東日本大震災から、もう半年が経とうとしています。
時間の経つのが早いことに、そして半年経ってもまだ瓦礫が山積する被災地の惨状に、
ため息が出るばかりです。
私は被災者ではないので、心理的動揺も収まり日常生活に戻っています。
電力供給パニックも、節電が声高に叫ばれていた猛暑も、過ぎて行きました。
気がつくと、もう季節は秋です。
大津波の被害に遭った東北の海岸の地域
福島第一原子力発電所の周辺の避難地域
報道を見ている限りは、被害の終息にはまだ程遠く、
壊れたままの建物、瓦礫の山はまだ撤去、処分されずどうしようもなくその場にあり
非難指定区域はいつ帰宅できるかめどさえ立たない状況のようです。
大津波の被害地の多くは、地盤沈下を起こして浸水する状態で、客観的に見ればもうそこには住めないだろうと思える状態、もしくは次の被害にどう備えて堤防などを整備するか
それが果たして現実的なのか、という難しい問題を抱えて、地域の復興はまだ見えてこないようです。
福島の避難指定区域に至っては、原発がまだ終息しない状態では、帰宅の目途の立てようがありません。
私は、とっても傍観者的に見ていて、この被災地は「この土地はもう住めない」と住民が諦めることしか次の復興への道はないだろうな、と思ってしまいます。
大津波の被災地の海岸地域は、高台に新しい町なり村なりを作るしか
放射線の高い地域は、帰れない前提で新らしい土地へ移って生活設計を始めるしか
ないだろうと思います。
しかし、それはとっても都会的感覚で、もっと事態は困難なのだ、と気づきました。
この大都会東京に住む人の多くは、地方から東京に移り住んで来た上京者です。
上京者も、賃貸住宅に住んで、定期的に引っ越しをする人も、家を買い、そこを終の棲家にしている人もいますが、何世代もその土地に住んでいる人に比べれば、土着の感覚は薄く、いわば仮住まいの感覚です。
私もそうですが、働き手の父親の職業が、あちこちを転々とする「転勤族」と言われる会社員の場合
子供は幼いころからあちこちを転々として育ちますから、どこかの土地が故郷だという感覚が薄くなります。
今住んでいる我が家が、故郷であり家であって、その土地や地域になかなか根付けません。
しかし元来人は、昔から土地とともに生きてきた歴史があります。
農業でも漁業でも、土地や海があって成り立つ生活です。
土地に根付いて生きるもの、それだけ人の生活と土地は不可分でした。
ヨーロッパでも、土地に根付いていない放浪の民は「ジプシー」と呼ばれ
差別的に見られてきました。
今の自分のような都会の漂泊生活者は、いわば現代のジプシーですが、
都会が大きくなり、現代版ジプシーが多数派になってきているのです。
そんな都市生活者が、大震災で、原発事故で、土地を奪われた地方で土着の生活を送っていた人の
本当の痛みがわかるのでしょうか。
傍観者で都市生活者である私のような人は、
ああ。早く復興が進めばいいのに
復興を進めるために、「もう住めない」という諦めが必要なのに
なかなか進まないな…
と思うことも至極当然ですが、「もう住めない」と決断する感覚が、きっと根本的に違うのです。
行政も、国の機関、上部機関は、早く復興を進めよう
新たな都市計画の図面を引こう、と焦っていることでしょう。
でもきっと自分も住民としてその土地に生きてきた現場の市町村の役場の人たちは、そうそう簡単に割り切れる問題ではないのだろう、だから遅々として進まないのだろう。
やはり、
土着の土地を持たない、捨ててきた都市生活者の意見を押し通すことはできないと思います。
何世代も住み続けてきた土着の「もう住めない」自分の土地、をどうするのか。
ははあまり直視されていないようですが、実はとても深刻な問題だと思います。
もっと心の問題まで切り込んだ議論と対処がない限り、住めなくなってしまった土地と人とが離れられないまま、どうしようもなく時かばかりが過ぎ、住めなくなった人の生活も、心も復興出来ないのだと思います。
元来土地と人が不可分であること(あったこと)、をもっと真剣に考えるべき時なのでしょう。
時間の経つのが早いことに、そして半年経ってもまだ瓦礫が山積する被災地の惨状に、
ため息が出るばかりです。
私は被災者ではないので、心理的動揺も収まり日常生活に戻っています。
電力供給パニックも、節電が声高に叫ばれていた猛暑も、過ぎて行きました。
気がつくと、もう季節は秋です。
大津波の被害に遭った東北の海岸の地域
福島第一原子力発電所の周辺の避難地域
報道を見ている限りは、被害の終息にはまだ程遠く、
壊れたままの建物、瓦礫の山はまだ撤去、処分されずどうしようもなくその場にあり
非難指定区域はいつ帰宅できるかめどさえ立たない状況のようです。
大津波の被害地の多くは、地盤沈下を起こして浸水する状態で、客観的に見ればもうそこには住めないだろうと思える状態、もしくは次の被害にどう備えて堤防などを整備するか
それが果たして現実的なのか、という難しい問題を抱えて、地域の復興はまだ見えてこないようです。
福島の避難指定区域に至っては、原発がまだ終息しない状態では、帰宅の目途の立てようがありません。
私は、とっても傍観者的に見ていて、この被災地は「この土地はもう住めない」と住民が諦めることしか次の復興への道はないだろうな、と思ってしまいます。
大津波の被災地の海岸地域は、高台に新しい町なり村なりを作るしか
放射線の高い地域は、帰れない前提で新らしい土地へ移って生活設計を始めるしか
ないだろうと思います。
しかし、それはとっても都会的感覚で、もっと事態は困難なのだ、と気づきました。
この大都会東京に住む人の多くは、地方から東京に移り住んで来た上京者です。
上京者も、賃貸住宅に住んで、定期的に引っ越しをする人も、家を買い、そこを終の棲家にしている人もいますが、何世代もその土地に住んでいる人に比べれば、土着の感覚は薄く、いわば仮住まいの感覚です。
私もそうですが、働き手の父親の職業が、あちこちを転々とする「転勤族」と言われる会社員の場合
子供は幼いころからあちこちを転々として育ちますから、どこかの土地が故郷だという感覚が薄くなります。
今住んでいる我が家が、故郷であり家であって、その土地や地域になかなか根付けません。
しかし元来人は、昔から土地とともに生きてきた歴史があります。
農業でも漁業でも、土地や海があって成り立つ生活です。
土地に根付いて生きるもの、それだけ人の生活と土地は不可分でした。
ヨーロッパでも、土地に根付いていない放浪の民は「ジプシー」と呼ばれ
差別的に見られてきました。
今の自分のような都会の漂泊生活者は、いわば現代のジプシーですが、
都会が大きくなり、現代版ジプシーが多数派になってきているのです。
そんな都市生活者が、大震災で、原発事故で、土地を奪われた地方で土着の生活を送っていた人の
本当の痛みがわかるのでしょうか。
傍観者で都市生活者である私のような人は、
ああ。早く復興が進めばいいのに
復興を進めるために、「もう住めない」という諦めが必要なのに
なかなか進まないな…
と思うことも至極当然ですが、「もう住めない」と決断する感覚が、きっと根本的に違うのです。
行政も、国の機関、上部機関は、早く復興を進めよう
新たな都市計画の図面を引こう、と焦っていることでしょう。
でもきっと自分も住民としてその土地に生きてきた現場の市町村の役場の人たちは、そうそう簡単に割り切れる問題ではないのだろう、だから遅々として進まないのだろう。
やはり、
土着の土地を持たない、捨ててきた都市生活者の意見を押し通すことはできないと思います。
何世代も住み続けてきた土着の「もう住めない」自分の土地、をどうするのか。
ははあまり直視されていないようですが、実はとても深刻な問題だと思います。
もっと心の問題まで切り込んだ議論と対処がない限り、住めなくなってしまった土地と人とが離れられないまま、どうしようもなく時かばかりが過ぎ、住めなくなった人の生活も、心も復興出来ないのだと思います。
元来土地と人が不可分であること(あったこと)、をもっと真剣に考えるべき時なのでしょう。