何年も前から浅草の真ん中にあって、時々訪れる、落ち着くカフェがあります。
今日も正午を大分回った頃、自転車でふらりと寄って、ランチを食べようと思いました。
ココのチリコンビーンズとごはんのセットのランチが、好きなのです。
今日は日曜だけあって四五人の人が入っていて、大テーブルに相席になりました。
片隅には、小さな女の子と、30代位のお洒落な若いお父さんがサラダを食べながら
ランチを待っていました。
私は、子供がとても苦手です。こういう場所で子供と同じテーブルになるのは
私にとってとてもアンラッキーでした。
でも他に席は無いし、チリコンビーンズは食べたかったし、日経新聞を読んで気を紛らわすことにしました。
女の子は5歳くらい、サラダを一生懸命食べながら、お父さんと話してました。
ふと、その会話が気になり出しました。
お父さんは、その女の子と、まるで自分の奥さんか友達と話すような言葉で鷹揚に、
楽しそうに話しているのです。
その女の子も、お父さんと対等に大人言葉で話していました。
そして、その声が、とても場所をわきまえた押さえたトーンの声だったのです。
大抵親と子供がいれば、大声が飛び交うことになるので、私はいつも嫌な気分になります。
その会話は「早くしなさい」「どうしてそうなの」と、だいたい不機嫌な大人と
勝手に大きな声で自己主張する子供声で、イライラした空気を醸し出すのです。
ところが、この父子は、とても穏やかに休日のカフェでのひと時を楽しんでいました。
そして、小さな女の子はココが他人の大人がたくさんいるカフェであって
自宅ではないことをちゃんと自覚して振る舞っていました。
お父さんも、子供の声のトーンが上がると「ウルサいよ」と優しくいいました。
しばらくすると、お父さんは席の後ろに隠れていたベビーカーから1歳くらいの子を持ち上げて膝に座らせ、
スープを飲ませ出しました。
またこの男の子は、泣きもせずおとなしくスープを飲んでいました。
時々むせるのですが、お父さんも慣れた様子で、自分のチリコンビーンズを少し食べさせてみて、
「お、結構いけるじゃん」と言って楽しんだりしていました。
この三人の様子が気になって、私は日経どころではなくなりました。
なぜ、この父子三人がこんなに微笑ましく、楽しそうに思えるのだろう、と。
どこで見かける親子連れも、彼らの無意識にイライラした雰囲気に周りを巻き込むのに、この父子には、それが全くありませんでした。
お父さんは、子供との時間を楽しんでいて、子供もお父さんとの時間が普通なようでした。
会話に聞き耳を立てていると、今日お母さんは友人の結婚式へ行って、夕方に帰ってくるまで、お父さんが二人の子供を見ているのでした。
でも、きっとこのお父さんはいつもこうして子供との時間を楽しんでいる生活を送っていることが、よくわかります。
四六時中母親と子供だけで居れば、母親も子供もイライラし身勝手になります。
父親はまた違った接し方をする存在として、子供との日常を送ることは必要なことなのでしょう。子育てに参加しない父親と、子供べったりの母親が、不機嫌な親子の空気の一因なのだなあ、とつくづく思いました。
そして、そんな子供と大人の言葉で会話できるこのお父さんはとても知的に洗練されて見えました。
そして、お店の人との接し方も、爽やかな人でした。
男性も雄々しく外で戦うばかりが、人としてのまた男性としての魅力ではないし、楽しい人生でもないのでしょう。
家族とか、子供とか、そういうものに意味や価値を感じないことを自負する私でさえ、一人ではきっと得られないだろう楽しさを彼らから感じたのでした。
会計をしているときに、カフェの店主に「素敵なお父さんとお嬢さんですね」と聞きました。
常連さんだったようで、墨田区でオーダーメイドの靴職人をしている人だそうでした。
ああ、なるほど。そういう生活の方なんだな。とても納得しました。
今を生きる日本のサラリーマンには、そんなワークライフバランスは困難な日本の社会構造でしょうから。
こんな親子が街に溢れれば、私の家族嫌いも改善するかもしれないな、
職人っていい職業だな。
と身勝手なことを考えながら、楽しい気持ちで自転車に乗りました。
今日も正午を大分回った頃、自転車でふらりと寄って、ランチを食べようと思いました。
ココのチリコンビーンズとごはんのセットのランチが、好きなのです。
今日は日曜だけあって四五人の人が入っていて、大テーブルに相席になりました。
片隅には、小さな女の子と、30代位のお洒落な若いお父さんがサラダを食べながら
ランチを待っていました。
私は、子供がとても苦手です。こういう場所で子供と同じテーブルになるのは
私にとってとてもアンラッキーでした。
でも他に席は無いし、チリコンビーンズは食べたかったし、日経新聞を読んで気を紛らわすことにしました。
女の子は5歳くらい、サラダを一生懸命食べながら、お父さんと話してました。
ふと、その会話が気になり出しました。
お父さんは、その女の子と、まるで自分の奥さんか友達と話すような言葉で鷹揚に、
楽しそうに話しているのです。
その女の子も、お父さんと対等に大人言葉で話していました。
そして、その声が、とても場所をわきまえた押さえたトーンの声だったのです。
大抵親と子供がいれば、大声が飛び交うことになるので、私はいつも嫌な気分になります。
その会話は「早くしなさい」「どうしてそうなの」と、だいたい不機嫌な大人と
勝手に大きな声で自己主張する子供声で、イライラした空気を醸し出すのです。
ところが、この父子は、とても穏やかに休日のカフェでのひと時を楽しんでいました。
そして、小さな女の子はココが他人の大人がたくさんいるカフェであって
自宅ではないことをちゃんと自覚して振る舞っていました。
お父さんも、子供の声のトーンが上がると「ウルサいよ」と優しくいいました。
しばらくすると、お父さんは席の後ろに隠れていたベビーカーから1歳くらいの子を持ち上げて膝に座らせ、
スープを飲ませ出しました。
またこの男の子は、泣きもせずおとなしくスープを飲んでいました。
時々むせるのですが、お父さんも慣れた様子で、自分のチリコンビーンズを少し食べさせてみて、
「お、結構いけるじゃん」と言って楽しんだりしていました。
この三人の様子が気になって、私は日経どころではなくなりました。
なぜ、この父子三人がこんなに微笑ましく、楽しそうに思えるのだろう、と。
どこで見かける親子連れも、彼らの無意識にイライラした雰囲気に周りを巻き込むのに、この父子には、それが全くありませんでした。
お父さんは、子供との時間を楽しんでいて、子供もお父さんとの時間が普通なようでした。
会話に聞き耳を立てていると、今日お母さんは友人の結婚式へ行って、夕方に帰ってくるまで、お父さんが二人の子供を見ているのでした。
でも、きっとこのお父さんはいつもこうして子供との時間を楽しんでいる生活を送っていることが、よくわかります。
四六時中母親と子供だけで居れば、母親も子供もイライラし身勝手になります。
父親はまた違った接し方をする存在として、子供との日常を送ることは必要なことなのでしょう。子育てに参加しない父親と、子供べったりの母親が、不機嫌な親子の空気の一因なのだなあ、とつくづく思いました。
そして、そんな子供と大人の言葉で会話できるこのお父さんはとても知的に洗練されて見えました。
そして、お店の人との接し方も、爽やかな人でした。
男性も雄々しく外で戦うばかりが、人としてのまた男性としての魅力ではないし、楽しい人生でもないのでしょう。
家族とか、子供とか、そういうものに意味や価値を感じないことを自負する私でさえ、一人ではきっと得られないだろう楽しさを彼らから感じたのでした。
会計をしているときに、カフェの店主に「素敵なお父さんとお嬢さんですね」と聞きました。
常連さんだったようで、墨田区でオーダーメイドの靴職人をしている人だそうでした。
ああ、なるほど。そういう生活の方なんだな。とても納得しました。
今を生きる日本のサラリーマンには、そんなワークライフバランスは困難な日本の社会構造でしょうから。
こんな親子が街に溢れれば、私の家族嫌いも改善するかもしれないな、
職人っていい職業だな。
と身勝手なことを考えながら、楽しい気持ちで自転車に乗りました。