群馬県の富岡製糸工場跡に行きました。
「工場」「跡」というのが、私にとってのツボです。
工場写真を撮る方々、工場フェチ?、廃墟マニア、等々、気になるところなのです。
機械とか、配管とか、どういうわけか惹かれます。
それが朽ちていると尚更です。
そんなわけで、富岡製糸工場跡をのんびりと訪ねました。
世界遺産登録を目指して町をあげて頑張っていますね。
日本の製糸業の歴史的な意義や、女工哀史については学校で習った記憶がありますし
そういう意味では意義もあるのかなあと思います。
うららかな春の陽気でした。
工場の敷地の中、建物や、機械の風景も印象的でしたが
富岡の町の昭和を色濃く残した風景もとても印象的でした。
時間から取り残されたようなものたちが、ここかしこに残っています。
一番目に入るのが、看板ですね。
昔の面影を保ったまま役割すら忘れられたような風情。
なんとも愛おしくなります。
旧いものには時間が刻み込まれている。
その時間の圧縮を見るというのも、今の私たちには必要ではないかとも思ってしまいます。
新しいものの下には必ず旧きものがあるものだということを、忘れないように。
旧いものが必ずしも不要なものではないということも。
世の中に不要な物などあるのだろうか…
核兵器さえも、考え方によっては「抑止的」に必要だとさえ唱える人もいるものです。
私自身は、核抑止論者ではありませんが…
なんでも切り捨てる方が怖いこともあります。
「工場」「跡」というのが、私にとってのツボです。
工場写真を撮る方々、工場フェチ?、廃墟マニア、等々、気になるところなのです。
機械とか、配管とか、どういうわけか惹かれます。
それが朽ちていると尚更です。
そんなわけで、富岡製糸工場跡をのんびりと訪ねました。
世界遺産登録を目指して町をあげて頑張っていますね。
日本の製糸業の歴史的な意義や、女工哀史については学校で習った記憶がありますし
そういう意味では意義もあるのかなあと思います。
うららかな春の陽気でした。
工場の敷地の中、建物や、機械の風景も印象的でしたが
富岡の町の昭和を色濃く残した風景もとても印象的でした。
時間から取り残されたようなものたちが、ここかしこに残っています。
一番目に入るのが、看板ですね。
昔の面影を保ったまま役割すら忘れられたような風情。
なんとも愛おしくなります。
旧いものには時間が刻み込まれている。
その時間の圧縮を見るというのも、今の私たちには必要ではないかとも思ってしまいます。
新しいものの下には必ず旧きものがあるものだということを、忘れないように。
旧いものが必ずしも不要なものではないということも。
世の中に不要な物などあるのだろうか…
核兵器さえも、考え方によっては「抑止的」に必要だとさえ唱える人もいるものです。
私自身は、核抑止論者ではありませんが…
なんでも切り捨てる方が怖いこともあります。