朝9時前、家の近所を歩いていると、以前勤めていた会社の上司が歩いている姿が目に入った。
なにせ、その会社は私の家から5分とかからない所にある、ご近所だ。
その元上司は、定年前なのに頭は白髪、枯れ枝のように痩せて(昔からそうではあったけど)
見るからにくたびれはてた姿で歩いていた。
彼の社内での益々の不遇ぶりが、手に取るように想像できた。以前からそうだったから。
その時、その会社に勤めていた日々が走馬灯のようにフラッシュバックしてきた。
私は、その会社に中途入社した。
そこは、お菓子や食品のパッケージを企画、製作、営業する、
社員20名もいない下町の零細企業だった。
私はそこで、入社後半年も放置プレイ状態で放ったらかされたあげく、最も忙しい部署に叩き込まれた。
その業務は、かの元上司が長年一人で担当していた。
営業が取ってきた仕事を外注の印刷、加工の会社に発注手配し、工程管理をする仕事だった。
発注から納品、品質管理まで責任がある。
スパンは2週間程度、毎日の発注は20点以上、工程外注先は3~5社、クライアントは50社以上、それを一元管理する。
納期の短縮依頼は頻繁に発生し、物理的に無理な納期を社内の営業からも、顧客からもガンガン要求される。
一方、外注先の工場からの納期遅れは日常茶飯事だ。信じられないような不良クレームにも右往左往。
気が狂いそうな世界だった。
元上司は、それを一人でこなしていたのは凄いが、もっと凄いことは、
そんな状態を、手書きの発注書と記憶で全て処理していたことだった。
記憶力が著しく悪い欠陥を持つ私には、信じがたいことだったし、
自分には不可能だと思った。また、このままでは絶対ダメだと思った。
私は、上司と闘い、外注工場と闘い、社内の営業と闘いながら、
全ての管理をPC管理に移行し、社内で情報の共有をすべきだと思った。
今思えば、その頃の私は鬱の状態も良好で、やる気満々しかも生意気盛りだった。
上司、社内の営業、外注先の部長だろうが社長だろうが、しょっちゅう怒鳴りつけていた。
そうしないと、ナメられる、特に私は女だからなおさらナメられた。印刷業会は男社会だ。
なので、仕事を覚えて自信を持ってからは、喧嘩ばかりしていた。
そんななか一度、精神不安に陥って、会社を休職した。
業務の煩雑さ、ストレス、過労で、鬱の状態が出てきたのが分った。
怠い、朝起きられない、何もしたくない、仕事をする意欲がわかない、これは・・・来たな、と思った。
経営者に告白して最繁忙期に二週間休ませてもらった。
ストレスで精神が衰弱したら、無理をして自分にむち打つと最悪だ。
医者にかかって投薬治療は早い方が、改善しやすい。
経験的に分っていた。
基本的に私はワーカホリックの素質がある。
また、経営者自身も精神不安の経験があり、理解があったのが幸いだった。
その後復帰したが、5年半勤めたうちに10回程度は、精神不安定状態に見舞われた。
今思うと、日々ストレスと、クレームや納期や価格の圧力との闘いの仕事だったが、
私が会社の最も重要な仕事を一人で背負っているという思い上がりがあった。
そうそう、かの上司は、手書きと記憶で仕事をすることを一向に止めようとしなかったので、
印籠を渡して退いていただいた。他の部署に移った彼は、きっと私を殺したいくらいに思ったかも?
私は自分で信じる業務方針を貫こうとしたが、結局何一つ完成形を見ないうちに、その会社を去った。
でも、そこで得た財産がある。
業務は周囲を巻き込んでこそ、成立するもので、一人で戦っても勝ち目は無い、ということがよくわかったことだ。
一人で主張ばかりしていても、受け入れられない。
一人で我慢ばかりして抱え込んでも、却って周囲から理解されないだけだ。
どちらでも結局仕事は成立しない。
仕事で困難を乗り越えたときは、必ず、情報を全部公開して、
自分の考えを率直に述べて周囲の意見を聞いたときだった。
闘いには敵も見方も必要だ。
喧嘩も譲歩もコミュニケーションの重要な手段だ。
そして一番必要だったのは、その先にある信頼関係だった。
いま、すっかり鬱が悪化して働けない状態なのは、
その後転職した会社でそんなコミュニケーションを同僚と取らなかった
(言い訳として、取れなかったと言わせてもらいたいけど)からだ。
ただ黙って自分の存在を消そうとしたり、一人で孤立して唯我独尊の道をいこうとしたからだと思う。
必要以上に声高に自分の存在を叫ぶのは愚の骨頂だが、仕事は周りを巻き込んで一つのうねりにしないとだめだ。
自分一人の力などたかが知れている。人を巻き込めるかどうかがビジネススキルだろう。
今更ながらそう思う。
さて、この思いが次ぎに生かせる日は来るのだろうか?
なにせ、その会社は私の家から5分とかからない所にある、ご近所だ。
その元上司は、定年前なのに頭は白髪、枯れ枝のように痩せて(昔からそうではあったけど)
見るからにくたびれはてた姿で歩いていた。
彼の社内での益々の不遇ぶりが、手に取るように想像できた。以前からそうだったから。
その時、その会社に勤めていた日々が走馬灯のようにフラッシュバックしてきた。
私は、その会社に中途入社した。
そこは、お菓子や食品のパッケージを企画、製作、営業する、
社員20名もいない下町の零細企業だった。
私はそこで、入社後半年も放置プレイ状態で放ったらかされたあげく、最も忙しい部署に叩き込まれた。
その業務は、かの元上司が長年一人で担当していた。
営業が取ってきた仕事を外注の印刷、加工の会社に発注手配し、工程管理をする仕事だった。
発注から納品、品質管理まで責任がある。
スパンは2週間程度、毎日の発注は20点以上、工程外注先は3~5社、クライアントは50社以上、それを一元管理する。
納期の短縮依頼は頻繁に発生し、物理的に無理な納期を社内の営業からも、顧客からもガンガン要求される。
一方、外注先の工場からの納期遅れは日常茶飯事だ。信じられないような不良クレームにも右往左往。
気が狂いそうな世界だった。
元上司は、それを一人でこなしていたのは凄いが、もっと凄いことは、
そんな状態を、手書きの発注書と記憶で全て処理していたことだった。
記憶力が著しく悪い欠陥を持つ私には、信じがたいことだったし、
自分には不可能だと思った。また、このままでは絶対ダメだと思った。
私は、上司と闘い、外注工場と闘い、社内の営業と闘いながら、
全ての管理をPC管理に移行し、社内で情報の共有をすべきだと思った。
今思えば、その頃の私は鬱の状態も良好で、やる気満々しかも生意気盛りだった。
上司、社内の営業、外注先の部長だろうが社長だろうが、しょっちゅう怒鳴りつけていた。
そうしないと、ナメられる、特に私は女だからなおさらナメられた。印刷業会は男社会だ。
なので、仕事を覚えて自信を持ってからは、喧嘩ばかりしていた。
そんななか一度、精神不安に陥って、会社を休職した。
業務の煩雑さ、ストレス、過労で、鬱の状態が出てきたのが分った。
怠い、朝起きられない、何もしたくない、仕事をする意欲がわかない、これは・・・来たな、と思った。
経営者に告白して最繁忙期に二週間休ませてもらった。
ストレスで精神が衰弱したら、無理をして自分にむち打つと最悪だ。
医者にかかって投薬治療は早い方が、改善しやすい。
経験的に分っていた。
基本的に私はワーカホリックの素質がある。
また、経営者自身も精神不安の経験があり、理解があったのが幸いだった。
その後復帰したが、5年半勤めたうちに10回程度は、精神不安定状態に見舞われた。
今思うと、日々ストレスと、クレームや納期や価格の圧力との闘いの仕事だったが、
私が会社の最も重要な仕事を一人で背負っているという思い上がりがあった。
そうそう、かの上司は、手書きと記憶で仕事をすることを一向に止めようとしなかったので、
印籠を渡して退いていただいた。他の部署に移った彼は、きっと私を殺したいくらいに思ったかも?
私は自分で信じる業務方針を貫こうとしたが、結局何一つ完成形を見ないうちに、その会社を去った。
でも、そこで得た財産がある。
業務は周囲を巻き込んでこそ、成立するもので、一人で戦っても勝ち目は無い、ということがよくわかったことだ。
一人で主張ばかりしていても、受け入れられない。
一人で我慢ばかりして抱え込んでも、却って周囲から理解されないだけだ。
どちらでも結局仕事は成立しない。
仕事で困難を乗り越えたときは、必ず、情報を全部公開して、
自分の考えを率直に述べて周囲の意見を聞いたときだった。
闘いには敵も見方も必要だ。
喧嘩も譲歩もコミュニケーションの重要な手段だ。
そして一番必要だったのは、その先にある信頼関係だった。
いま、すっかり鬱が悪化して働けない状態なのは、
その後転職した会社でそんなコミュニケーションを同僚と取らなかった
(言い訳として、取れなかったと言わせてもらいたいけど)からだ。
ただ黙って自分の存在を消そうとしたり、一人で孤立して唯我独尊の道をいこうとしたからだと思う。
必要以上に声高に自分の存在を叫ぶのは愚の骨頂だが、仕事は周りを巻き込んで一つのうねりにしないとだめだ。
自分一人の力などたかが知れている。人を巻き込めるかどうかがビジネススキルだろう。
今更ながらそう思う。
さて、この思いが次ぎに生かせる日は来るのだろうか?