本日は私が最も尊敬する文芸評論家の方の作品をご紹介したく思います。
『趣味は読書。』斎藤 美奈子
ちくま文庫、2007
斎藤美奈子氏。私はこれほど素晴らしい文芸評論家を知らないし、今後も現れることはないでしょう。
『カウボーイビバップ』以来ほかのアニメが見られなくなってしまったのと同じように、初めてこの方の著作を読んで以来、ほかの評論家の文章は読めなくなってしまいました。
それは何故か...ひとえに斎藤氏がプロだからです。
編集業を経て評論家としてのキャリアをスタートさせたというだけのことはあり、この方はひたすら物書きのプロ、というより本の作り手のプロに徹しています。
いやあ、どんな業界にも「自称プロ」は数多いけれど、本当にプロ意識と技量を兼ね備えた人はものすごく少ないんです、じっさい。
私が思うに、評論のプロはきょくりょく主観を排し、客観的・鳥瞰的に評論対象を見る目が必要です。
その上で自分の意見を論理的に納得させられるよう説かなければならないのだから評論家も大変だけど、そもそも「プロ」ってのはあまねく大変なもんだ。
斎藤氏の著作には「ああ、この人がこういう立場だから、こういう結論に達するのだな」という色眼鏡の存在が全く感じられません。
おかげで、読者は限りなく無に近いクリアなガラス越しに評論対象を見渡すことができるのです。
これは明らかに斎藤氏のプロとしての技術ですね。
おそらくこの方は「女性ならではの発想」「○○世代特有の価値観」みたいな言われ方をされるのを何より厭うていらっしゃるんだと思います。
それが象徴されてるのがこの方の一人称ですね。ご自分を指して「私」という最も無性別な言い方(「わたし」ではない)か、さもなくば「斎藤」とおっしゃるのです。
これは「個」を排して鳥瞰者に徹しようとする斎藤氏の姿勢のあらわれではないかと、私は思います。
もちろんプロといっても好き嫌いの傾向はあるわけで、私がこの方を好きな理由の一つは、「理想の女性像」がけっこう近いことのような気がします。
だから同じタレント本でも梅宮アンナはこきおろされますが、飯島愛は評価されます(笑)。
しかし、個人的な好みはひとまずおいておき、たとえ斎藤氏と逆の意見を持つ人でも納得してしまうほど巧みに論を進めるところが、この方のプロたる所以です。
そのうえ文章がとにかく明瞭で読みやすい!!あいにく私がこの方を知ったのは大学生になってからでしたが、きっと小学生の頃に知っても同じように夢中になれたことでしょう。
そしてもうひとつこの方の素晴らしいところは視点の斬新さですね。
斉藤氏にかかれば、今いったタレント本もこてこてのナショナリズム本も流行のファンタジーも聖書すらもすべて同じ壇上に乗せられ、斎藤氏一流のユニークな視点から分類され、「なぜその本が売れたのか?」「この本が持ってる微妙に鼻持ちならない感じはいったいどこから(笑)?」みたいな疑問に対し、鮮やかに解説が弾き出されるのです。
そのスタイルはデビュー作『妊娠小説』で既に確立されています。
妊娠小説。なんともセンセーショナルなタイトルではありませんか。いったい何が書いてあるのかと、だれもが思うことでしょう。
タイトルで完全につかみはオッケー。そして、内容も同じくらい斬新です。曰く、「世の中には明らかに『妊娠小説』と呼ぶべきジャンルの文学作品がある。しかしそれが妊娠小説であることは読んでみるまで判明しない。これは由々しきことである。そこで、世の妊娠小説を時代を追って俯瞰し、分析してみようではないか」とのこと。
妊娠小説とは、ようはストーリー内に登場人物の妊娠エピソードが含まれている作品のことで、古くは森鴎外の『舞姫』から三島由紀夫の『美徳のよろめき』、そして現在の村上春樹まで、あらゆる作品がこのカテゴリーのもと論じられています。
どれも有名な作品で、いくつかは読んだこともあるけれど、こういう分け方をしようと今まで誰が思ったことでしょう。
そしてそこには、単にテーマで集めてみただけではなく、確かな系統というか傾向が存在するんですね。この分類力が凄いです。
今までアニメの知識の間違いや計算ミスの点でしか論じられてこなかった柳田理科雄『空想科学読本』も、今まで誰も比べようとしなかった石原慎太郎と唐沢利明の本が持つ意外な共通点も、みんなが熱狂的に支持した、あるいは誰も文句を言えないあの本(ここではあえてタイトルはいわない)の実はすっごくミョ~な点も、斎藤氏にかかれば誰にも見えてなかったことがあたかも自明の理のように描き出されます。
さらに、分析力が確固としているので、5年前の著作を見ても違和感なく現状に当てはめることができます。
斎藤氏は本の評論だけでなく、同じような鮮やかな手法でフェミニズム論も得意としてらっしゃいます。
『紅一点論』は、空想科学作品論の形をとったフェミニズム論ですね。だから、そこで取り上げられているのは『ガンダム』とか『セーラームーン』とかだけど、ガンダムもセーラームーンも知らなくてもまったく問題ありません。論旨が整然としているゆえ、個別の作品を知らなくても総論として読むことができるし、それが可能なほど分かりやすい文章で書かれているということです。
ことフェミニズムの話題になったとき、斎藤氏の筆舌はひときわ鋭く冴え渡り、私は喝采せずにはいられません。
斎藤氏にはぜひ、われらが東京女子大に女性学講師としてお越し頂きたい。
うちの大学はジェンダー関連の分野で文部科学省のなんとかという御墨付きをもらったのですが、御墨付きを頂いている以上、斎藤氏くらい気鋭の論客を招かなければハクがつかないぞ。
もしお越しくださるのなら、私は片道2時間半の通学時間にもめげず聴講生として再び大学に通いつめる所存です。
『趣味は読書。』斎藤 美奈子
ちくま文庫、2007
斎藤美奈子氏。私はこれほど素晴らしい文芸評論家を知らないし、今後も現れることはないでしょう。
『カウボーイビバップ』以来ほかのアニメが見られなくなってしまったのと同じように、初めてこの方の著作を読んで以来、ほかの評論家の文章は読めなくなってしまいました。
それは何故か...ひとえに斎藤氏がプロだからです。
編集業を経て評論家としてのキャリアをスタートさせたというだけのことはあり、この方はひたすら物書きのプロ、というより本の作り手のプロに徹しています。
いやあ、どんな業界にも「自称プロ」は数多いけれど、本当にプロ意識と技量を兼ね備えた人はものすごく少ないんです、じっさい。
私が思うに、評論のプロはきょくりょく主観を排し、客観的・鳥瞰的に評論対象を見る目が必要です。
その上で自分の意見を論理的に納得させられるよう説かなければならないのだから評論家も大変だけど、そもそも「プロ」ってのはあまねく大変なもんだ。
斎藤氏の著作には「ああ、この人がこういう立場だから、こういう結論に達するのだな」という色眼鏡の存在が全く感じられません。
おかげで、読者は限りなく無に近いクリアなガラス越しに評論対象を見渡すことができるのです。
これは明らかに斎藤氏のプロとしての技術ですね。
おそらくこの方は「女性ならではの発想」「○○世代特有の価値観」みたいな言われ方をされるのを何より厭うていらっしゃるんだと思います。
それが象徴されてるのがこの方の一人称ですね。ご自分を指して「私」という最も無性別な言い方(「わたし」ではない)か、さもなくば「斎藤」とおっしゃるのです。
これは「個」を排して鳥瞰者に徹しようとする斎藤氏の姿勢のあらわれではないかと、私は思います。
もちろんプロといっても好き嫌いの傾向はあるわけで、私がこの方を好きな理由の一つは、「理想の女性像」がけっこう近いことのような気がします。
だから同じタレント本でも梅宮アンナはこきおろされますが、飯島愛は評価されます(笑)。
しかし、個人的な好みはひとまずおいておき、たとえ斎藤氏と逆の意見を持つ人でも納得してしまうほど巧みに論を進めるところが、この方のプロたる所以です。
そのうえ文章がとにかく明瞭で読みやすい!!あいにく私がこの方を知ったのは大学生になってからでしたが、きっと小学生の頃に知っても同じように夢中になれたことでしょう。
そしてもうひとつこの方の素晴らしいところは視点の斬新さですね。
斉藤氏にかかれば、今いったタレント本もこてこてのナショナリズム本も流行のファンタジーも聖書すらもすべて同じ壇上に乗せられ、斎藤氏一流のユニークな視点から分類され、「なぜその本が売れたのか?」「この本が持ってる微妙に鼻持ちならない感じはいったいどこから(笑)?」みたいな疑問に対し、鮮やかに解説が弾き出されるのです。
そのスタイルはデビュー作『妊娠小説』で既に確立されています。
妊娠小説。なんともセンセーショナルなタイトルではありませんか。いったい何が書いてあるのかと、だれもが思うことでしょう。
タイトルで完全につかみはオッケー。そして、内容も同じくらい斬新です。曰く、「世の中には明らかに『妊娠小説』と呼ぶべきジャンルの文学作品がある。しかしそれが妊娠小説であることは読んでみるまで判明しない。これは由々しきことである。そこで、世の妊娠小説を時代を追って俯瞰し、分析してみようではないか」とのこと。
妊娠小説とは、ようはストーリー内に登場人物の妊娠エピソードが含まれている作品のことで、古くは森鴎外の『舞姫』から三島由紀夫の『美徳のよろめき』、そして現在の村上春樹まで、あらゆる作品がこのカテゴリーのもと論じられています。
どれも有名な作品で、いくつかは読んだこともあるけれど、こういう分け方をしようと今まで誰が思ったことでしょう。
そしてそこには、単にテーマで集めてみただけではなく、確かな系統というか傾向が存在するんですね。この分類力が凄いです。
今までアニメの知識の間違いや計算ミスの点でしか論じられてこなかった柳田理科雄『空想科学読本』も、今まで誰も比べようとしなかった石原慎太郎と唐沢利明の本が持つ意外な共通点も、みんなが熱狂的に支持した、あるいは誰も文句を言えないあの本(ここではあえてタイトルはいわない)の実はすっごくミョ~な点も、斎藤氏にかかれば誰にも見えてなかったことがあたかも自明の理のように描き出されます。
さらに、分析力が確固としているので、5年前の著作を見ても違和感なく現状に当てはめることができます。
斎藤氏は本の評論だけでなく、同じような鮮やかな手法でフェミニズム論も得意としてらっしゃいます。
『紅一点論』は、空想科学作品論の形をとったフェミニズム論ですね。だから、そこで取り上げられているのは『ガンダム』とか『セーラームーン』とかだけど、ガンダムもセーラームーンも知らなくてもまったく問題ありません。論旨が整然としているゆえ、個別の作品を知らなくても総論として読むことができるし、それが可能なほど分かりやすい文章で書かれているということです。
ことフェミニズムの話題になったとき、斎藤氏の筆舌はひときわ鋭く冴え渡り、私は喝采せずにはいられません。
斎藤氏にはぜひ、われらが東京女子大に女性学講師としてお越し頂きたい。
うちの大学はジェンダー関連の分野で文部科学省のなんとかという御墨付きをもらったのですが、御墨付きを頂いている以上、斎藤氏くらい気鋭の論客を招かなければハクがつかないぞ。
もしお越しくださるのなら、私は片道2時間半の通学時間にもめげず聴講生として再び大学に通いつめる所存です。