今年ももう2月も半ばを過ぎ、立春もバレンタインデーも建国記念日も終わってしまいました。
年明けから始まり、毎日通院というちょっとしんどい放射線治療がやっと終わりました。
今日、はっと我に還ったのですが…
「私ってなんて可哀そう病」に罹ってしまっていました。
もともと、ネガティブな要素の強い性格なので、
ちょっと油断すると「私可哀そう」と思いがちだという自覚はあるのです。
いつも気をつけて「私は可哀そうではない、全然可哀そうではない」と自分をコントロールしようと努めていました。
だというのに、
すっかり「私可哀そう病」に取りつかれてしまっていました。
病気の診断から手術まで半年あって、その間「私は全然大丈夫」と気を張っていたのでしょうから
その反動が出たのかもしれません。
それに、5週間の放射線治療も、激しい副作用はないですが、地味にしんどかったのだと思います。
そして、人気関係の構築が苦手なので、次から次へと新しい人に関わって自分の体の説明をしたり受けたりする
というのも、なかなか精神的に疲れることだったと思います。
そんなこんなで、「私ってなんて可哀そう」病の自覚なく陥っていたのですが
今日、無事抜け出すことが出来ました。
「痛いし、しんどい」と担当医訴えて、「普通に回復してるから気持ちの問題だ」と喝を入れられて、ハッとしたのです。
ああ、若干厳しい気もしましたが、先生ありがとう。
そうだった…
ステージは初期で、手術も簡単に済んで、短期間で退院して
そんなのって全然、重病ではありません。
毎日治療に通って疲れてきたら、すっかり重症患者の気分に取りつかれていました。
病気の心配でモヤモヤしているのはもう終わりにして、サッサと次の仕事のプランを考えなければ!
ぼやぼやしているうちに、また一年が経ってしまう。
今年こそ、まとまった仕事の成果を出さなければ。
気持ちのスイッチは切り替わりました。
さあ、やるべきことはたくさんあります。
見たい展覧会も、行きたいところも、会いたい人もたくさんいます。
なんだか病気だった…ことは一旦忘れることにしました。そう思うと、かなりスッキリしました。
今、世の中、日本全体が、私と同じ病気にかかっていませんかねえ?
日本社会全体の空気が「私って可哀そう」に支配されている気がしてなりません。
去年大震災が起こって、原発が爆発して、放射能で汚染されて、タイで洪水が起こって、欧州の信用不安から経済が冷え込んで景気は更に悪化して、政治は混迷して、年金は破たんして、増税しなければもう国にお金がないなんてことになって
なんだか、ジャブが効きすぎている気がしますが
それでも「私可哀そう」と思って内向きになることは、全く何も生みません。
おまけに、「ああ、あなたも私も可哀そう」とみんなでお互いを甘やかすことも、全くいいことはありません。
悩み深い時、その気持ちを吐露して、共感を得たいと思うのは、感情として正しいのかもしれません。
でも、そこでお互いに共感することにいつまでも留まっていて、なにか解決するのでしょうか?
「癒し」って、本当にそういうものですか?
私の担当医が言外に(さすがに直接そうは言いませんでしたが)甘えるなよ、と言ってくれたように、
自分に甘えたい、と思っているときにいつまでもどこまでも甘えさえることが本当に本人の立ち直りになるとは思えません。
(まあ、私の担当医が私の為を思って言ってくれたのかどうかはちょっと疑問ですけど。まあ結果的には助かったので感謝しています。)
最近の教育事情を垣間見るにつれ、そんなに子供たちを優しく守る方針でいいのかな?とさえ思います。
支えあうためには、まず自分でしっかり立たなければ。
そう気付いたので、私は今日から春を迎えた気がします。
年明けから始まり、毎日通院というちょっとしんどい放射線治療がやっと終わりました。
今日、はっと我に還ったのですが…
「私ってなんて可哀そう病」に罹ってしまっていました。
もともと、ネガティブな要素の強い性格なので、
ちょっと油断すると「私可哀そう」と思いがちだという自覚はあるのです。
いつも気をつけて「私は可哀そうではない、全然可哀そうではない」と自分をコントロールしようと努めていました。
だというのに、
すっかり「私可哀そう病」に取りつかれてしまっていました。
病気の診断から手術まで半年あって、その間「私は全然大丈夫」と気を張っていたのでしょうから
その反動が出たのかもしれません。
それに、5週間の放射線治療も、激しい副作用はないですが、地味にしんどかったのだと思います。
そして、人気関係の構築が苦手なので、次から次へと新しい人に関わって自分の体の説明をしたり受けたりする
というのも、なかなか精神的に疲れることだったと思います。
そんなこんなで、「私ってなんて可哀そう」病の自覚なく陥っていたのですが
今日、無事抜け出すことが出来ました。
「痛いし、しんどい」と担当医訴えて、「普通に回復してるから気持ちの問題だ」と喝を入れられて、ハッとしたのです。
ああ、若干厳しい気もしましたが、先生ありがとう。
そうだった…
ステージは初期で、手術も簡単に済んで、短期間で退院して
そんなのって全然、重病ではありません。
毎日治療に通って疲れてきたら、すっかり重症患者の気分に取りつかれていました。
病気の心配でモヤモヤしているのはもう終わりにして、サッサと次の仕事のプランを考えなければ!
ぼやぼやしているうちに、また一年が経ってしまう。
今年こそ、まとまった仕事の成果を出さなければ。
気持ちのスイッチは切り替わりました。
さあ、やるべきことはたくさんあります。
見たい展覧会も、行きたいところも、会いたい人もたくさんいます。
なんだか病気だった…ことは一旦忘れることにしました。そう思うと、かなりスッキリしました。
今、世の中、日本全体が、私と同じ病気にかかっていませんかねえ?
日本社会全体の空気が「私って可哀そう」に支配されている気がしてなりません。
去年大震災が起こって、原発が爆発して、放射能で汚染されて、タイで洪水が起こって、欧州の信用不安から経済が冷え込んで景気は更に悪化して、政治は混迷して、年金は破たんして、増税しなければもう国にお金がないなんてことになって
なんだか、ジャブが効きすぎている気がしますが
それでも「私可哀そう」と思って内向きになることは、全く何も生みません。
おまけに、「ああ、あなたも私も可哀そう」とみんなでお互いを甘やかすことも、全くいいことはありません。
悩み深い時、その気持ちを吐露して、共感を得たいと思うのは、感情として正しいのかもしれません。
でも、そこでお互いに共感することにいつまでも留まっていて、なにか解決するのでしょうか?
「癒し」って、本当にそういうものですか?
私の担当医が言外に(さすがに直接そうは言いませんでしたが)甘えるなよ、と言ってくれたように、
自分に甘えたい、と思っているときにいつまでもどこまでも甘えさえることが本当に本人の立ち直りになるとは思えません。
(まあ、私の担当医が私の為を思って言ってくれたのかどうかはちょっと疑問ですけど。まあ結果的には助かったので感謝しています。)
最近の教育事情を垣間見るにつれ、そんなに子供たちを優しく守る方針でいいのかな?とさえ思います。
支えあうためには、まず自分でしっかり立たなければ。
そう気付いたので、私は今日から春を迎えた気がします。
という喫茶店で3時間もマスター交えて面白おかしい会話を楽しみました。
久々に邪念のない笑いでした。
昨日私の3年あたためていた仕事の入札があり、落札できました。1年がかりの大仕事。
嵐の日々が始まりました。8件のアポをこなし最後にAJさんとの珈琲タイムとなったわけです。
なんでこんなに仕事するのかと自分でも思うけどやはり生きる活力なんだと思います。
病気のこと うまく書けませんが
病は気で治すことが一番。
大丈夫ですよ。
一緒に笑いましよう
一緒に泣きましょう
一緒に怒りましょう
人生の不思議を精一杯堪能しましょうよ
一緒に
ネットでつながった私たち
神様のくださった不思議です。
今夜はハイでたくさん書いてしまいました。
おやすみなさい。
いいなあ。
わでぃはるふぁ ってすてきなお名前の珈琲店ですね。私も伺いたです。
3年越しのお仕事のプランは、今のお仕事の関係ですか?それとも新しく始められるのですか?
また激務の日々になるのでしょうけれど、応援しています。
お仕事が活力って、すごくわかります。
私自身は仕事がバリバリ出来る能力が備わってるわけではないので、憧れている側ですが、そんな私でさえ、ほんのささやかな仕事でも、それが人生の活力なんですよね~。だからちょっとわかります。
フランネルさんと出会えて本当によかった。
さて、そろそろmixiの方も復活しましょうかねえ~