1ヶ月くらい前に、いつものように週末土曜日ののだら~んとした朝、ほんの少しだけ片付けて、自分のデスク周りくらいは奇麗にすれば、きっとやる気が出る・・・と思って片付け始めたら、止まらなくなった。
デスクの上からパソコン周り、本棚、仕事の書類、と際限なく続き、止められない。
「片付けたい気分」は思いのほか長続きし、ずっと解決しなかったfontインストールを解決して長年思い続けていたPCのMac 移行、(さようならWindows、まあ残してはあるけど)積年の年賀状の処分、不要な本の処分、放ってあった壊れたままのスキャナの処分、多分、言葉通り売るほどあるポストカードの分類整理・・・もう、止まらない、止まらない。
とうとう、長年放置していた銀行口座まで奇麗にした。二行、今はもうなくなっている都市銀行の通帳の残高確認をして、現在の口座に移した。いくらかのお金を発掘してしまったというおまけ付き。
どんどん片付いて行く自分の身の回り。
そうすると、新しいものを増やすことを、以前に増して躊躇する。
正確には違う、新しいものを増やすことに躊躇しているのではなく、不要なものが増えることへの嫌悪感が増したのだと思う。
一時、欲しい!と思っても、手に入れてみるとそれほど嬉しくないもの、使わないもの、はとても多い。
今私が本当に必要で欲しいものは何か、ということを考えていると、行動もシンプルになるように思う。よけいな行動も無くなるのだと。
自分の周囲から不要なものを削ぎ落とすと、不思議とどんどん削ぎ落としたくなる。
ああ、憧れ続けている数寄屋造りの日本建築の部屋のように、何も無い、いらないという精神世界へ、近づけているのではないだろうか、とさえ思う。
ものを作るときの、究極まで削ぎ落とす作業はきっとこれなのだ。
削ぎ落とし続けることで見えてくる本当に必要なもの=本質。
人生半ばにして、やっとたどり着けたこの境地の入り口。
今度こそ、洋服をごくシンプル、オーソドックスなものだけにして、最も自分を表現できる個性的な着こなしができるようになれる、気がしている。