楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

そろそろ引き揚げましょう

2022-09-05 08:39:42 | 日記

駅の方向へと舵をきります。しばらく行くと

木々に囲まれた場所に、「暖家」という看板が見えました。近づいて見るとグループホームということです。いい場所にあるなぁと感心しました。

今度はまた大きな病院へと来ました。西埼玉中央病院というそうです。その前に見た病院よりかなりの大きさです。大型バスも出入りしている様で、ここから乗れば駅までは行けるとのことでした。でも、歩いて見ます。

今度は所沢市立西高校という学校の前へ来ました。

この近くで、こんな虫に出会いました。蝶の幼虫のようです。

砂川堀調整池という看板があり、広い池の跡のような場所でした。最近は、雨も多く各地で洪水の危険が起きていますね。この調整池も、いざという時には役立つ事がありますね。

小手指駅へと到着しました。駅前広場にはこのような木が植えられています。

                        この稿 おわり         

 


どんな塚なのかな?

2022-09-02 17:21:25 | 日記

登って見ることにしました。

木立が生い茂っていて、涼しい登りです。

ここが頂上です。やや広場のような場所で、落ち葉が沢山あります。

この白旗塚のある小手指ヶ原は、元弘3年(1333年)に鎌倉に攻め上る新田義貞が幕府軍と最初に合戦に及んだ地です。その合戦の地に小さな小山のようにあるのが白旗塚である。この塚は古代の前方後円墳と言われるが、半ば自然の中に溶け込んでしまっている感じで、人工物のようには見えない。実際、この塚の頂上には、白旗塚と刻まれた石碑や、浅間神社の祠がある(この祠の存在から、後年、この塚は富士信仰の場となっていたと考えられる)。塚の名前の由来は、新田義貞がこの塚の頂上に源氏の象徴である白旗を掲げたという伝承からきているそうです。調べた結果は以上で、古代の前方後円墳があったようですね。それじゃ、塚を後に進みます。

途中に、こんな庚申塔もありました。

今度は、目の前に大きな病院が見えました。所沢ロイヤル病院というそうです。最近は、どこの街も病院が増えて来ましたね。

                       つづく

 


今日は、こちらを訪れました

2022-09-01 16:50:35 | 日記

今日は、埼玉方面に向かいました。

降りた駅は、西武池袋線の小手指駅です。ここの南口からバスに乗って誓詞橋というバス停まで行きます。

誓詞橋に到着しました。向かって左側へ入って行きます。

最初の目的地、「小手指ヶ原古戦場跡」という地で、このような碑が立っています。この場所は、鎌倉時代末期、新田義貞鎌倉幕府軍が戦った「小手指原の戦い」が行われた場所です。小手指地区北野の埋蔵文化財調査センターのある一帯は、「小手指ヶ原」と呼ばれ、今から650年以上前、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333年)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり、5月22日に得宗の北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅びました。今、NHKの大河ドラマ「鎌倉13人・・・」でもやっていますね。

碑の目の前に、こんもりとした森のような繁みがあります。近づいて見ましょう。

標柱が立っていて、白旗塚土盛修復記念と書かれた標柱です。ここは白旗塚という塚なんですね。次回に説明できる様に調べて置きます。

                        つづく