境内を見回すと、
奥まった場所に、いくつかの末社がありました。
神楽殿がありましたよ、舞台も広いですね。この神楽殿は、弘化四年(一八四七)に建立されたものです。昭和七年(一九三二)まで、本殿として使われていましたが、新しい社殿造営にあたり、現在地に移築しました。昭和五十七年(一九八二)に茅葺きから現在の銅板に葺き替えられました。桁間は、三間(五・五メートル)で、梁間が二間(三・六メートル)の寄棟造りです。正面に四枚立ての引違い戸が入っていますが、かつては、摺り上げ戸であったと思われます。屋根の勾配や全体のバランスが良く、区内に残されている数少ない江戸時代の建造物として代表的なものです。内部は、床面が板張りで、天上は格天井になっています。この格天井には色彩豊かな花鳥画が描かれています。言い伝えによると、この地の名主、山崎家の離れ(茶室書院として現存)に絵師が滞在して花鳥画を仕上げたということです。説明版には、この様に書かれています。
本殿は、このようになっています。それじゃ、お参りして失礼しましょう。
氷川神社のすぐ近くにあるのが、ここ東福寺です。山門をくぐると
境内も相当広いですね。
大きなイチョウの古木があります。
ここ東福寺は、真言宗の豊山派の寺院で金峯山世尊院と号し創建年代は不詳ですが、天正年間(1573-1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられ、後年当地へ移転したといいます。江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定していました。また当寺の大師堂は、大久保二尊院に奉安されていたもので、二尊院の廃寺に際して当寺に移築、御府内八十八ヶ所霊場2番、豊島八十八ヶ所霊場2番札所となっています。
大師堂の傍には、弘法大師像もあります。
つづく