ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

絆ばやりに、ちょっと違和感を感じる。

2011-12-30 15:54:45 | 生活改善プロジェクト
私の頭の中は、昨日の続きを延々考えています。

今年の言葉は絆。
家族の大切さを多くの方が実感したということで、結婚するカップルも増えているらしいですね。
クリスマスも我が家でクリスマスケーキを囲む、団欒が好まれたらしく
クリスマスケーキが売れたと聞きます。

家族の絆かあ…

私にはどうも引っかかるものがあるのです。

家族とか親子とか夫婦とか、世の中を構成する最小単位、いわば基本です。
自分の親や子供や夫や妻を大切に出来ない人が、社会的に大きなことを成し遂げようとすることに
無理があるのも分かります。

幸せは毎日繰り返される普通の日常の中にある、と私もしみじみそう思うのです。

ですが、家族や身内の絆がもっとも大切なこと、という空気に危ういものを感じてしまいます。

社会というものは、多くの人が若干の我慢や犠牲を
差し出しながら成り立つものだと思います。
人の価値観や考え方は万別で、すべての人が思い通りになる人間社会はあり得ないし、
誰かだけが大きな我慢を強いられ犠牲になる社会も、歪んでいると思います。

みんながすこしずつ、納得いかなくて、我慢して、何かをみんなの為にさしだして
初めて社会が成り立つはずです。

そういう社会で、身内や家族という最小単位の人間関係が
一番大事で、最も優先されるべきことで、
愛する人を守るためなら、形振り構っていられない、と多くの人が思っていたら
社会は壊れるような気がするのです。

私は個人的に家族というモノに重きを置いていなくて、最小単位は自分、家族といえども他人の一人
と思っているので、若干クールさが極端だとは思います。

でも、社会全体の風潮が、人間関係が濃い人とだけ更に密接につながって行こう
となってしまたら
人とのつながりはどんどん狭く濃くなり
排他的になり
自分と異なるものを受け入れ難くなり
ナショナリズムを形成するだろうと思います。

私と考え方の違うあの人とは分かりあえないし、関係ない。
私と生きている環境や育った境遇の違うあの人は、理解できない。

そうなった社会は、結局窮屈で冷たい。

家族のいない人は、誰とつながればいい、誰との絆を心の支えにすればいいの?


ネットの発達で、国も宗教も違う人と、簡単に出会えて、つながろうという意思があれば
広範囲の人と繋がれるチャンスが出来ました。

SNSで、掲示板で、ブログで
顔も見たことがない人と、会話が出来、友達になるチャンスが出来ました。


私は、そんな顔も知らない人たちとの繋がれるチャンスが嬉しい。
そんな出会いを大事にしたいと思います。

私の生きている生活圏にはいない誰かと、ふとしたのきっかけで生まれる会話
そこから生まれる絆を育むことを、大事にしていくことが
大らかで、価値観が違う人同志が認め合っても生きやすい社会の始まりなのではないかと信じています。

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