ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

「幸せ」に潜む危険

2012-01-03 14:23:18 | 生活改善プロジェクト
昨年は、一年を通じて幸せを感じ続けた年でした。
年末に「今年は一年幸せだった」とコッソリ告白していました。
激動と困難な年だったのに、私個人は何に対して幸せだったのか?

きっと、自分を否定せず過ごせたからだろうと思います。

自分を取り巻く環境がいろいろに変化しても、変化する環境に喰らいついていこうという気持ちを持てたからだと思います。
喰らいつけたのは、自分は何をやってもダメだ、どうせ出来ない、出来ない自分は最低だ、と思わなかったからだと思います。

ただ、そういう自己肯定感というのは心の安定をもたらしてくれるという
素晴らしいものですが
安定に安住する心地よさ、を生んだりましますね。

自分はこれでいい、こんな自分でもいい
と思うことで、チャレンジも変化もしなくなることが危険だと思うのです。

自分はダメな奴だ、価値のない人間だ
と貶めるは、ただただ自分を追い詰め苦しめるだけで、何にもいいことはありません。

自分はこれでいいのだ、こんな情けない自分でもいいのだ
と自分を肯定していていいのは、進んでいるときです、走っているときです。
何かを手に入れて喜んでいるとき、疲れて休んでいるときに、自分をそれでいいと思っちゃ、ダメです。

去年を通して感じた幸福感に
ここに安住しようという気持ちはなかっただろうか?
常に前に進みながら、自分の方向を見据えて肯定していられただろうか?

もしかしたら、
私はこんなに困難な状況の中で、まあまあとりあえず生きているから、という後ろ向きな肯定感はなかっただろうか?

それは堕落です、甘えです。
今スグ、そのヌクヌクしたベッドの中から出てきなさい。
そこに居直っては駄目だ。

と自分を振り返りました。

人生の中で久しぶりに感じた「幸せ」な毎日、の感じ。
しっかり足場を固めて、次に出発するための、足場固めの幸福感でなければなりません。

生活が100%幸福であっては、人間、駄目です。
幸せが半分、渇望や不満ややるせなさが半分。
それが人生の黄金配分だと思います。

そう思い至ったので
今まで目を逸らしてきた苦手なことに取り組むことにしました。
新しいことにチャレンジすることは語学、
そして、本当にやるべきだと思うことの継続、です。

語学はとりあえず必要な情報を苦手意識なく得られるレベルにみにつけるべきだと思いました。
情報を入手する時に、英語が苦手だという意識が障害だと思うようになりました。

継続は、前々からの課題ですが、継続が苦手なのは自分の性質だと思って目を反らしてきました。

今年は「幸せ」に留まらずに生きます。
自分のダメなところを、あえてほじくってみようと思います。

「幸せだ」というセリフは、穏やかな眼ではなく
獲物を追う鷹ような研ぎ澄まされた眼をして言いたいと思います。






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