うちのスタジオには(つーか私やマミちゃんが勝手に使っているんですが)、スタジオM語録とでもいうべきものが存在します。
そして昨日めでたく(は、ないか)新たに語録に加わったのが「光源氏」です。
光源氏
↓
手が早い
↓
踊りのタイミングが早すぎること、またはそういう人
...という、まわりくどくて最早便利なのか不便なのかわからぬ新語です。
現在私が瀬戸内先輩の『源氏物語』にハマりきっていることからこの語が登場しました。
でも、これを形容するスタジオM用語ができたのはつい昨日だけど、踊りのタイミングが早すぎることはずっと前からの懸念材料であります。
たとえばフラの場合、足のステップはリズムにあわせて踏む一方で、手の動きは歌われている意味内容を表現します。
優れたダンサーになると、今初めて聴いた曲でもその場で踊れるといわれています(ただ、どれだけハワイ語に秀でていても、聴いたその場では歌詞のバックストーリーまではリサーチできませんから、正式な意味で「踊る」ことはできないのですけどね)。
つまり厳密には「手で表した後から歌詞がついてくる」ということはあり得ないのです。
一方ベリーダンスも、本来なら即興演奏にあわせて踊るものです。ダンサーは音楽を聴きながら当意即妙の動きをし、奏者もダンサーの様子を見つつ演奏を展開していくわけです。
だからたとえ生演奏じゃなくても、音が聞こえてから動くことが望ましいです。
それなのに、次にくる音が分かりきっていて振り付けが決められていると、つい先へ先へと進みたくなっちゃいがちなんですよね。
確かに世の中にはどんどん早めにやってった方がいいこともありますが、うちでやってる踊り(フラやベリーダンス)に関してその概念はあてはまりません。
リズムをいっぱいいっぱいに取って音が聞こえてから反応した方が、遥かに優雅で美しくなるたぐいの踊りです。
光源氏は音楽や芸術の才能に優れているそうですが、踊り方が光源氏なのはいただけませんね。
あ、女癖が光源氏なのも十分いただけないか(笑)。
くだんの『源氏』は序盤のヤマ、葵の上が六条の御息所の生き霊にとり殺されるあたりまで読みました。
しかし六条さん、若い頃に読んだときはひたすらおっかない姉さんだったけれど、今読むとけっこう魅力のあるキャラクターです。
高貴な生まれの人らしく高い教養やセンスを持ち、光源氏を激しく愛しているけれど高い矜持との間で揺れ動き、祭りの日の葵の上との接触事件で矜りをいたく傷つけられて身を引こうとするも、光源氏に対する愛憎が深すぎて生き霊となって葵の上に取り憑くなんて、とても素敵です。
だから紫式部さんも、光源氏との詩歌のやり取りをたびたび登場させることによって、彼女の人間としての魅力やたしなみの深さを再三アピールしてるんでしょうね。
巻末におさめられた瀬戸内さんご自身による解説を読むと、東京女子大生っぽさが随所に現れていてうれしいです。
とくに「作者は紫式部一人ではなく、複数かもしれないという説もあるのは、これだけの壮大華麗な傑作が、到底一人の女性の手では書ける筈がなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない。」という一文!!!思わず快哉を叫びましたね。
「男性研究者」とわざわざ特定しているところが、なんとも女子大の先輩らしいです。そういうあたり、私が自分の大学にいたく愛着を持っている理由のひとつですね。
そして昨日めでたく(は、ないか)新たに語録に加わったのが「光源氏」です。
光源氏
↓
手が早い
↓
踊りのタイミングが早すぎること、またはそういう人
...という、まわりくどくて最早便利なのか不便なのかわからぬ新語です。
現在私が瀬戸内先輩の『源氏物語』にハマりきっていることからこの語が登場しました。
でも、これを形容するスタジオM用語ができたのはつい昨日だけど、踊りのタイミングが早すぎることはずっと前からの懸念材料であります。
たとえばフラの場合、足のステップはリズムにあわせて踏む一方で、手の動きは歌われている意味内容を表現します。
優れたダンサーになると、今初めて聴いた曲でもその場で踊れるといわれています(ただ、どれだけハワイ語に秀でていても、聴いたその場では歌詞のバックストーリーまではリサーチできませんから、正式な意味で「踊る」ことはできないのですけどね)。
つまり厳密には「手で表した後から歌詞がついてくる」ということはあり得ないのです。
一方ベリーダンスも、本来なら即興演奏にあわせて踊るものです。ダンサーは音楽を聴きながら当意即妙の動きをし、奏者もダンサーの様子を見つつ演奏を展開していくわけです。
だからたとえ生演奏じゃなくても、音が聞こえてから動くことが望ましいです。
それなのに、次にくる音が分かりきっていて振り付けが決められていると、つい先へ先へと進みたくなっちゃいがちなんですよね。
確かに世の中にはどんどん早めにやってった方がいいこともありますが、うちでやってる踊り(フラやベリーダンス)に関してその概念はあてはまりません。
リズムをいっぱいいっぱいに取って音が聞こえてから反応した方が、遥かに優雅で美しくなるたぐいの踊りです。
光源氏は音楽や芸術の才能に優れているそうですが、踊り方が光源氏なのはいただけませんね。
あ、女癖が光源氏なのも十分いただけないか(笑)。
くだんの『源氏』は序盤のヤマ、葵の上が六条の御息所の生き霊にとり殺されるあたりまで読みました。
しかし六条さん、若い頃に読んだときはひたすらおっかない姉さんだったけれど、今読むとけっこう魅力のあるキャラクターです。
高貴な生まれの人らしく高い教養やセンスを持ち、光源氏を激しく愛しているけれど高い矜持との間で揺れ動き、祭りの日の葵の上との接触事件で矜りをいたく傷つけられて身を引こうとするも、光源氏に対する愛憎が深すぎて生き霊となって葵の上に取り憑くなんて、とても素敵です。
だから紫式部さんも、光源氏との詩歌のやり取りをたびたび登場させることによって、彼女の人間としての魅力やたしなみの深さを再三アピールしてるんでしょうね。
巻末におさめられた瀬戸内さんご自身による解説を読むと、東京女子大生っぽさが随所に現れていてうれしいです。
とくに「作者は紫式部一人ではなく、複数かもしれないという説もあるのは、これだけの壮大華麗な傑作が、到底一人の女性の手では書ける筈がなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない。」という一文!!!思わず快哉を叫びましたね。
「男性研究者」とわざわざ特定しているところが、なんとも女子大の先輩らしいです。そういうあたり、私が自分の大学にいたく愛着を持っている理由のひとつですね。