Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

石川遼君、アメリカツアーデビュー!

2009-02-20 | スポーツ一般・娯楽
話題のゴルファー、石川遼君が、ついにアメリカツアーデビューした。昨日がノーザントラスト・オープンの第一ラウンドの1番ホールで、いきなり得意のドライバーで300ヤードを越えて、落ち着いて、バーディーをとる。いつもの大きなサングラスに目立つ黒い派手なウエアを若者らしく着こなし、堂々デビューだ。(いつものあの赤いゴルフウエアよりもずっとカッコいいです)ニューヨークタイムズ紙は、ツアー前の記者会見で、「派手なパンツと黒髪に載せたサングラス。彼はまるでロックスターだ」と表現している。(2009年2月20日朝日新聞より)

しかし、さすがに緊張しているせいか、7番ホールで右へ。アメリカのくせのある芝のため、ダブルボギーに。13番ホールでは、ピンにからみ、2つ目のバーディーをとる。そして、18番ホールでは、パーで飾り、第一ラウンドのスコアは2オーバーの73で終わった。

遼君は、「緊張した。アメリカの歓声は日本のゴルフファンのとは違っていた。終盤で自分のゴルフができた」とインタビューに答えている。小学生の頃からの夢だったアメリカでのデビューは、かなり緊張したことだろう。憧れのウッズとの対決も夢見ているに違いない。ウッズは前進のニッサンオープン時代に16歳で出場している。若い頃の早熟したウッズを彷彿させるような遼君は、日本のメディアは勿論、アメリカのメディアにも囲まれ、英語でのインタビューにも堂々と英語で答え、17歳とは思えない貫禄ぶりだ。埼玉県の出身で、1月生まれなので、17歳になったばかり。身長173センチで、6歳からゴルフを始めた。

遼君は、いつも移動の車の中で、英会話の練習をしているほどの努力家。遼君の公式サイトにも、今後挑戦したいことに、クロスカントリー大会出場とともに、英会話とある。あいかわらず、この日も理路整然として素晴らしいコメント。さわやかなルックスに礼儀正しい応対。このいつものレベルの高いコメントのため、実力プラスの上々の好感度で、日本での人気があらゆる年齢層に高く、コマーシャル効果も絶大だという。

遼君効果のため、ゴルフをやる子供たちやゴルフをやらせたい親たちも最近増えているという。今日のNHKの朝のニュースでそのことをリポートしていた。アジア最大のゴルフフェアが、東京ビックサイトで行われているが、子供用のゴルフグッズもかなり置いてあるとか。子供たちが、みんな遼君の活躍で、ゴルフに興味を持ち始めている。ジュニア育成のためのシンポジウムもあるというから、この子供たちのゴルフブームが続くといいが。上の息子のサッカー少年の友達もゴルフもやっているらしい。

ブルースギタリスト、菊田俊介のゴスペル演奏を聴く!~インディアナ州、ゲーリーのバプティスト教会にて

2008-10-28 | スポーツ一般・娯楽
福留選手のシカゴ日本人学校の訪問の興奮がさめやらないまま、次のエキサイティングな出来事を目撃した。引越しの準備で猛烈に忙しい中、かねてから行きたかったブルースギタリスト、菊田俊介氏のライブ演奏をダウンタウンのブルースのライブハウス、ブルーシカゴに聴きに行く。

シュンさん(菊田氏の愛称、親しみを込めてこうよばせてもらう)は、ブルース界の大御所、ココ・テイラーバンドのメンバーとともに、8月に大きな事故に巻き込まれ、顔や体に重傷を負う。シュンさんは、ココ・テイラーバンドの専属ギタリストで、ココとともに世界中をツアーで回ったりしている。この事故の詳しい内容は、彼のブログやQマガジンを読んでいただけるとわかるので、詳しくは書かないが、日本の新聞にも報道されるほどのおおきな怪我を負った。そのため、9月は活動を休止。復活されたのが、10月。私は、9月に観にいこうと思っていたので、大ショック!シュンさん、大丈夫かな・・・と心配していた。

が、そんな心配はふきとんだ!ライブハウスでのシュンさんは、ブルースフェスティバルで見たシュンさんと同じように全開!ギターの音もビンビンで、観客も大ノリで、シュンのギターに酔いしれる。



途中、ボーカルが、「シュン、ブルースをあびせろ!」と指示すると、観客の1人のアメリカ人の女の人の前に近づき、ブルースの真髄であるエレクトリックギターのたまらない音を全身で表現しながら、1人1人に投げかける。「エー、あんなことしてもらえて、いいなあ!」と私はやや嫉妬状態。次から次へとギターで女を渡り歩くギタリスト、シュン。かっこよすぎるではないか!横で、アメリカ人の女性カメラマンが取材で、シュンの写真をとりまくる。やはり、シュンねらいか?!

演奏の途中で、シュンさんと話す。顔の怪我も治り、傷もうすくなっているので、ほっとする。事故直後のブログの写真では、顔の傷が生々しくでていて、ミュージシャンの命である顔に傷が入って大丈夫だろうかと心配したが、いつものさわやかなシュンさんの笑顔は健在。ブルースギタリストというと、なんだか暗いイメージがあったんだけど、シュンさんは、話していて、有名なミュージシャンというおごりがまったくなく、気さくに私たちと話してくれるほど感じのいい方。

思い切って、「シュンさんの教会でのゴスペル演奏みたいんですけど」と切り出すと、「じゃあ、日曜日に行くから一緒に行きますか」「エー、いいんですかあ!」「インディアナなんだけど・・・」「なにー!インディアナあ~!」ゲーリーという町のバプティスト教会で毎週ゴスペル演奏をしているという。シュンさんの住むデスプレインからは約1時間。まだ、福留選手の記事も仕上げていない。その日は、車の売買もあって、引越し3日前。ウーン、どうしよう。しかし、本場のゴスペルを聴く機会はなかなかないだろう。よし、土曜日なんとか記事を仕上げて、行こう!

というわけで、近所の友達のやっちゃんにデスプレインまで運転してもらい、シュンさんの車ではるばるインディアナまで行った。あーあ、ジャーナリストとしての性か、見たいという衝動を抑えられない私。その日、主人と子供たちは、着々と引越しの準備、荷物詰めをしていたというに・・・

さて、ゲーリーという町は、かつて鉄鋼の町として栄え、かのマイケル・ジャクソンの出身地。しかし、経済の衰退とともに、町もさびれてしまったらしい。かつて栄えていた工場の建物がくずれ、幽霊のようにそびえたっている。殺伐とした雰囲気もある。きっと、犯罪率もかなり高い地域だろう。シュンさんの話だど、日本人は皆無。黒人が人口が高そうだ。こんな町で、なぜシュンさんは、毎週演奏しているのだろう。

きっかけは、4年半前、ゲーリーの新しい空港が開港されたときの式典で、演奏したときに、このモライア・ミッショナリー・バプティスト教会のジョンソン牧師が聴いていて、気に入られ、お抱えのギタリストとして、雇われたという。そのときの式典には、まだ無名のオバマ氏もいたという。バンドのツアーなどがない日曜日は必ずここの教会で演奏しているという。往復2時間の運転。よっぽど強い思いがないと、普通の人では続かない。

その日のシュンさんの格好は、やはりスーツ!いつものブルースの象徴でもある黒い帽子をかぶったシュンじゃない!バリバリのスーツ。まったくイメージが違う。でも、ブルースギタリストから一皮むけたって感じで、こういうシュンさんもいいなあ。



教会に入ると、全員が黒人の人たちだった。みんな一斉に私たち2人の日本人女性にびっくりしたように目を向ける。しかし、1人1人の目線は、優しい。目が合うと、笑顔であいさつをしてくれたので、ほっとする。席も「ここにおいで」と前の方の席まで案内してくれた。みんなおめかししてきている。若い人も年老いた人も。中には、ド派手な銀色のリボンの帽子をかぶったおばあちゃんもいた。

若い人たちの歌声で、礼拝は始まる。全然キリスト教という雰囲気がなく、普通のさりげない黒人の人たちのステージだ。さまざまなイベント情報をみんなに伝えながら、シュンさんたちの演奏が始まる。その出だしがとてもとてもさりげなかった。いつギターがはいったのかわからないほど。いつもの派手なブルースギター演奏と違って、黒子に徹している感じ。



シュンさんの話によると、雇われる前のトライアルで練習なしで、いきなり演奏をしたとき、キーボードのイントロに合わせてひいたという。勿論、一発合格。イントロの音だけで、次の展開を察知し、一緒に展開できるとは、プロとはすごいものだ。かの有名なボストンのバークレー音楽学院(これで日本語の正式名いいだっけ?)を卒業して、きちんと音楽を勉強しているシュンさんだから、どんな音楽でも完璧に合わせられるのだろう。卒業と同時にシカゴに移り、ストリートミュージシャンから実力ですぐにのしあがり、今のようにライブハウスで演奏をはじめたという。

もともとお父さんの影響でクラシックを小さな頃から聴いて育ったという。その後、中学時代では、松山千春やチャゲ&飛鳥などのフォークを中心に演奏。ギタリストの高中正義なども聞いていたらしい。(なつかしい!私たちも高中の曲、バンドでコピーしてかじってました。)高校時代は、ロックにはまる。私もハードロックが大好き。ロークのルーツをたどると、ブルースにいきつく。ストーンズもクラプトンもみんなブルースから影響を受けている。「(当時)スティーブ・ルカサーなんかもよくコピーしてたね」やはり、シュンさんもロックをコピーしていたんだ。私は、ロックとフュージョン両方を聴いていた。アドリブという雑誌を毎月買って、研究していた。スウェーデン出身で早弾きのイングウェイ・マルムスティーンの話も久し振りにして、私も昔のことを思い出して、またハードロックもじっくり聞きたくなった。

女の人のソロの歌が始まる。本当に心の底からわきでるスピリットが入った歌声といおうか、素晴らしい歌声だった。「ギブ・ミー・ストレングス」(私に力を!)という部分は、真にせまっていた。

礼拝のハイライトは、ジョンソン牧師のお話。内容は、私も疲れで眠くて意識がもうろうとして、全部わからなかったが、みんなをすごい勢いで励ましている。ときおり、すごい感情表現で、みんなをあおる。大声で、「ハレルヤ、ハレルヤ」と叫びながら、演奏が入る。すごい盛り上がり!シュンさんも立ったり、座ったり、そのときのみんなの雰囲気に合わせて、じっくりさりげなく演奏。ここでは、脇役に徹している感じだった。私たちも聖書を見せてもらいながら、言葉を繰り返し、なんだか敬虔な気持ちにおちいる。礼拝が終わると、みんなハグし合い、「きてくれてありがとう!」「また、もどってきてね」とかわるがわる言われた。


ジョンソン牧師とシュンさん

帰りの車の中で、シュンさんが言うには、今回の事故に合って大変だったけど、良かったという。シュンさんのそばにいたメンバーは大怪我をして、まだ病院にいるという。でも、シュンさんは、またこうやって普通に演奏の場にもどってこれた。自分にとって演奏することが、いかに大事かが身に沁みてわかったのだろう。事故によって、彼の人生観が変わったようで、「もっともっといい音楽をみんなに聴かせたくなった」と熱っぽく語る。そんな風に事故のことをとらえられるとは、1つのものをとことん追求する一流の人の精神力とは、私達の想像以上に高いのだろう。私もシュンさんからエネルギーをもらった。シュンさん、ありがとう!

昨日から、シュンさんは日本ツアーと台湾ツアーのため、日本へ旅立った。日本ではまだまだブルースが一般の人に認知されていないので、日本での活動をもっと広げていきたいと語る。11月18日ごろシカゴにもどってくるらしい。基本的に、月曜がキングストンマインド、水曜日がブルーシカゴにて演奏。(詳しくは下記のシュンのサイトかブログでスケジュールをチェック)皆様、ぜひ、一度シュンさんの演奏を観にいってください。日本人の一ギタリストが本場シカゴのブルースシーンを飾っている姿。きっとみんな元気になれると思います。

菊田俊介公式サイト:http://shunkikuta.com

菊田俊介ブルース日記(ブログ):http://ameblo.jp/shunkikuta/

写真もアップできたらしたいのだが、明日引越しで・・・これから、荷造り。
あー、でも書きたいことを書いたので、気分はすっきり!




マイケル・フェルプスの8冠の偉業をささえた母の力!

2008-08-18 | スポーツ一般・娯楽
北京オリンピック真っ盛りの日々。いつもバタバタしていて、じっくり各競技を見てなくて、少しづつかじる程度だが、さすがに「水泳の貴公子」(「水泳王子」って感じはしないんだな。勝手に私たつけたあだな)、マイケル・フェルプスだけは、追いかけてしまった。あのマーク・スピッツの7冠を抜き去り、史上最多の金メダル8冠(トータルでは14個の金メダル獲得)というかつてない偉業を達成したマイケル・フェルプス。まだ、23歳の若さ。6個の金メダルをとった4年前のアテネオリンピックでは、19歳だったってこと?!


100メートルバタフライで0.01秒差で1位をもぎとり、7個目の金メダルが決まった瞬間
8月17日付けシカゴ・トリビューン、スポーツセクション表紙より

アメリカのメディアは、マイケル・フェルプス一色だわなあ。今週発売のスポーツ・イラストレイティッドの特別号を含む2冊の表紙は両方ともフェルプス。まだ、レースは始まったばかりなのに、メディアは完璧に彼がいくつも金メダルを取ることを予想していたようだ。私はまったくオリンピックに疎かったので、この表紙を見て、この人が注目株なんだと気付き、やおら、テレビの水泳のときは、凝視した。まあ、北島もすごかったし・・・

偉業の内容は、各メディアがリポートしているので、私が書く必要はないが、私が感心したのは、勝利したあとのフェルプスのさわやかな対応だった。最後のリレーで、北島が平泳ぎでハンセンを抜いて、日本が1位になり、その後フェルプスのバタフライでアメリカチームは一気に盛り返し、逆転。最後の自由形で逃げ切り、アメリカが金を取る。

毎回、フェルプスは、レースの後は、勝利の雄たけびをあげ、すごい形相で勝ったことを全身で表現するが、その後のやわらかでさわやかなスマイルは、女性ファンをひきつける。テレビは、もうずっとフェルプスを追いまくり、彼のアップを映し出す。北島に完敗しているハンセンはまったく無視され、引き立て役。そのときのフェルプスへのインタビューも、ニコニコしながら、他のメンバーとのチームプレーを強調し、控えめな態度。

そして、多くのカメラが彼を追いかける中、花をかかえながら、どこへ行くかというとお母さんとお姉さんが座っている観客席へ。祝福のキスを受け、2人への感謝を忘れない。

このフェルプスのお母さんの応援中の顔の表情がいたく面白かった。金曜日の100メートルバタフライで、1位か2位かわからないほどの接戦だったときのお母さんの目玉が飛び出るほどびっくりした表情。結果が0.01秒差で1位だとわかったとき、へなへなとくずれさり、テレビに映らなくなってしまったのだ。その表情と動きがとても素直でかわいくって、フェルプスとともに、お母さんも人気がでそうな感じだ。

今日NBCがフェルプスの特集をしていて、最後の方で本人とともにお母さんも出て、インタビューをされていた。シングルマザーで、2人の子供たちを育て上げ、学校の校長先生だという。みんな生徒たちが、2人のことをバルティモアで待っているという。

そして、なんとフェルプスが小さな頃、ADHDだったという事実が明かされる。私は思わず声を上げてしまった。そのためフェルプスは、他の友達によくいじめられていたという。水泳に出会って、若いうちに才能が開花され、お母さんの努力で、ここまできたのだろう。すごい!ネガティブな部分を親子で努力して克服して、きっとポジティブな力に変えていったのだろう。アメリカ人ってこういうエネルギーがすごい!

並外れたスポーツ選手が、小さな頃落着きがなく、暴れていて、そのエネルギーを好きなスポーツに渾身に傾けて、成功したという話をよく聞く。前回の投稿にでてきた親友のべスのボーイフレンドのマットの弟がそうだったという。かなり有名な元メジャーリーガー。今もデトロイト・タイガースの1塁ベースコーチとして、テレビによくうつる。シカゴカブスをかもにしていたというアンディ・バンスラクだ。カブス戦でよく打っていたらしい。でも、シカゴの人々からは、愛されていたという。

アンディは、小さな頃はかなりワイルドでお母さんたちの手を焼いていたが、野球を見つけてから、練習に邁進していたという。これも成功例。こういう話を聞くと、小さな頃やんちゃで、周りを振り回し大変な子供でどうなってしまうのかと心配するが、そういう子が大化けするから、子供ってわからないものだ。

このフェルプスとお母さんのインタビューを聞きながら、マイケル・フェルプスのお母さんの育て方をもっと知りたいと思ってしまった。母親として、フェルプスとフェルプスのお母さんに乾杯!




シカゴブルースフェスティバル2日目~ココ・テイラーバンドでの菊田俊介の存在感光る!

2008-06-09 | スポーツ一般・娯楽
シカゴブルースフェスティバルの2日目のメインステージ、ペトリロ・ミュージック・シェルのトリを勤めるブルースの女王、ココ・テイラーと彼女のバンド「ブルーマシーン」の演奏は、夜の8時35分からだった。

ダウンタウンに行く快感を覚えてしまったやっちゃんと私は、「菊田さんと話さないことには、気持ちがおさまらない!もういくっきゃない!」とばかり、綿密な計画を立る。やっちゃんは、菊田氏とどうしても一緒に写真を撮りたいらしい。

上の息子と下の息子の友達を呼び、楽しい気分で金曜日の午後を過ごさせ、その間に必死で晩御飯の支度。上の息子に下の息子の面倒を見るように頼むと、いつものように「任せておいて!」私よりきちんと面倒を見て、早く寝かせつけられる有能で頼りになるベビーシッターである。金曜日の6時半のメトラに乗り、やっちゃんと私は、再びグランドパークをめざす。

しかし、しかし、着いたら、すごい人、人、人。木曜日の昼とは、えらい違いだ。メインのステージの場所には、すぐ着いたのだが、人の多さに圧倒される。8時半より前に着いたので、その前のエディ・クリアウオーターズ・ウェストサイド・ストラットとそのゲストたちが演奏している。はるかかなたにステージが見える。こうなったら、前に進むしかない!とばかり、私たちは、ずんずんひたすら人をかき分け進む。真ん中あたりにきて、大きなスクリーンがあるのに気づく。



本格的な大規模コンサートだ。でも、みんなローンチェアでゆったり座ってビールを飲んでわいわいやってる。バカでかい屋根を立てて、日よけをしているグループもいて、こんなのありって感じ。まるで、キャンプみたいなノリ。



だいぶ前にやってきたが、まだまだステージのプレイヤーが小さく見える。やっとステージの前の座る場所を見つける。セキュリティの人がいる。チケットが必要なのかしら?えーい、はいってしまえ!笑顔、笑顔。不安気なやっちゃんをリードしながら、入る。手にスタンプを押されて、入った。なんと、まだまだ席があるではないか!やっちゃんとめまぐるしく席を探す。





そのとき、ステージには、なんと日本でも人気のオーティス・クレイが紹介されているではないか!何人かの人たちがステージ前で写真を撮っている。私も写真もとらないと!またしても、ずかずか一番前の柵に行って、必死で撮る。ここでは、何ショットか撮って、自分の席にもどればいいのだそうだ。またまた、なんて、太っ腹。これもすべて、タダよ!主役のエディ・クリアウオーターは、20年間もシカゴのブルースシーンで活躍するベテラン左ききギタリスト。



やっちゃんと真ん中の前から10列目ぐらいに2席確保し、コンサートを見ながら、夕飯を大急ぎで食べる。誰も食べてないよ。でもかまうものか!腹ごしらえをしないと、菊田さんと話せないもんねー!

ココ・テイラーとそのバンドの紹介のときは、話す人の横で、手話でも紹介されたのに感動する。



ステージ上には、昨日私たちを興奮させた菊田氏がまたしても前日と似たような透けた白いステージ衣装と帽子をかぶっている。「うーん、洗濯してないのかなあ。」「いや、きっと何枚も同じ衣装を持っているのよ。」やっちゃんと私はぶつぶつうるさい。



いよいよ演奏が始まった。さすがに、ココ・テイラーはでていない。主役の前座といった感じ。巨大な人波の渦の熱気が、一気に菊田氏の演奏に向けられる。1人の日本人のギター演奏が、これほどの大観衆の注目をとらえる。菊田氏が歌も歌う。



かなりの人たちが、菊田氏を認知しているのか、日本人がブルースを表現しているのに驚くわけでもなく、白人がブルースギターを弾いているのと同じように、その巧みなテクニックに酔いしれている。菊田氏のブルースギターは、「東洋人でもおまえらと同じハートを持っているんだよ!」と語りかける。

コンサート会場が盛り上がってきたところで、いよいよシカゴブルースの女王、ココ・テイラーのお出まし。すごい貫禄!光輝く金色のピタッとしたドレスで登場。泣く子も黙るとは、このことか!「地球が震えるようなパワフルな歌声」とカタログに表現される通り、そのド迫力の歌声は、屋外の巨大会場に似合う。



「アイム・ア・ウーマン」という歌は、まさに彼女の心の奥底からの魂の叫びといった感じか。80歳を過ぎても女であり、キャリアを全うする女王、ココ・テイラー。菊田氏は、このココ・テイラーのバンドに2000年から参加。世界中のさまざまな場所で、彼女についてツアーをしている。ココ・テイラーが菊田氏をうれしそうに見ながら、歌う。その雰囲気に菊田氏への絶大な信頼を感じる。なかなかそこまでの実力を認められた日本人ギタリストは少ないのではないか。そういう人が、このシカゴにいるというのは、私たちの誇りである。



さて、ココ・テイラーは、最後まで出演せず、さっさとあっさりと退場。なんだか足元がおぼつかない感じ。やはり、今年80歳という年齢には勝てないか?!バンドは、演奏を続ける。前に座っている大柄のアメリカ人のおじさん2人が、「チャイニーズだろ。」などど知ったかぶりで菊田氏のことを話している。ちょっと待ってよ!おじさん、思わず、トントンして、「彼は、ジャパニーズよ。」と教えたら、そのおじさん、ハイファイをする。そのすぐ後、私の左隣のおじさんが、「彼のプレーはいいねえ。」と話しかけてくるので、思わずグーサインをだした。私が写真を撮っている間、やっちゃんは、隣のおじさんに、「キクタの家族か?」と聞かれたらしい。家族って、奥さんって意味?ウーン、やっちゃんも魅力的なのだ。

そうこうしているうちに、コンサートは終了。みんな肩を組んで、挨拶。「もう一度やって!」という声がかなり聞こえるが、アンコール演奏はなかった。やっちゃんと2人で、急いでステージの方へ駆け寄る。菊田氏が機材をかたづけているところに、「きくたさーん、いい演奏をありがとう!」と手を振ると、笑顔で答えてくれた。やっちゃんが、「話したいね!」と言って、思案する。目の前のセキュリティの人に「ジャーナリストなんだけど、キクタをよんで!」と頼むが、「僕たちは、プレイヤーと話してはいけないことになっている。このステージの裏で待っていれば、話せるぜ。」と教えてくれる。

やっちゃんは、すごい勢いで駆け出し、その道を探して、まっしぐら。私は、ハアハア言いながらついていく。でも、やっちゃん、全然違う方向へ。早くしないと、菊田氏が帰っちゃうよ。やっと、楽屋からの出口を見つける。セキュリティの人に聞くと、2箇所出口があるから、どちらからでてくるかわからないという。しばらく待つ。まったくでてこないので、もう一方の方に行く。やはり誰もでてこない。もう10時前だ。10時半の電車に乗らないと次の電車まで2時間ぐらい待つことになる。「もう菊田さん帰ったんじゃない」と私は、あきらめて、歩き出す。

しばらくしたら、やっちゃんが、大声で、「あれ菊田さんだ!」菊田氏が白い帽子をかぶって出てきた。服も着替えて、ティーシャツ姿。よかった、待った甲斐があった。菊田氏は、まったく疲れた様子がなく、とても感じよく、私たちに接してくれた。写真を一緒に撮るのも気持ちよくOKしてくれた。プレーしてない菊田氏は、なんだかとても若々しく、気さくで素敵だった。やはり、ステージでは、プロのギタリストとして、真剣勝負のやや厳しい大人びた表情になるのだろう。



私たちはもっと菊田氏と話したかったが、名残惜しみながら、またまた、帰り道、タクシーに飛び乗って、興奮さめやらないまま、メトラで、音楽談義にふけって帰った。今度は、菊田氏が定期的に演奏するブルースバー、キングストンマインドに絶対行こうということになった。なんだか、病み付きになりそうな気配です。菊田さーん、素晴らしい一夜をありがとう!

また、明日、もう少し写真を追加します。






シカゴブルースフェスティバルへ行こう!~初日~ブルースギタリスト、菊田俊介が熱い!

2008-06-08 | スポーツ一般・娯楽
ついにシカゴの夏の風物詩、ブルースフェスティバルを目撃!今まで何年もシカゴにいて、子供たちの雑事でいつも逃していたシカゴ一大イベント。なんたって、ブルースの町シカゴなわけで、これを見なくて何を見ようぞ!

初日の木曜日、アメリカの音楽事情に詳しく、何回もブルースフェスティバルに来ているシンガー兼ライター仲間のしょうこさんをまず誘い、音楽好きの友達3人を引き連れて、メトラでダウンタウンへ向かう。アーリントン・ハイツから乗ったメトラは、ブルースフェスティバルに向かう人々で込んでいる。

アート・インスティチュートのライオン像の前で、しょうこさん(下の写真右から2番目)と落ち合い、一同グランドパークをめざす。入り口のゲートの前で記念撮影。



私たちのお目当ては、勿論、シカゴのブルースシーンで活躍する日本人ギタリスト菊田俊介氏の演奏。しょうこさんも菊田氏の演奏を聴くのは初めてだというから、(他の友達も私も)私たちは、どんな姿で彼が現れ、どんな存在感を見せるかワクワク、ドキドキ!

ゲートを入ってすぐのフロント・ポーチというステージで、子供たちが、一斉に歌っている。手作りの単純なベースを鳴らしながら、素人なりに頑張っている。



今年のブルースフェスティバルは、25回目。今回、ブルースの女王と呼ばれるココ・テイラー、大御所BBキングなど世界的に有名な超一流のブルースミュージシャンたちが、トリをつとめる。毎年100万人もの観客を動員するほどの世界最大規模のブルースフェスティバル。しかも、すべてのコンサートがタダ。タダですぞ!しかし、こんな普通の子供たちでも、この栄えあるブルースフェスティバルに出演できるのだから、誠にアメリカという国は太っ腹。

気温もぐんぐん上がり、サンダーストーム予報もでての蒸し暑い6月5日のフェスティバル初日。冴え渡る美しい緑と太陽の下、6月初旬の初夏という季節がぴったり。シカゴのダウンタウンの美しい摩天楼をバックに、この公園にブルース好きの人々が世界各地から集まってくる。まだ、お昼前なので、人はまばら。しょうこさんの話では、日本からの観光客もこの時間はショッピング中で、夕方から続々人が繰り出してくるという。菊田氏が案内する日本からのツアーもあるという。

菊田氏のバンドの演奏開始が、12時なので、その前に腹ごしらえ。公園内の歩道脇には、音楽関係のブースがあったり、ファーストフードやドリンクのお店が並ぶ。チケットブースで、12枚つづりのチケットを買い、そのチケットでピザとアイスコーヒーを急いで買う。




菊田氏の演奏場所、「ギブソンギター・クロスロード・ステージ」の横のテーブルで食べる。このステージのバックは、湖。なんて贅沢な場所。摩天楼と湖が対面している場所にステージがあり、ステージの規模が小さいので、じっくりと近くで演奏を堪能できる。

あっと、そうこうしていると、なんと白い衣装を着た菊田氏が誰かと話しているのが見える。はなしたーい!けど、本番前なので、ぐっと我慢。やはり、話すのは、演奏してからよね。


これが、ギブソンのステージ。意外と小ぶりで、親しみやすいね。

パトリシア・スコットのバンドのリードギタリストとして、菊田氏の演奏が始まった。バンドのもう一人の黒人のギタリスト、チコ・バンクスがギターを弾きながら、歌う。きっと日本のコンサート会場なら、かなりの料金をとられるだろう。



いきなり、のっけから菊田氏、ソロギター演奏で、観客を引きつける。久し振りのブルージィーなサウンドにしびれる。体の奥底に響くんだなあ、これが!



菊田氏が前面にでているので、ステージのまん前に行って、彼の雄姿を写真におさめようととりまくる。座って見ている人の邪魔にならないのか心配したが、みんなステージ前の柵で、カメラマンのようにバチバチ撮る。近くで道端に座って見ている人も文句を言わない。



本物のカメラマンは、取材のため、柵の前で撮っているが、こちらと距離はそんなに変わらない。なんて、自由な雰囲気なのだろう。横に、よくある浮世絵調のゲイシャの絵がついている趣味の悪いティーシャツを着ている女の人が、かぶりつきで、踊っている。目線の先は、やはりシュン・キクタか。でも、その趣味では、シュンは振り向かないのでは?!


シュンのギターさえわたる!!


みんなこんな感じで摩天楼をバックに見てます。

じっくり演奏を聴こうと、しょうこさんたちがいる場所にもどる。しょうこさんともう一人の友達は、楽しそうにリズムにのっている。私ものってきた。こういうときは、立って踊るに限る。座席が少しなので、誰にかまうことなく、思い切り踊っても大丈夫。普段の生活のことや子供たちのことを一切忘れて、ブルースに酔いしれる。友達ももうすぐ日本に帰国するので、1分1秒を惜しむように、輝く笑顔でシカゴの本場の音楽を楽しんでいる。


USセルラーからもらったブルーのネックレスを光らせながら、踊る!


しょうこさんものってます!飛び入りして、歌ってほしいよ!

昔、ハードロックのコンサートに通いつめていたころも、武道館、ドーム、渋谷公会堂などで、踊りまくった。上の息子を妊娠していたときに、妊娠7ヶ月まで仕事を続けて、身重の体でエアロスミスのコンサートに主人と行った。そのときもついつい踊りまくり、さすがの主人も「大丈夫かよ!」とあきれていた。胎教のために、(将来、ロックギタリストにならないかとほのかな期待)スティービー・レイボーン、エアロスミス、クラプトン、ガンズなどをずっと聞きまくっていたが、残念ながら、上の息子は、そういう音楽にはまったく興味を示さない。下の息子を帝王切開で生んだ直後の壮絶な痛みと闘ったときもクラプトンをじっくり聞き、1分1秒痛みをしのいだ。というか音楽と痛みにのった。なぜあのときクラプトンだったのか、今もってわからないけど・・・

そうです。実は、もともと私も主人もヘビメタ、ハードロック大好き人間です。主人は、学生のころは、ロックバンドで、ベースやドラムを弾いていた。長髪で茶髪の主人は、やせ細った、ハングリーなロック青年。彫りが深く目立っていたので、(ストーンズのキース・リチャードのような髪型だった)バイト先で、レコード会社の人からスカウトされり、少女雑誌に載ったり、華やかな時代もありました。(今じゃ、野球オヤジと化してしまったが)

私は、航空会社で国際線のグランドホステスをやりながら、休みの日は、ハードロックの老舗ディスコ、赤坂の「ビブロス」(あのツェッペリンのロバート・プラントが、来日した時、飛行機から着いてビブロスに直行したという逸話があるほど、ギンギンのハードロックかかってたねえ。菊田さんも行ったことあるのかしら?)やソウルがかかる「ムゲン」(このムゲンもかなりファンキーで、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」にでてきたキラキラした銀色のミラーボールが回っていた)で、踊りのうまい妹とよく踊りに行った。当時は、あの映画の影響で、ディスコ全盛期。バブル期のジュリアナ東京ブームの前の時代。アース・ウインド・アンド・ファイヤーのナンバーやリック・ジェームスの私の大好きな「スーパー・フリーク」よくかかってた。世はサーファー時代。「Fine」とかいう雑誌もあったねえ。4分の1外人の血が入った、ちょい影のあるカッコいいビブロスの名物DJ、パンキーさん(なぜかしゃべるとすごい東北弁のなまりがあった)もサーファーの女の子が好きだった。

私たちにとって、何も心配ごとのない、楽しい時代だった。ただ、留学するって夢だけは追って、航空会社の特典を使って海外旅行をしながら、お金をこつこつ貯めた。音楽評論家の講座を真剣に受けに行って、湯川れい子氏や伊藤正則氏の話を聞いたり、主人と2人で、当時のロック少年少女のバイブル雑誌、「ミュージック・ライフ」に入るために、試験を受けに行き、2次試験の面接で、あのやり手編集長、東郷かおるこ氏と対面した。ちょとこわくてとても貫禄があり、主人は気に入られ受かり、私は落ちた。なーんて大昔の話はさておき。

菊田氏は、そのキャリア通り、カッコいいブルースギタリスト。テクニックがどのぐらいすごいのか、私は、ブルースの専門家ではないので、具体的に説明できないが、やはり、ギターを弾くときのテンションの高い表情がいい。ブルースを心から愛し、世界のトッププレイヤーたちとセッションするのが、楽しくてたまらないような感じだ。ココ・テイラーに誘われて、彼女のバンドに入り、彼女と一緒にツアーをしながら、世界中でプレーする菊田氏。金曜日のメインステージでの8時半からのトリが、ココ・テイラーと彼女のバンド、ブルース・マシーンの演奏だ。うーん、どうしよう、また明日も見に行きたくなった。




ドラマーは、黒人の若い女の人で、途中の彼女のボーカルもうまく、みんなをわかせた。ベーシストも低音でしぶく歌い、盛りあがっているが、時計を見ると1時近い。1時半のメトラに乗らないと、子供たちのお迎えに間に合わない。しかたがない、コンサートたけなわの中、泣く泣くおさらば!ダッシュで、記念のティーシャツを買い、途中でタクシーに飛び乗って、ぎりぎりセーフ。私たちが帰った後に、バンドの女性ボーカリスト、パトリシア・スコットが出演した。


こんなロゴマークがはいっているクールなティーシャツ。
いろんなデザインがあり、やっちゃんは、女の人用を買った。

帰りの電車では、しょうこさんが持ってきてくれた自伝「たのもうアメリカ」(近代文芸社)をみんなで見ながら、「来れてよかったねえ!」と談笑。しょうこさんが、長年勤めていた会社をやめて、単身アメリカにのりこんだときの3年間の記録だ。また、この本を読んで、内容を皆さんに紹介します。私も似たような体験をアメリカで留学及び駐在経験をしたので、その時のしょうこさんの気持ちがわかる。

私とダウンタウン大好きなやっちゃんは、密かに「どうする?明日のココ・テイラー。見に来ようか?菊田さんにも会いたいし・・・」とぶつぶつ言いながら、家路に着いた。~続く 

このときの様子は、菊田氏の日記ブログにも書かれている。http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10103880078.html


ブルースフェスティバルウェッブサイト:www.chicagobluesfestival.us

日曜日の8時15分から9時30分のBBキングのコンサートが最終。
Grand Park 337 ERandolph, Chicago

菊田俊介氏の公式ウェッブサイト:http://shunkikuta.com

しょうこさんのブログ「SHOKO's Life in America」:
http://blog.goo.ne.jp/shokobrown


写真アップするの疲れたあ。息子がパソコンを待っているため、明日またアップします。次は、金曜日のココ・テイラーと彼女のバンドのコンサートの模様をリポートします。


ブルースとは・・・

昔、アフリカ系アメリカ人が社会から差別を受け、綿花畑での重労働に従事していたころ、その辛い仕事に耐えるために、まだ彼らの心を癒すために生まれたといわれている。(Qマガジン APRIL 2008 Vol.56 p16より)

ハードロック界の大御所、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ボーンなどの音楽のルーツはみなこのブルースから。ストーンズのミックがシカゴのブルースバーで飛び入りで、セッションしたなどと昔よく書かれていた。






ケニー・遠藤のグレイト太鼓パフォーマンス!

2008-04-25 | スポーツ一般・娯楽
4月22日、今週の火曜日にハーパー・カレッジで、しびれるコンサートがあった。世界的に有名な、ホノルル在住の日系人、ケニー・遠藤氏による太鼓のパフォーマンスが、4人の仲間たちと共ににあり、そのパワフルな演奏で、大学の関係者、地元の人たちを驚かせた。

日本人の笛奏者、渡辺かおる氏の日本古来の笛の音色に呼応しながら、太鼓を静かにたたく遠藤氏。一瞬、平安時代の日本にスリップしたかのような不思議な空間がハーパー・カレッジのコンサート会場に広がる。渡辺氏は、修行僧のような威厳をたたえた不思議な人だった。

その太鼓が時にはパワフルになり、私たちに主張し、ときには静かに話しかけながら、観客とコミュニケーションをとっている。ジャズ風にも聞こえるし、アフリカの民族音楽を取り入れているような瞬間もある。東洋と西欧の融合が誠にクールで、新しい音をかもし出す。

ハイライトは、2人組で体全体で回りながら、手をあげて、交互に2つの太鼓をたたくエネルギッシュなパフォーマンスが圧巻。ロス・アンジェルスやシアトルなどアメリカ各地から集まった若い男女3人の日系人たちのほとばしるようなパフォーマンスが、観客の心をゆさぶった。

また、さまざまな太鼓と現代のドラムに使われる一部分との合体のパフォーマンスも遠藤氏が見せてくれた。

最後の方の遠藤氏と渡辺氏の歌舞伎と能の場面に使われるという2人の演奏は、世界中に普遍に存在するミステリアスなアバンギャルドなアートの世界を創りあげていたような気がする。

遠藤氏の話では、アメリカには何百もの太鼓演奏のグループがあるという。知らなかった、そんなに太鼓が人気とは。私たち純粋な日本育ちの日本人があまり見向きもしないでいるというのに、日系人たちは、日本古来の文化をアメリカ人たちに努力して伝えようとしている。そんな熱意にいたく感動してしまった。

3人のうちの1人、ロス・アンジェルスに住む日系人4世の若者、アダム・戸田氏は、他の仕事をしながら、太鼓の演奏をしているという。6才からお兄さんと共に、日本人の彼らのおばあさんに太鼓を教わったという。日本にも住んだことがあるという戸田氏は、日本で仕事を見つけて住みたいという。

そして、パフォーマンスを観ながら、シカゴ日本人学校全日校中学部のソーランを思い出した。去年の6月のジャパン・フェスティバルで、生徒たちは、初めて太鼓を取り入れた新しいソーランを披露した。短い期間で、勉強と両立させながら、見事にみんな素晴らしい力強い踊りを披露してくれた。シカゴの地で、日本人の中学生たちが、日本の伝統を誇り高く披露する。そのことは、本当に意義のあることだと認識した。今回の遠藤氏の太鼓のパフォーマンスをみんなに見せたかったなあ。ハワイに住む遠藤氏をぜひいつか日本人学校によんでみたい。

ケニー・遠藤氏のウェッブサイト:www.kennyendo.com

バッファロー・グローブの「エスケープ」で家族でボーリングを楽しむ

2008-02-19 | スポーツ一般・娯楽
今日は、午後からかなり寒くなってきて、雪もちらついてきたので、バッファローグローグの人気娯楽施設、「エスケープ」で、家族でボーリングを楽しんだ。

エスケープは、バッファロー・グローブの中心地に位置し、シアターやさまざまないいお店のある感じのいいタウン・センターという人気のモール内にあるため、いつも小さな子供からティーン・エージャー、大人と幅広く楽しんでいる。ボーリング以外にも、レーザーガンで打ち合い点数を競う、レーザー・タッグやゲームセンター、バッティング・ケージと冬の室内で楽しむ娯楽に持ってこいの場所である。

私の記憶では、うちがシカゴに6年前に越してきてすぐの頃、このエスケープができて、上の息子の仲良しのアメリカ人の友達ジェームスの誕生会がここであった。それ以来、野球のチームの最初のペアレント・ミーティングに個室が使われるなど、バッファロー・グローブの貴重な交流場所としてもみんなに利用されている。

シカゴ日本人学校全日校からも車で10分ぐらいと近いので、上の息子の学年は、ちょくちょく冬はエスケープで、ボーリングやレーザー・タッグで、クラス単位で楽しんでいる。親にとって誠に有難い場所である。

うちの家族もたまにここでボーリングをしている。ボーリングは、ガーターにならないようなゲートをつけると、小さな子供でも十分プレーできるので、家族ぐるみで楽しめるスポーツだ。

エスケープの受付をしようとしたら、早速知り合いのアメリカ人に出くわした。1月に私が投稿した中にでてきた、上の息子のバスケットの試合で対戦したチームにいた美形のブライアンとその父親ビクターだ。「よっ」というと、「今バッティングケージで(ブライアンが)打ち込みをしてきた。」と言う。「うちは今から家族でボーリングよ。」と言うと「そりゃいいアイディアだ。」と言いながら、帰って行った。3月の終わりから野球のチームの練習が始まるので、野球少年のブライアンも着々と準備しているようだ。ビクターは、息子のスポーツに対して、とても熱心で、いつもチームのコーチを引き受けている。何回か息子とブライアンは野球でもバスケットでも同じチームメートになっている。うちの息子も毎週バッティングケージで打ち込みで調整をしていて、どの野球少年も同じだ。息子たち2人が、さまざまなスポーツをバッファロー・グローブでしてきたおかげで、バッファロー・グローブのあちこちで知り合いに出会う。

今日は、2ゲームして、みんなの調子はまあまあ。私も今日はストライクが何回かでて、ストレス解消!いい音楽も鳴っていて、途中、私の大好きなヘビメタのガンズ・アンド・ローゼズの「You could be mine 」という曲がかかったので、ますます調子がでた。(実は、私と主人は、ヘビメタ・ハードロック大好き人間)下の息子は、両手でドデンと落とす小さい子ならではの投球法。主人が教えて、やっと片手に。下の息子は、スコア100までいくが目標だったのだが、今日は2ゲームともそれに届かなかったので、終わったら、ぶつぶつ文句を言っていた。よほど、くやしかったのだろう。

ただ、このエスケープで、下の息子が5歳ぐらいの時、上のお兄ちゃんたちとボーリングをやっていて、指をボールにはさんで、骨にひびを入れた経験があるので、小さな子供たちは、要注意だ。

隣で10歳ぐらいのアメリカ人の男の子2人だけで(親はいなかった)やっているレーンで、ボールが途中で止まってしまい、彼らが何回もそのボールに向かってボールをころがしてぶつけようとしている。ピンを落とすバーにまで何回かぶつけて、機械もおかしくなってしまっている。困った奴らだと思い、しっかり注意したら、係の人がでてきた。やはり、小学生中学年ぐらいまでは、ボーリングは親が見ていたほうがいいような気がする。



eScape

350 McHenry Rd
Buffalo Grove, IL 60089
847-821-9000
www.escape.us

Perfect Crime! おめでとう、マニング、スーパーボール制覇、そしてMVP!

2008-02-05 | スポーツ一般・娯楽
昨日の夜からのスポーツ・ニュースは、NFLのスーパーボール一色だ。1年に1回の国民的なフットボールの祭典とでも言おうか。アメリカ人は、年寄りもおばさんも子供たちもみんな、この日はテレビにかじりつき。

私は、フットボールのルールがまったくわからないので、いつもは見ないのだけど、昨日はちらっと見たジェイアンツのQB(クオーターバック)、イーライ・マニングが若くてとてもかっこよかったので、見入ってしまった。

でも、スポーツ通の主人は、今までのシーズン18戦全勝のペイトリオッツが断然有利で、ジャイアンツは・・・という感じのことを言っている。なるほど、ペイトリオッツのユニフォームはブルーで、かたやジャイアンツは赤い線が入った白のユニフォーム。なんだか弱々しく見える。

昨日は、大事な取材が入って、記事を仕上げながら、見ていた。最後のほうで、リードしていたジャイアンツが、またまたリードされる。14対10で、あと残り3分。マニングにかかっている。「マニング頑張れ!」私は思わず声を上げた。すごいプレッシャーだろうが、なぜかマニングの表情にはあせりが見えなかった。何かとてつもないことをするような気がした。ディフェンスに囲まれ、絶対絶命の中、シャツを引っ張られるのをするりと抜けながら、第4クォーターでは、83ヤードのドライブを決める。残り35秒で、劇的なバレスによる逆転タッチダウンに至る前のデビット・タイリーのキャッチを「サーカス・キャッチ!」とテレビや新聞で表現していた。最終スコアは、17対14で17年ぶりのジャイアンツのスーパーボール制覇が決まった。

ジャイアンツの監督は大きなゲイタレードのバケツから水(おそらく水ではなくゲイタレードであろう)を思い切りかけられて、(なぜこんな恐ろしいことをするのか、風邪引いちゃうじゃないか!でも、新聞にトラディショナルと書いてあるからこうするのが恒例となっているのだろう)アンビリーバブルな勝利に酔う。アンダードッグ(負け犬)と呼ばれたチームが全勝のチームを制覇したのだから、ジャイアンツファンの心境はいかに。今日のデイリー・ヘラルド誌は、「パーフェクト・アプセット(完全な番狂わせ)」と書きたて、シカゴ・トリビューン誌のスポーツ・セクションのヘッドラインには、「パーフェクト・クライム(完全犯罪)」とまででている。そこまで書かなくても・・・

プロ4年目の27歳の若きイーライ・マニングは、去年のお兄ちゃんのペイトン(コルツQB)に続く兄弟でのスーパーボール制覇、そしてMVP受賞となる。でも、新聞は、一番末っ子のベイビイ・ブラザーという書き方をしているから、マニング家ではみんなから可愛がられているのかな。

去年のスーパーボールでは、シカゴ・ベアーズがこのコルツにやられたから、弟より4つ年上のペイトン・マニングはずっと私の記憶に残っている。スーパーボールの間もずっと弟の試合を見守る兄の姿をテレビは映し出していた。新聞によると、マニング一家は、3人の息子を持ち、一番上のお兄ちゃんは、怪我のため、早々と引退しているようだ。でも、お兄さんとして、弟たちの名声は大変なプレッシャーだろうなあ。俺も何か大きなことをやらないかんと。ちなみにお父さんは、名QBだったアーチーという人らしいから、まさにフットボール一家である。兄弟たちは、小さな頃から英才教育をほどこされてきたのだろうか。

今日は、朝からずっとスポーツ・ステーションで、しょっちゅう昨日のイーライ・マニングの雄姿を映し出している。こんなスマートでハンサムなQBなら、日本でも人気でるんじゃない。などとまたミーハー的な見方をしていた昨日、今日です。

ブルーマン・グループを観に行く

2008-01-29 | スポーツ一般・娯楽
日本でも話題のブルーマン・グループをダウンタウンのBriar Street Theaterで、家族で観に行った。演劇関係って、日本人は言葉の壁があるから、なかなか楽しめないけど、パントマイムでコメディー中心のこれなら、子供たちも楽しめるかと思って、去年のクリスマス休暇に行った。

劇場の中は、パイプなどをはめ込んだ壁で、無機質な現代アート空間を演出している。私たちの列は、前から7列目。その前の列まで、ポンチョが用意されていて、みんなきちんとそれを着用している。私たちは、大丈夫なのだろうか?いったい何がとびだすのか!子供たちも緊張している。白い紙の鉢巻まで渡され、頭に巻く。なぜか東洋っぽいイメージも演出。

始まる前に、文章が流れ、観客を引き込む。「ピューリッツア賞受賞の何々さんという作家がきているから、みんなで挨拶しよう!」「せーの、ハーイ!」「今日は何々さんのバースディーだからハッピーバースディーと言おう!」などとみんなで叫ぶ。最初からとばす、とばす。

ブルーマンたち3人が舞台に現れる。マシュマロを投げ、口の中で受け止め、口いっぱいになったり、太鼓をたたくとカラフルな水しぶきが上がったりとまさに奇想天外。3人がお互い顔を見合わせるときの表情がなんともいえないほどユーモラスで、一番受ける。

観客から、年配の黒人の女性が舞台に上げられ、無理矢理一緒に演技(?)させられる。困った表情をしていたおばさんが、いつの間にかブルーマンを引っ張っていっている。まるでブルーマンの演技パワーがおばさんにのりうつったのかのよう!

実は、その日がこのおばさんのバースディーだったんですね。私たちの後ろの席の方で、主人が盗み聞きしてわかったことです。なるほど。ブルーマンからのバースディープレゼントは、ぐちゃぐちゃになったバナナだったらしい。

もう一人の若い男性も舞台外に連れ去られ、すさまじい状態に!これ以上は言えない!

ブルーマンは、観客の席によじ登る。あやうく、主人も餌食になりそうになる。目が合うとだめ!3人のブルーマンの左側の人を私は、気に入ったのだが、どうも生みの親の一人であるクリス・ウインク氏のような気がする。ウィンク氏の素顔の写真ととても似ていて、シアターのプログラム・パンフレットの出演者の中に彼の名前を見つけたからである。

最後は、何かが、観客席を襲うので、(子供たちは、これまみれになった)ぜひぜひ、皆さんブルーマン・グループをシカゴ滞在中に観に行ってみてください。

カメラ等の撮影は禁止だが、終わった後もブルーマンたちが、出口にいて、写真を一緒に撮らせてくれるから、くれぐれもカメラもお忘れなく!私たちは、カメラを持っていかなかったので、ブルーマンとは握手しただけで、写真を撮れなかったのが心残り。

写真は、ブルーマン・グループのパンフレットより

www.bluman.com