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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

ここは埼玉、東北の松島ではありません

2018-01-22 13:23:08 | 日記

近くに、こんな地蔵坐像と馬頭観音石塔がありました。仙元前の石仏というそうですが、この先には何があるんでしょう?

西武線の高架下をくぐります。

こんな立派なお寺でした。

瑞巌禅寺という扁額が架かっています。周りの様子を見て見ましょう。

不動堂という建物です。

手水鉢には、こんな龍の彫刻が施されています。

境内の片隅には、たくさんの可愛らしい小僧地蔵が表情豊かに置いてありました。よく見ると、どうやら十二支の動物と一緒に遊んでいるようです。

瑞岩寺の創建年代等は不詳ながら、室町時代の初期に山口氏の菩提寺として創建されたと伝えられ照室(天正元年1573年寂)が開山したといいます。曹洞宗のお寺ですが、狭山三十三観音霊場の第6番で、瑞岩寺所蔵の文化財 山口氏の墓塔(所沢市指定文化財)岩崎簓獅子舞(所沢市指定文化財)があります。山口氏は平安時代の末期、武蔵七党の一つ村山党から分かれ山口城に居住し、その後戦国時代にかけて武蔵武士の一員として活躍したことが知られています。室町時代の初期に山口氏の菩提寺として創建されたと伝えられる瑞岩寺には、山口氏の墓塔が本堂西側に三基あり、いずれも五輪塔・宝篋印塔などの残欠部分で構成されています。特に向かって左側の塔の基礎部分には、「帰実禅門永徳三癸亥六月十三日」と彫られており、これは足利氏満と戦って永徳三年(一三八三)六月十三日に討ち死にしたという、瑞岩寺に伝わる山口城主・山口高実の位牌の紀年銘と一致しています。中世山口氏の消息を知る資料として貴重です。また、山口岩崎地区に伝わるこの獅子舞は、伝説によると当時この地を支配していた地頭の宇佐美助右衛門が慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣に戦功をたて、帰途京都に立ち寄って三頭の獅子舞を求め、村の若者に稽古をさせたのが始まりといわれています。現在は「岩崎獅子舞保存会」が結成され、毎年十月の第二土曜日に瑞岩寺の境内で行われています。山伏・棒使い・ササラ・蝿追・獅子・笛の役があり、二〇名前後の人たちが演じます。笹竹八本で三間四方を八角形に地取り蝿と注連を張った舞場の中で、二頭の牡獅子が一頭の牝獅子をめぐり激しく争い舞う様や、争いの後に平和な牡丹の花園に舞い遊ぶ情景を表現しています。

 

                                                          つづく

 



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