ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

灯りを消す

2011-09-18 09:44:48 | 日本文化
仕事をしている(主にPCで事務処理をしている)部屋が暗いと思っていた。

100wの白熱電球が3個付く照明器具で、2個の電球が切れたままになっていた。

やっときっかけをつかんで、60wの蛍光電球を2個買ってきて付けた。
とても明るい!

白熱電球のオレンジ色の光がほの暗かった今までは、よくこの部屋に来ると眠たくなった。
眠る準備にちょうどいい暗さだったのかもしれない。

蛍光電球が120w追加されると、思いのほか白くクリアな世界に変わった。
眠たくなるのを阻止してくれるようだ。
この明るさなら、夜の事務作業がはかどりそうだな、と思った。

なんだか夜の仕事を自分で増やしているようなものだな…と思って
ふと、日本中が明るすぎるわけがなんとなくわかったような気がした。

先進諸国と比べても、日本の照明は異様に明るい。
夜も不夜城のごとく、昼間も明るさの死角が生じることの無いように
そして、消費意欲をかきたてて、労働意欲が落ちないように
隅々まで明るく照らしている。

もう少し、暗くてもいいんじゃないか、と電力需要の不足と節電の夏になって
つくづく思っていた。必要以上に明るすぎるんだ現代の日本は。

でも、自分の身近に明るさを感じてみて、
今よりも暗くすることは、日本の社会にとってそう簡単なことではないのではないなと思った。

日本もつい数十年前までは、「闇」が隣にあった社会だった。
「闇」への畏れを主題にした優れた文芸や、美術、芸術作品がたくさんある。
生活の中に、すぐ隣に「闇」が普通に存在していて、みんなそれを受け入れて暮らしていたのだろう。

経済力がつくに従って、日本から「闇」排除されていった。
どこの国でも経済的に豊かになれば、「明るく」なる。
日本はその「暗がり」から「明るさ」への振れ幅が特別大きいのかもしれない。

昭和8年に谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」を書いている。
もうころ時代から、日本の社会から「陰翳」は失われつつあったとうことだ。
谷崎潤一郎はこの煌々とした異様な明るさを予見していた、鋭い洞察力だ。

日本がこれほど明るさを求める珍しい国なのは、日本が急速な経済発展を遂げた稀有な国だからではないだろうか。

歴史の流れのなかで、必然のように発展してきた先進諸国にとって「闇」は排除しなくても共存できる余裕があったのだと思う。
日本は無理やり急速な発展を目指してきたから、「闇」急いで消し去らなければならなかった。
そうしないとこんなに勢いよく急いで発展が出来なかったのだろう。
そして明るくなった。
明るくなると「闇」はさらに暗くなる。さらに暗くなった「闇」をさらに明るく照らそうと
もっと明るくする。そんな循環に嵌っているのだ。

この循環を断ち切るのは、そう容易なことではないと感じる。
明るい社会は「闇」を受け入れることにアレルギーを感じだすからだ。

照らし出さなければならない「闇」は、光だけではなくて、人の心、社会の暗部
それも、明るく照らそうと社会自身が必死になればなるほど、さらに「闇」暗さはまして
見えないところへと追いやられて、居場所を失っていく。
でも光あるところに闇は必ず生じる。影は決して消えて無くならない。
なのに四方八方から光を当てて一寸たりとも影が生じないよう、なんだかとっても虚しい努力をしているように思える。

私は自室に蛍光電球をつけてしばらくは、快適だと思った。
しかしそれもつかの間、疲れてきた。
蛍光灯の白い均一な明るさは、いくらでも頑張れると自分への無意識の圧力にあるような気がする。眠くなれずに、もっと頑張れる、もっともっといろいろなことが出来る。

そうして人は疲れてしまうんだな。

精神的危険を感じたので、2個付けた電球を1個外すことにした。

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