイタリアンレストラン、「フランチェスカ」であった。吉田さんとは、3年間子供同士が同じクラスで、とても親しくさせてもらった。いつもクラスの縁の下の力持ち的存在で、なくてはならない人だったので、みんなも吉田さんに対する思い入れは深い!おいしいものでも食べて、気を紛らわせないとやってられない、って感じ。フランチェスカの個室を時田さんが手配してくれて、とてもいい雰囲気の中、イタリアンをぱくついた。最後に、みんなで可愛らしい小柄の吉田さんを囲んで、記念写真を撮った。

「優しい雰囲気の吉田さんがいなくなってしまうので、すごく寂しい気持ちです。
Kuniさんも私も、何人の人を見送っているのでしょう・・・
この季節は、本当に辛いですね。」と1人の方がメールに書いてきた。私もまったく同じ気持ちだ。来年は、見送るのか、はたまた自分が見送られるのか。

シカゴ日本人学校小学2年生ミニコンサート大成功!

2008-03-08 | シカゴ日本人学校全日校
今日は、シカゴ日本人学校全日校小学2年生の今年度最後のミニコンサートが音楽室であり、保護者たちを楽しませてくれた。

「山のポルカ」「こぐまの2月」そして、むつかしい「歓喜の歌」を全員でピアニカで一斉に演奏。乱れることなく、かなり練習した成果を見事に見せ、一生懸命にピアニカを鳴らす姿が保護者を感動させた。うちの息子も、「歓喜の歌」がむつかしかったらしく、家のキーボードで納得がいくまで、何回も自分から進んで練習していた。若く可愛らしい感じの、音楽担当の中村先生の日々の熱心なご指導の賜物である。

ピアニカ演奏の後は、7曲も日本語で合唱。なつかしい日本の曲「とんぼのめがね」「シャボン玉」「夕焼けこやけ」などの子供たちの力強い歌声を聴いて、久し振りに日本の小学校を思い起こした。最後の「ありがとう」という曲は、集中力がきれることなく、一番盛り上がって、保護者を感心させた。みんなの心から感謝する気持ちがこもっていたね!

中村先生は今日が最後の授業だという。子供たちの1年の成長を見ると、とても残念だが、今後の先生の活躍を祈っています。本当にご苦労様でした。みんな素晴らしいコンサートを届けてくれて、ありがとう!

ハーパーカレッジ、英語科ウィルソン教授の日本への思い入れ

2008-03-07 | ハーパー・カレッジ
今日は、ハーパー・カレッジの英語科の教授であり、成績のいい学生たちがとるオーナーズ・プログラムのコーディネーターでもあるアンドリュー・ウィルソン氏のことを紹介したい。

彼の専門はアメリカ文学なのだが、日本文化に造詣が深く、去年の春休みに「日本へ旅行する」というヒューマニティの特別なクラスまで作ってしまったという日本通の教授だ。このクラスは、学生に事前にエッセイなどを提出して7人を選び、日本に関する本を数冊読ませながら、1週間日本各地を旅行し、またエッセイを提出して、2クレジットがもらえるというかなりおいしいクラス。私も旅行の途中の広島ツアーに参加し、京都と秋葉原を少し案内した。学生達は、京都旅行の後、高野山の修行体験、そして東京に着くと、いきなりアキバへ直行。アキバでは、学生たちがどうしても、メイドカフェに行きたいというので、私も初体験。みんな目が点になって、規律正しい仏教文化とオタク文化のギャップに驚いていたようだった。メイドカフェから、タクシーに飛び乗り、(私はここで帰宅)日本古来の狂言鑑賞とすさまじいスケジュールをこなしていた。現代風俗の日本から、私たちでさえ、あまり行ったことのない、昔の文化体験へとタイムスリップしたような感覚であろう。

アメリカ人の大学生たちの素朴な質問が面白く、まるで彼らの母のようにウイルソンと共に面倒を観るのが楽しかった。今日久し振りに彼と話したら、来年日本文学のクラスを企画しているという。おとどし、フィクションのクラスで、吉本ばななと村上春樹の本を読ませて、彼なりの独自の解釈で現代日本文学を学生たちに紹介していた。本当に日本の文学、文化が大好きなのだ。

2004年、ハーパーカレッジのクラスを初めて取り出したとき、アメリカ文学で、このウイルソン教授のクラスだった。その時から、なんとなく感覚的にピーンとくるものがあり、続けて彼のクラスを取った。彼がアドバイザーをするオーナーズプログラムのクラスで、「チャレンジャー」というニュースレターを月1回づつ出版するというクラスを取ったときも彼の的確なエディットで、クオリティの高い内容のものができている。私の書いたエッセイをエディトするやり方がすごい。ノン・ネィティブのわかりずらい文章ももとの文体を生かしながら、大幅に変えず、文法だけ整えていく。過去英語のメディアに書いてきて、(ほんの少しの経験だが)私の英文をエディットされた経験では、なかなかそういうエディターには出会えないものだった。(勿論、プロのエディターと大学の教授とは比べられないが)

親しくなってから、ウィルソン教授が日本文化が好きだとわかった。私の直感もまんざらでもないなと思った。

高校生をささえたシカゴの日本人ソフトボールチーム、マリン・ジェッツとサブマリン・ジェッツ

2008-03-05 | 日本人ソフトボールチームMJ・SJ
今日は、シカゴの日本人ソフトボールチーム、マリン・ジェッツ(通称MJ)とサブマリン・ジェッツ(通称SJ)の話。前にこのブログで、主人の入っている強豪チーム、MJのことを紹介した(井口選手のチームとも対戦した)が、そんなに野球経験がなくても入れるSJというチームもある。MJとSJは、シーズン前から毎週合同練習もやり、SJには、女の人や中学・高校生まで練習に参加でき、創始者の駒谷さんの話だと、日本人同士いい汗を流しながら、いい交流の場となっているという。
(前のMJの紹介記事参考http://blog.goo.ne.jp/kuniwindycity/e/3415013b882c2cd492e856efd5a523ba)

うちの上の息子も自分の野球のチームの練習や試合がないときは、ときたま、練習に参加させてもらい、硬球より大きく重いソフトボールを打って、バッティング強化に役立たせてもらっている。メンバーの人たちも中学生を快く受け入れてくれ、私たちは、本当に有難く思っている。

おとどしの秋ごろだったか、私の友達の高校生2人の息子が、野球をやりたがっているが、どうしたらいいかという相談を受けたので、すぐにこのMJ・SJを紹介した。こちらに来て間もなかったので、野球部のトライアウトがうまくいかなくて、野球をやる機会を失っていたのだ。本人たちは、やりたくてやりたくて仕方がない様子。嬉々として、この2人の高校生兄弟は、MJ・SJ合同の練習に毎週参加するようになった。

メンバーたちも若者の加入で、うれしかったのか、チームみんなでこの2人の面倒を見て、仲間として快く受け入れてくれたようだ。毎週毎週おじさんたちに混じって、熱心に練習に来ていた。

MJの去年の秋のエルク・グローブのリーグの決勝戦は、かなり遅くなったのだが、2人の高校生は、応援に来て、じっと見ていた。ときおり、キャッチボールをしながら、「試合にでてみたい!」と静かに目が語っていた。

練習では、いつも弟のヨシ君が、時間があれば素振りをし、最後の最後まで時間を惜しむかのように、ずっと素振りをしている姿が印象的だった。目と体全身が「野球を思いっきりしたい!」と叫んでいた。お母さんの話だと、明るく、人懐っこい感じのお兄さんのコウ君と違って、ヨシ君はちょっと人見知りするタイプで、無口だというが、野球の話をすると、こちらの目をまっすぐ見て、ちょっとうれしそうに答えてくれていた。「ヨシ君が一刻も早く高校生のチームでプレーできますように。」と私はやきもきしながら、いろいろ調べて、情報をお母さんに渡したりして、見守っていた。

そして、ついにこの3月、ヨシ君見事に自分の高校の野球部のトライアウトに合格とのお母さんからのお知らせ!私と主人は小躍りした。こんなにうれしいニュースはない。主人は、すぐにメールで、MJ・SJのメンバーに知らせていた。

この冬は、ヨシ君は、バッティングセンターに1日何時間もいて、バッティング練習を黙々としていたという。きっと、ヨシ君は、どんなにつらくても、何回三振をくらっても、歯をくいしばって、乗り切るに違いない。念願のアメリカの高校の野球部で、プレーができるのだから。ヨシ君、本当によかったね。ヨシ君の努力していた姿は、しっかり目に焼きついてます。今シーズンは、思いっきり、グランドでプレーしてください!

マリン・ジェッツ H/P
http://www.geocities.jp/marine_jets/index.html

サブマリン・ジェッツ H/P
http://www.submarinejets.com/


写真は、去年のMJのエルク・グローブのリーグで準優勝したときのもの。2人の高校生も一緒に。

もうすぐ息子たちのリトルリーグの季節がやってくる!

2008-03-03 | リトルリーグ
この週末は、4月から始まる息子たちのバッファロー・グローブのリトルリーグ(BGRA)の新しいチームがドラフトで決まり、監督たちから連絡があった。今か今かと待っていたので、チームが決まってほっとした。

下の息子は、インディアンズで、去年と同じ監督から引き抜かれた。この監督は、コーチ・アルというみんなから慕われているボス的存在の、理想のアメリカ人の父親のような感じの人。いくらほめてもほめ足りないほどのコーチなのだ。下の子が2年前、ティーボールで野球のチームに初めて入ったときからのコーチだ。自分の子供を絶対ひいきしない、めずらしい監督。自分の子供のジャスティンが3人目で、上の2人がもうかなり大きいので、客観的にチームをマネジメントできるのだろう。
(バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのシステム及び様子は、US新聞のコラム参照 http://www.usshimbun.com/childcare/childcare-littleleague.html)

そして、注目の上の息子は、パイレーツ。なんとリーグナンバー1のスラッガーの息子(今の日本のプロ野球でたとえると、中田クラスかしら)マイケル・オコーナーの父親ティムが監督となり、引き抜かれていた。マイケルは、ここ数年めざましく力をつけ、ホームランをガンガンとばすスラッガーに成長。3年前、息子が小学5年生の時、同じチームだったときもその片鱗はあったのだが、体がちょっと太めだった。ところが、去年から急にスリムになり、走りもしなやかになり、驚異的な長距離打者になっていた。

でもって、うちの息子もどちらかというとマイケルと似たようなクリーンアップを打つ長距離打者タイプ(マイケルにはかなわないけど)なので、主人は、「まさか同じチームになるとは・・・」と驚愕したわけだ。息子も、去年初めて夏のリーグで馬鹿でかいホームランやエンタイトルツーベースを放ち、その存在感をBGRAのみんなに印象づけていた。ピッチャーとしては、レギュラーシーズンは、波が激しかったけど、秋のリーグでようやく落ち着いたピッチングをしていた。春のシーズンで、マイケルからホームランを打たれ、今年は「打倒、マイケル!」とはりきっていたのだが。

今年は、マイケルは、お父さんが監督で、きっとそのたぐいまれな才能をますますのばしていけるだろう。うちの息子も、すごい刺激をもらうに違いない。他のメンバーも半分以上知っている子なので、息子にとって今年はさぞや楽しいチームになるだろう。なんといっても、去年の秋に、息子とバッテリーを組んだ体のがっちりしたキャッチャー、ケンが一緒なのも心強い。息子の投げる球がかなり速くなってきているので、受け止めるキャッチャー頼みなのだ。他に前の投稿に登場した(星の王子さま役をやった)きゃしゃで美形のデュランもいる。(デュランの投稿記事はhttp://blog.goo.ne.jp/kuniwindycity/e/5c98da536009389374b109f2217082a5)

同じクラスの野球仲間コウキ君は、去年の監督の息子ダニーと一緒のチーム。コウキ君とは、別のチームなので、日本人対決が楽しみ!