ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

幸せって一体なんだ?いまだにわからない。

2011-12-28 08:37:32 | 生活改善プロジェクト
もう12月28日になりました。
年末も押し詰まってきました。

仕事もあと一日、年賀状もだして、今年一年を総括したい気持ちになっています。

私個人的なことですが、
2011年は、ただただ「幸せ」だと感じた年だった、ことをコッソリ告白します。


東日本大震災があり、タイの洪水があり、ユーロ危機があり
日本全体がとても困難なこと続きの年でした。
そんな状況においても、私は「幸せ」を感じ続けた年だった、なんて
あまりにも自己中心的すぎて、言いにくいので、こっそりつぶやいておきます。

3月11日の大震災からしばらくは、精神的に動揺もしました。
見聞きすることすべてに、泣きたくなってばかりいたことを覚えています。

体調もしばしば持ち崩すことが多く、夏の暑さは体力的にきつかった、と思います。

夏からは、病院での検査続きでした。

経済的にも、緊縮財政を続けて、毎月家計簿と帳簿とにらめっこだったし
いつも心の片隅に「無駄遣いしちゃいけない、経済的に厳しいんだから」ということがこびりついていました。

私自身を取り巻いていたのは、そんなままならないことばかりの環境だったのに
いつも「なんだか幸せだな」「こんなに幸せだと思って生きていたことはないな」という思いがいつもありました。

「幸せ」の詳細は、よくわかりません。
なんとなく、いつも楽しかったのです。

ほんの日常のささやかなことがに幸せを感じることが多かったように思います。

今夜のご飯がおいしいって
仕事で素敵な女性に出会えたって
ちょっとした提案が採用されたって
身の回りの整理をしたらすごく気持ちがスッキリしたって
新しい料理に挑戦したら、おいしくできたって

そんなことあんなことが、すごくうれしかった、そのうれしさが私の気持ちを支配していたようです。

客観的にみれば、「幸せ」と表現しにくいだろう出来ごとの最中でも
「こんな体験は滅多に出来ないから、楽しもう」
という思いがありました。

時々、今が「幸せ」ならどういうことが起きたら私は「不幸せ」に陥るんだろう?
と考えました。
考え続けましたが、結局「私はなんて不幸せなんだろう」と思ったとたん「不幸せ」なんだ、ということしかわかりませんでした。
自分で自分を追い詰める悪循環のサイクルに陥ることが「不幸せ」なのだろう。

今年の私は、いろいろなことが次々起きる、人生を何とか切り抜け、迷い、思考錯誤していることが
自分の足で一歩一歩生きている感じがして、楽しいと思えたような気がします。

結局、「幸せ」と「不幸せ」は自分の見方、気持ち次第、だということを
一年を通して実感し続けたように思います。
自分の気持ち、脳内の動きの不可思議さをつくづく感じました。

これから、きっとまたいろいろな気持ちの変化の波が押し寄せてきて
波の高低で思うことがまた変わるのだと思います。

そんな自分の心の変化も、「面白い」と思える客観性を持ち続ければ、
きっと心穏やかに生きられるような気がしています。



自分に近づきすぎると、近視眼的にいろいろなものが見えなくなるのだと思います。
どんなことが起こった時も、少し自分から離れて、自分自身をクールに見る冷静さが、悲しいことも楽しいことも人生にはいつも公平にあることを
ちゃんと思い出させてくれるのです。

なるべく自分に近づき過ぎない、ことをこれからの目標にしようと思います。

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