楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

さぁ、どんどん行きましょう

2020-04-28 09:48:56 | 日記

今度は、徳林寺というお寺に来ました。どんなお寺なんでしょう?

整然と並んだ六地蔵があります。

随分と張り出した山門です。

ここは地蔵堂という建物です。

ここは薬師堂だそうです。

これは、このお寺にある貴重品、寺宝を説明した案内板ですね。

何だか立派な菩薩像が並んでいます。

おっ、可愛らしいお地蔵さん、小僧地蔵と言うらしいですよ。

本堂が見えて来ました。

立派な扁額が掲げてありました。ところで、このお寺は?

曹洞宗寺院の徳林寺は、福聚山と号します。徳林寺は、鎌倉幕府倒幕の際(正慶2年1333年)に新田義貞が本陣を当地に置いた際、当所の地頭小澤某が所持する唐像の正観音を閲覧して当寺の本尊としたともいいます。その後小澤主税法謚白翁常清が開基となり、僧存松(天文2年1533年)が開山したそうです。武蔵野三十三観音霊場17番です。徳林寺所蔵の文化財は、先ほどの解説版にもあった•絹本着色釈迦涅槃図(狭山市指定文化財)•絹本着色釈迦八相図(狭山市指定文化財)です。

さて、次はどこかな?

意外と近い場所にまたお寺がありました。

大きな観音像が見えます。

近くに来ると、華やかな幟がたくさんある観音堂でした。

枯山水の小さな池もあります。

ここが本堂ですね。福徳院というお寺だそうです。

福徳院不動尊は綿貫家代々の守本尊とされていましたが、二代目孫兵衛は不動明王尊を篤く信仰しており、年数回も成田山へ来詣し、成田山に金燈篭や多額の浄財の寄進を行うほどでした。これを聞いて、成田山新勝寺は彼の篤信に感銘を受け、大護摩を厳修してその浄灰をもって不動明王の尊像を謹製し、開眼の上、綿貫家に授与したと伝えられています。その後、本尊は明治8年徳林寺に17世賢光師が在住の時に寺へ寄贈され、明治30年には入間郡柏原村の小山保が所有していた御堂が寄進されることになり、諸信者の協賛を得て現在の場所に移転されました。昭和年間に入る頃、宝殿が著しく腐朽してしまいましたが、昭和11年に世話人27人の発願により改修工事が行われました。平成20年には、狭山市駅西口開発のため、綿貫家の墓所が駅前より福徳院不動尊に移転され、現在にいたります。綿貫家という菩提寺だったんですね。

                                     つづく