舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

「フラノート」の是非

2007-11-14 23:38:10 | ダンス話&スタジオM
フラを書いて覚えるという人の数はそうとう多いらしく、フラ雑誌には専用の枠が印刷された「フラ用ノート」の広告まで出ています。
実際、うちのレッスン後も一生懸命振りをノートに書いている人がたくさんいらっしゃいますし、ハワイの先生までレッスン中に「ノートを取る時間」を設ける人が随分いると聞きます。


しかしそもそもフラをノートに書いて覚える行為は是なのか?非なのか??


一つだけいえるのは、マミちゃんが所属していた30数年前のハワイのフラスタジオでは、振付けのノートなど誰一人取っていなかったということです。
そして私も、今まで覚えてきた曲は何百曲だか知れませんが、ただの一曲も書いて覚えたことはありません。

つまり、少なくとも書いて覚えなければいけないわけではありません
もし同じクラスの人がみんなせっせとノートを取っていたからといって、強いて自分も書く必要はないのですね。覚え方は人それぞれでオッケーだと思います。

だからもちろん書いてもいいわけですけれども、ただし書くにあたっては、くれぐれも心に留めておかなければならないことがあります。
それはダンスを文章に直すのには限りがあるってことです。
どんなに文才のある人でも、絶えず動き続けているうえに三次元的なダンスを完全に文章で表現することはできません。
それを無理矢理一挙手一投足を文章に直そうとすると、どうしてもどこかに無理や矛盾ができて、かえってわかりにくい代物になってしまいます。

そういえば、フラ以外の踊り(ベリーダンスとか)の人は、あまりノートに取ろうとしていませんね。
フラの場合、なまじステップ名などで表せそうな気がしてしまう踊りだから、つい文章にしたくなっちゃうのかもしれません。
でもフラが(たとえば手話ではなく)ダンスである以上、最終的には信用できるのは自分の身体の記憶です

ということは、ノートを取るにしてもできるかぎり最低限の事柄に留めておいた方がいいと思います。
一番おすすめなのは、手で表現している意味内容(風とか波とか)だけを書き留めておくことです。
それだけじゃ分からなくなりそうなら、「右手のみ」とか「前で」くらい書いてもいいと思うけど、「右にあった手を前を通って左に、かれこれこの辺で左手も添えて」なんてことまで書きはじめてしまうと、これはちょっともう書き過ぎです。

結論するなら、「フラノートは身体が覚えたことを補うものであり、フラノートでもって覚えるのはダメ」です。
ノートに取ってある(けどノートを見なきゃ踊れない)曲を「覚えている」とはいえません。その曲はあなたのレパートリーではありません。
もしある人が200曲の振付をノートに取ってあって、それらをいっさい見ずに踊れる曲が10曲だけなら、その人のレパートリーは10曲です。私にいわせればレパートリーの多寡なんて何のバロメータにもならないけど、ノートを取っただけで満足するような人ほどレパートリーの数を気にするんだよなぁ。

あと、ノートはあくまでも自分自身の記憶の補助なので、自分の言葉で書かないと意味がないです。
人に取ってもらったノートのコピーは何の役にも立ちません。ハッキリ言って無い方がマシです。
というのも、同じ動きでも言葉での書き表わし方は人によって違うため、振り付けを知らないで人の書いた文章だけ見せられても混乱を招くか、実像とドンドコかけ離れていくかのどちらかです。

てなわけで、「どーしても文章じゃなきゃ覚えられないッ!!」という人のみ、自分の言葉で(しかもできる限り簡潔に)ノートを取ればオッケーです。
そうじゃなくて「ダンスは身体で覚えるもの」と思っている人は、自分の身体の記憶力を信じて繰り返し踊って覚えれば大丈夫。その方が振付の記憶は長持ちします。
いずれにしても、誰か親切すぎる人が振付を書いたコピーをくれたとしても、それは見ない方が無難です。自分では書けないけれど何か文章が見たいときは、歌詞カードを見ることをお勧めします。

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