Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

早川俊二酒田展終了!早川氏からのメールと石川館長のコラム記事から

2016-01-28 | アート
早川俊二酒田展は26日に終了。
厳しい寒さの季節にもかかわらず、地元はもとより、他県からも鑑賞者は訪れ、大成功の展覧会だったようだ。
昨日早川氏より総括メールが届いたので、お知らせします。
これで、去年の6月長野から始まり、札幌、新潟をへて、最後は雪積もる東北の酒田まで来た早川作品の日本での遥かな旅は終わったことになる。





奥様の結子さんと鑑賞者の質問に気さくに答える早川氏


皆様

昨日(1月26日)午後、羽越線で電気故障の為に20分遅れて酒田に
着きましたが、一昨日は大雪で全線運休だったと聞き驚きました。
大雪のことを知らずに、数日前は一日早めて最終日はゆっくり楽しもうかと
話していたので、来れなかったことに何か運命じみたものを感じました。

美術館にはすでに酒田展開催のきっかけを作ってくれた俵谷裕子さんが
先に来ており、飛行機でやってきたゴトウギャラリーの後藤さんと合流、
しばし展覧会の感想などを聞き、改めて長野展から始まった4箇所の
早川展は美術史上珍しいまれな展覧会であったことを確認、長野展を
立ち上げてくれた級友たちに感謝しました。

僕の絵画人生の大きなターニングポイントを作って頂き、これから更に
期待に応えられるように上り詰めるよう頑張りたいと思います。

今朝から日通の絵画専門の方の作業が流れるように運んで2時間で終わり、
後は東京からのトラックを待つだけになり、ホッとしているところです。

酒田展の入館者は1143人です。3週間の展示で実質18日間、例年のこの
季節の入場者に比べると沢山の入館者で、関係者も喜んでおられるとのこと。
担当学芸員熱海熱氏に「絵を見たくて訪れた方がほとんどなので、大成功だったと
思う」と言われました。

実際会場を訪れてみると皆さんの真剣な質問に驚き、酒田市民の民度の
高さに大変驚きました。10万強の市民に本間美術館、土門拳記念館、
酒田市美術館と「大きな美術館を維持できる酒田市民はさすが!」と思いました。
僕は入館者は600人位かなと想像していたので大変驚き、嬉しくなりました。



皆さんの応援、協賛で立ち上がった早川展ですが、早川俊二の展覧会と
いうよりも500余名の協賛者の皆様の早川展だったと思います。
本当に素晴らしい展覧会を開催して頂き有難うございました。
感謝!

早川俊二    1月27日 午後

なお、酒田市美術館の石川好館長が1月20日の荘内日報のご自身のコラムで書かれた記事で、酒田市の文化土壌の深さを語られているので、美術館の許可を得た上で写メで紹介します。もちろん早川展にも言及されています。




石川館長、1月10日竹田博志氏講演会後の懇親会にて




竹田博志氏の講演会「早川絵画にみる東洋性」~酒田市美術館にて

2016-01-12 | アート
1月10日、元日経新聞美術記者の竹田博志氏による記念講演会「早川絵画にみる東洋性」が酒田市美術館で開催された。



竹田氏は日経新聞に早川俊二氏の個展記事を1999年から5回も書いていて、同じ画家の個展記事をこんなに書くのはないんだそうだ。
最初に日経に記事がでたとき、個展会場のアスクエア神田ギャラリーの電話は1日中鳴りっぱなしだったそうで、「バイトを雇わなければならなくなったほど」と当時を振り返って、ギャラリーのオーナーの伊藤厚美氏は苦笑しながら言う。
白黒ながら、早川氏の絵力と竹田氏の惹きつける文章力とで、一気に多くの全国の読者を早川ワールドへ誘ったというわけだ。

私も若い頃アメリカの通信社の金融記者をしていたとき、日経は毎日読んでいたが、文化面もとても充実していて、いつもこちらを読むのを楽しみにしていた。恐るべし、日経新聞!

竹田氏は、今回の巡回展の契機となる長野展を開催した、早川氏の同級生による実行委員会とファンを中心とした周辺の人々の力をたたえた。
「展覧会の実行委員会は、新聞業界などが絡むのが普通で、素人の人たちが立派な展覧会をしたことに感心しています。人々を動かした早川絵画の力に感心します」と語った。


長野から駆けつけた早川氏の同級生で実行委員会のメンバーたち、コレクターでサポーターの方々、酒田市美術館関係者など



まず、自身の日経新聞の展覧会レビュー記事を紹介しながら、早川絵画の魅力を分析した。
そして、謝赫(しゃかく)という古代中国の画家が説いた絵画制作の6つの規範を紹介した。

その最初の重要な規範が「気韻生動 (きいんせいどう)」で、作品に潜んでいる「気」、つまり精神的生命感で生き生き描かれていることなんだそうだ。
はっきり断言されなかったが、「早川作品も人の心を静かに引き込んでいく」ということで、この規範を満たしていると言いたかったのかもしれない。
有名な葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」、范寛の山水画などもスライドで紹介しながら、絵から発する「気韻生動」というものを私たちに伝えた。



写真撮影もしていたので、メモを取れなくて、詳しく講演内容を伝えられないが、鑑賞者が早川絵画にスッと入っていけるのはこの「気韻」というものに関係しているんだということがわかった。

最後に竹田氏が紹介したのは、イギリスの作家オスカー・ワイルドの言葉で、「自然が芸術を模倣する」という逆説的で面白い表現。
今ちょうどイギリス文学史を大学で聴講していて、ワイルドの代表作「ドリアン・グレイの肖像」を読みながら、同性愛者だったワイルドの破滅的な生涯もたどっているので、心に刻む。




最後の部屋は白い壁で!

今回の講演会を振り返ると、竹田氏は直接的な表現はされなかったが、早川作品を観るヒントが散りばめられていたようだ。

それにしても、作品だけを真摯に観て、現存作家のしかも日本で賞など受賞していないパリ在住の作家の個展を開催した酒田市美術館の石川好館長の英断に敬服する。










林に囲まれた山形県酒田市美術館で早川俊二展を観る

2016-01-11 | アート
1月9日新幹線ときで新潟まで行き、特急いなほで日本海を眺めながら酒田へ北上する。
庄内平野の所々の田んぼに白いサギのような鳥が数十羽かたまっている。
何の鳥かと目をこらして見ると…白鳥だ!
日本にこの時期こんなに多くの白鳥が東北にとどまっているんだと感心する。

家をでて、約4時間後に酒田駅に到着し、無料の観光周遊バスで酒田市美術館へ向かう。
途中映画「おくりびと」のロケ地や酒田海鮮市場、土門拳記念館などを経由して、森林に囲まれた高台に位置する酒田市美術館に到着。

柔らかなコンクリートの1階建ての横長の建物で、正面入り口に銀色のキャノピーが風を誘い入れるように出迎え、暖かい木の塀が建物を包む。



敷地面積約3万平方メートル、施設面積約3千平方メートルという広大な敷地。



平成9年に開館した酒田市美術館は、鳥海山、最上川、市街地を一望できる小高い丘に建つので、真冬でもロビーのガラスごしに自然と調和したアートの世界に浸れる贅沢な空間を作り上げている。


ここで早川俊二にとって、初めて公共の美術館で68点もの作品が展示された大回顧展が開催している。


左から早川氏、奥様の早川結子さん、この展覧会を思い立ち、酒田市美術館に持ちかけた俵谷裕子さん

最初の入り口の廊下に初期の作品が並ぶ。
茶の模様が混じった上品なベージュの大理石の壁と、大きな石を組み合わせたような床に何層も何層も塗り重ねた分厚い硬派なマチエールをかかえる早川絵画はよく合う。

そして、水色が基調である代表作「アフリカの壺」や、同じく水色が基調の1992年の初個展に出展された「横向きのアトランティック」のように、対象の輪郭から柔らかな光を放ち、鑑賞者を優しく包み込む作品群に、何とも言えない柔らかなグレーの木の壁が向かい合い、豊かなハーモニーを成している。







「これはいいスタート!」と直感し、人物画の代表作が並ぶ第一展示室へ進み、全体を見渡す。


天井から透けて入る自然光のようなグレーの光。(自然光なのかなー)
照明によって表れる白い壁がボワ~ッとした黄色に見え、こちらも光を放つ。
グレーの床と共に作品と呼応しながら、この部屋の隅々に光が満ちていた。







2014年の最近の作品が4点並び、これらが削り取られたキャンバスの端が茶色で彩られているのを知る。
早川氏によると、理由なくわざとそうしているとか。



「透明感が一段と出たと思うんだよね。物質っていうより空気の粒子をとらえたかった。透明ながら存在感のあるのを狙ってる。普通は透明な世界って存在感ないけど…まだ(そこにいく)過程なんだ」といつになく自信たっぷりの表情で語る。
画風が変わりつつあるのはわかるが、もう一段階上がった完成作が待ち遠しい。

この部屋の向かいの廊下には、選びぬかれた人気の静物画群。
西洋の巨匠たちの静物画を思い起こすかのような気配さえ感じる。



過去の作品ながら、強靭なペインティングナイフのタッチに、相反する全体的には柔らかで透明な感覚を呼び起こし、先ほどの早川氏のコメントに納得する。

基調の茶とグレーが入り混じった地肌に、長年の努力で創り上げた独特のハヤカワホワイトや一筋のグリーンが抜群に生きている。
基調である茶とグレーに関して、「茶に代わるものはないんだよ。他の色ではいくらやってもうまくいかない。(早川絵画の) ポイントは白。白はこういう土台があるから生きる。質感の違いを利用してできている。この白は練り具合が違うから、他の人にはでないだろう」と答える。

ここまで帰りの新幹線で書いているので、ちょっと休憩します。 ~続く









パリ在住画家早川俊二酒田展へ

2016-01-09 | アート
新幹線で新潟で乗り換えて、特急いなほに乗り、山形県の酒田へ向かっています。
東北へは小さい頃仙台に住んだとき以来。
日本海見ながら、新潟で買ったイクラが大きいはらこ弁当食べてる。

昨日酒田に着いた早川さんからの連絡で、酒田は雪とのこと。
雪におおわれた酒田市美術館での早川俊二展を想像して、東北の地に足を踏み入れるのにワクワク。

年末早川俊二さんからの酒田展に向けてのメッセージがメールで届いてますので、紹介します。


皆様

昨日早川俊二酒田展の展示が無事終わりました。
6月の同級生が立ち上げてくれた長野展から企業美術館での札幌展、
由緒ある日本家屋で特殊な展示の新潟展、そしてファイナル展にふさわしい
公共美術館で初めて開催される早川俊二酒田展になりました。

4つの会場の展示がそれぞれ趣が変わっており、絵の様子がどうなるかなと
始まる前は不安でしたが、一番難しそうだった砂丘館の展示が僕の予想を
遥かに超え豊かな日本家屋に馴染んでいた作品があり感激しました。

酒田市美術館は自然に馴染むような設計になっており環境も良いし、
素晴らしい美術館です。僕の作品もそれに応えるように展示をして頂き、
ほとんど完璧な早川展になりました。

長野展が始まった時に「早川展は一つのドラマのようだ」と複数の方から
聞き、当初その意味が分かりませんでしたが、ここまで走り抜けてみると
その意味を何となく納得できるようになってきました。

酒田市は若干遠くて関東圏、関西圏にお住まいの方々には勧めにくい
のですが、お時間など余裕がある方はぜひお出でになって
早川俊二ファイナル展を観ていただきたく思います。
新潟からのローカルな羽越線がなかなか良くて汽車の旅が満喫できます。
また新鮮なお魚類がとても美味しいです。

僕らは1月8日から12日の朝まで酒田に滞在しております。
1月10日の竹田博志氏の講演にもご参加していただけると嬉しく思います。
では良いお年をお迎えください。
感謝!

早川俊二   12月28日 酒田より




肉筆浮世絵展~シカゴのウエストンコレクションが上野の森美術館で日本初公開!

2016-01-09 | アート
2016年最初の投稿です。
喪中なので新年のご挨拶は差し控えさせていただきます。
皆さま、今年もどうぞよろしくお願いします。

12月は上野の森美術館で開催中の肉筆浮世絵展に、US新聞の取材で展示替えをはさんで2回観に行ってきて、これでもかこれでもかというくらい艶やかな美人画を堪能した。





シカゴの実業家ロジャー・ウエストン氏が収集した大規模な世界有数の肉筆浮世絵コレクションが日本初公開ということで、シカゴ発のニュースとしてUS新聞の自分のコラムに書いた。
詳しくは記事を読んでください。http://usshimbun.com/column/Baba2/Baba2-7.html

この展覧会は1月17日まで開催中。
北斎、歌麿などの名作がずらり壮観な眺めだが、自分の気に入った江戸美人はこれ。


左端の藤麿の気品漂う美女と右端の岸駒のふくよかな美女

展覧会のサイトでも美人画のコンテストをやっていて、このこの2人はトップの人気。http://nikkei.exhn.jp/weston/index.php

1月前半は上野で古風な日本美人を堪能されてはいかがでしょう。

砂丘館早川俊二展記事とギャラリートークDVD

2015-12-01 | アート
新潟の砂丘館での早川俊二展は他県からもたくさんの人が観に来て、関連グッズもかなり売れたそうだ。

US新聞に新潟砂丘館での早川俊二展の記事が掲載されたので、お知らせします。
http://usshimbun.com/column/Baba2/Baba2-6.html

日本家屋に現代美術を工夫して飾るとどうなるかというところを書いた。
砂丘館を運営しているギャラリー新潟絵屋も大正時代の町屋を改装しているので、こちらも紹介。

なお、砂丘館の館長で美術評論家の大倉宏氏も早川俊二展を砂丘館のブログで紹介している。
なぜ早川作品が日本家屋の砂丘館に馴染んでいるか分析しているので、ぜひ読んでみてください。
学芸員側からの飾り方の説明も興味深い。
http://niigataeya.exblog.jp/23911532/

砂丘館が早川氏のギャラリートークのDVDを作成したので、ほしい方は購入してください。
1500円+送料だそうです。砂丘館のHPでお知らせするそうです。
砂丘館 TEL & FAX 025-222-2676 E-mail sakyukan@bz03.plala.or.jp



また、来年度の早川作品のカレンダー等もまだ購入できるそうです。
申し込みは、ブンゲイ印刷 TEL & FAX 026-268-0333








「放浪の画家ピロスマニ」の孤独~グルジア映画再公開

2015-11-22 | アート
「放浪の画家ピロスマニ」という1969年グルジアで製作された映画が岩波ホールで再公開されている。
監督はギオルギ・シャンゲラヤで、グルジア人の魂を象徴する国民的な画家を静かに描いた映画ということで国際的に高い評価を得た。



19世紀末から20世紀初頭、ピロスマニは生きている間は人とうまく折り合いをつけられず、人々からその芸術世界を理解されず、貧しく孤独のうちに亡くなった孤高の画家。
どの映画のシーンも当時のグルジアの風土や生活文化をまるでピロスマニの素朴な絵画と重なるかのように絵画のようなスケールで切り取られ、思わずショット全体を隈なく鑑賞してしまう。
ピロスマニは猫背でゆっくり歩きながら孤独の痛みを全身で表現し、カメラは真横から撮影し、一緒に動きながらその思いに静かに寄り添う。
1シーンごとの映像の残像がフラッシュバックしながら、そのたびに胸がヒリヒリして、感動の波は穏やかだ。
長い孤独な時間が独学でも国民的天才画家を生んだという皮肉。

「私の絵はグルジアには必要ない。なぜならピロスマニがいるからだ」とまでピカソに言わしめたほど、死後に評価される。
200点あまりがグルジアの国立美術館で展示され、日本では1986年に西武美術館で展覧会が開かれた。
再び展覧会が開かれたら、静かにピロスマニの心の闇を感じてみたい。

早川俊二ギャラリートーク~長野の中条高校時代、創形美術学校、ボザール時代

2015-11-15 | アート
早川俊二ギャラリートークの続きの一部をかいつまんで記す。

高校生でまだ朝日が昇る前の暗い時間帯に、朝日を昇る景色を見ながら微妙な光の変化を感じ、それに世界を感じる感性って…早熟な青年だったのかな。
そういう素養はあったんだろうけど、日々長野の雄大な美しい山々に囲まれた生活がその感性をますます研ぎ積ませたのかも。



その時の原風景と体験が今の早川絵画を築き上げた原点だった。
原風景というのはその人の人生を左右する。

「それがあるから今の絵があるんだと思うんですよ。それがなかったらもっともっとこう対象というものに引っ張られている。対象の前に世界があるというのは感動的だったんで」と早川さんは力説する。
大倉さんも「それが長野の空間につながってる感じですよね」と答えている。



勉強よりひたすらデッサンや絵画に没頭する高校時代。
明るい時は外で風景などを油絵で描き、暗い時は教室でデッサンをやる毎日だったという。
この頃ヨーロッパのルオーなどの巨匠の影響うけ、とくにセザンヌに影響を受け、セザンヌ的に絵を観ていたという。



東京に出てきてから、予備校では受験用のデッサンに一生懸命打ち込む。
そして、創形美術学校で技術的な土台を学び、素晴らしい先生方に出会い、1970年に大阪万博館長をやられた森田恒之先生に見せてもらったゴッホやフランドル絵画などの作品を観て、「これはヨーロッパに行かなきゃだめかな」と思ったという。

そして1974年ヨーロッパへ。
1976年からフランスの国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールに入り、彫刻家マルセル・ジリの指導の元、最初はモデルを使って小さな頭部のデッサンを毎日していた。
ボザールでの4年間ひたすらデッサンに費やし、1981年100号ぐらいの鉛筆のデッサンがムフレ賞を受賞し、8点発表し、そのうちの大デッサン1点と小デッサン3点をボザールが買い上げるという快挙。
この時の作品は師匠ジリも満点をつけたというほどのできで、6月の長野展や10月の札幌展にも1点の大作が展示された。



その時に、ジリから「サロン・ド・メにも出品しないか」と勧められてサロン・ド・メにも出品したという。
ジリはサロン・ド・メの創始者メンバーでもあった。                        
                                  ~ギャラリートーク続く~


エコール・デ・ボザール:エコール・デ・ボザール(フランス語: École des Beaux-Arts)は17世紀パリに設立されたフランスの美術学校である。350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきた。現在は建築がここから切り離されている。(中略)今日その名を残す有名な芸術家の多くがここで訓練され、エドガー・ドガ、ウジェーヌ・ドラクロワ、ジャン・オノレ・フラゴナール、ドミニク・アングル、クロード・モネ、ギュスターヴ・モロー、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ジョルジュ・スーラ、アルフレッド・シスレーなどの名が挙げられる。(ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB

サロン・ド・メ:サロン・ド・メ ( salon de mai ) は、1943年に対独レジスタンス運動の一環として設立、1945年に第1回展を開きました。 ピカソやミロが死去するまで毎年出品し続けた唯一の団体展として知られており、 現在フランス画壇のみならず、世界の美術界から最も注目を集め、高く評価されているサロンです。(http://ww2.tiki.ne.jp/~natuhitomi/ea/event/finearts/salondemai.htm より)


前回の投稿で、早川さんの奥様結子さんのメッセージも投稿しています。
早川俊二さんも全く同じ気持ちだということです。


追伸:このブログに早川さんのデッサンに関する文があったのを思い出したので、紹介する。
(「ミケランジェロ・デッサン展の感想~画家早川俊二」)
1974年秋に1~2年の予定で渡欧し、まず出来るかぎり重要な美術館を廻ってみようと、莫大な量の絵を観ているうちに、これは模写どころではない、まずデッサンから勉強し直さなければならないなと思えて、とりあえず1976年にパリ国立美術学校に入学した。東京で十分デッサンを勉強したので、油絵教室に登録しながら勉強することも出来たが油絵のことは考えず、デッサンだけに集中するため、Marcel GILIのデッサン教室に登録し、学生として在籍出来る最終年度1981年まで、ここの教室にほとんど毎朝通った。GILIの教室は自由で、描く材料は何でもよく、単色であればデッサンとして認めてくれて、スタイルも、モデルを描写することから現代流行の抽象画まで許され、学生は思い思いに自由に制作していた。

僕はその中で「対象を見て描くことは何なのか?」「絵画芸術とは?」「芸術は人間にとってどういう意味があるのか?」というような大きな命題を抱えながら、ひたすらモデルの頭部を中心にデッサンした。これらへの答えは未だによく分からないのだが、考えながらデッサンをしているうちに、自分がそれまで持っていた偏狭な芸術観から解放され、自由な芸術観が生まれてきた。これは丁寧に教えてくれ僕の硬い意識の殻を破ってくれたMarcel GILIのお陰だった。

「デッサン」というとき、下書き程度の素描だと思っている人が多いだろう。それは意味的には間違いないのだが、デッサンは平面芸術として最もミニマルな行為なのだ。時折本命の絵画、彫刻以上の次元まで突き詰めたデッサンに出会うことがある。多分、描く材料に技術的な駆使をすることが少なく、描く行為に最大限力を注ぐことが出来るからかもしれない。もっとも、デッサンを魅了してやまないような芸術作品に高めるのは容易なことではないが・・・。

砂丘館と周辺散策~新潟の芸術文化の香り

2015-11-13 | アート
砂丘館は新潟駅を北上し、信濃川を越え日本海近くのドッペリ坂という坂を登った簡素な住宅地に位置する。



元は砂丘だったという土地に日銀支店長宅が建ち、30代もの支店長が暮らした大きな館というわけで、どことなく威厳がただよう。





中に入ると迷ってしまうほど部屋はあちこちに配置され、古風な庭の紅葉が美しい。



平成12年から一般公開され、平成17年から芸術、文化施設として新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体による管理・運営が始まった。



伝統的な日本家屋の落ち着いた部屋で、美術作品を観ながら、その延長に窓越しに赤と黄色に色付いた木々が目に入ってくる。







ここまで極上の芸術と伝統の融合が味わえるのは初めてで、心穏やかになる至福のひととき。
いっぺんで砂丘館のファンになってしまった。
大倉館長の話では、コンサートやダンスなどのパフォーマンス、お茶会、読書会などの市民の文化活動に開放され、絵の前の畳の広間でヨガ教室もあるというからびっくり。
最近は時々コスプレの若者たちも撮影に来るらしい。
大倉さんにいろいろ砂丘館の説明を受け、砂丘館を満喫後、大急ぎで周辺を散策。
大倉さんからの詳しい取材内容はUS新聞に書く。
周辺の様子を前日と合わせて紹介しよう。

砂丘館の横のあいづ通りを抜けると途中公園があり、目の前が日本海。





日本海見たかったんだ…
これでこの辺りの土地は砂丘だったと実感。

砂丘館の近所には「安吾 風の館」があり、新潟出身の坂口安吾の所蔵資料を展示してある。







すぐ近くの神社で坂口安吾の石碑も見つけ喜んで、文学ゼミ2つも取っている長男に報告したら、「おおっ、坂口安吾ね!『堕落論』読んだわ」(これは早稲田のNHKテレビのロシア語講座の貝澤ゼミなのか、TBSの「王様のブランチ」の市川真人ゼミでか?真人先生、安吾読ませそうだよね…) ワタシも『堕落論』読みたくなったわ!



館長の大倉さんの案内で新潟市美術館もすぐだった。



川村清雄という日本近代絵画の先駆者の展覧会が開催されていた。



勝海舟のお気に入りの画家で歴代将軍や福沢諭吉などの肖像画を油絵で描いていて、なかなか面白い。



真ん前の公園を抜けると旧齋藤家別邸という大きな館があり、こちらもお庭が砂丘館より広かった。





というわけで、文化の香りのする地域をほんのちょっと急ぎ足で回っただけだったが、新潟の文化の土壌の深さを感じられた。
大倉さん、ありがとうございました。







早川俊二ギャラリートークで今までの道のりを振り返る~11月7日新潟の砂丘館にて

2015-11-12 | アート
さて、7日の砂丘館での早川俊二ギャラリートークを振り返ってみよう。

早川俊二氏は、「昨日ここに入って日本家屋に合うかすごく心配だったが、ぴったりだったので、40年やってきてよかったと自分自身で感動している」と目を輝かせながら挨拶をした。
砂丘館始まって以来というほど大勢の観客が詰めかけていて、その反響の大きさを感じる。



冒頭大倉宏館長がこの砂丘館で早川俊二展が開催されたきっかけをこう説明した。
6年前、東京在住コレクターの山下透氏のコレクション展を開催した。
山下氏のコレクションはルオーを始め現代の日本画家の作品で、そこから選りすぐった30点から40点を展示。その中の1点が早川作品だったという。
その後2、3年前に山下氏から長野で大きな早川展をやり、他へ巡回するので、砂丘館でもできないかと持ちかけられた。1点しか観ていない大倉氏は迷ったが、山下コレクションが素晴らしかったので、展覧会を開催することにしたという。

そして、大倉氏が今年の6月の早川俊二長野展を観に行ったとき、「90過ぎた早川さんのお母さんに観てもらいたい」という同級生の強い志にもとづいて、主に同級生でなる実行委員会が3年かけて準備した手作りの展覧会に改めて感動したという。





ここから大倉氏が聞き手となって、今の早川絵画がいかにしてできてきたかの長い道のりの話が始まった。

長野の山の中で生まれ育った早川氏が画家になろうと思ったのは中3のときで、高校時代は朝一番に学校に行って9時まで描き、お昼休みに1時間、夕方4時から暗くなるまで毎日絵を描いていた。
その時代に、「切り通しを見て、向こうの村の家々との距離を見て、なんとなく距離感が見えた。というか空間が見えた」と現在の巧みな空間表現の原点を告白してくれた。

「高校当時、暗いうちに家を出て、写生する場所に行くと、だんだん明るくなってくる。瞬間瞬間の色調がどんどん変わってくる…まだ空間なんていう意識なかった。光の調子がもっとも美しい時期かな。光が強くなってしまうと色がでてきて全体が見えるというよりか物の色が見えてくるでしょ。それよりももっとこう世界全体が見えるような感じだった。いまだにあのとき(の経験が)基本かな」と当時の状況を昨日のことのように振り返る早川氏。

とこんな感じでギャラリートークは流れていく。
受験のためにデッサンに励み、絵画技法を習った創形美術学校時代を経て、渡欧。
パリで巨匠の作品に打ちのめされ、ボザールの彫刻家マルセル・ジリ氏のもとで徹底したデッサンにこだわる。
その後の絵の具との格闘。

と、ここで全部書いてしまうわけにはいかないので、ここいらで休憩します。 ~続く~

写真もいれます。