舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

学長懇話会

2007-11-17 23:23:33 | Memoirs of 東京女子大
今日、東京女子大学現学長・湊 晶子先生を囲んでの懇話会がおこなわれました。

湊先生はちょうど私が入学した年に学長に就任され、卒業の際は壇上で先生から直接卒業証書をいただく栄誉に浴することができました。
その学長先生が今回、わざわざ宇都宮までお越しくださると伺い、それ以来数カ月間ずっとこの日を心待ちにしていたのです。

会場は宇都宮グランドホテルの2階で、おりしも美しく色づきはじめた庭園が一望に見渡せる素晴らしいお部屋でした。
先日の同窓会支部会でお会いした先輩方とご挨拶しつつ、籤で決まった席に行ってみるとなんと!!!一番前でしかも学長先生の正面の場所です!!!
学生時代もカブリツキが好きだった私ですが、こ、これはいくらなんでも緊張する~~~

お隣は本部からいらした理事の方でこれまたドキドキです。
しかし、そのさらにお隣は2003年卒業の方で、今回の出席者の中ではかなり近い先輩です。
というより21世紀に入ってからの卒業生が私含め3人しかいません。
'90年代の卒業生にいたっては、一人もお見えでありません。きっとそのあたりの年代の方は、仕事にしろ家庭にしろ忙しかったり、郷里を離れていたりすることが多いでしょうからねえ。

なにしろうちの大学の就職率は98%で、女子学生の就職氷河期といわれていた時代さえこの水準を保っていたそうですから、20~30代の卒業生が皆さんお忙しかったとしても不思議はありません。
かくいう私も、本当はレッスンがあったところを、生徒さんに平謝りしてこの懇話会に出席させていただいたのです。だから前半のクラスに母マミちゃんしか参上できなかったのでした。ごめんなさい~~。この埋め合わせは来週必ず!!!

時間になり、鮮やかなエメラルドグリーンのジャケットがお似合いの学長先生がご到着になりました。
うわあ、懐かしい!!!それに全然お変わりない!!!と喜んでいるうちに会が始まり、まずは校歌斉唱から始まりました。

...って、ええっ!?校歌!?!?
ど、どどどどうしましょう。ワタクシ、校歌なんてウロ覚えです。なのに司会進行の方は「じゃ、アカペラで」などとおっしゃるし、両隣の先輩方は確固とした声で歌っておられるし、冷や汗をかく思いがしました。
去年卒業式をやったばかりで一番最近歌ったはずの私なのに、なんでこんなに覚えてないんでしょう。そりは曲が難しいからです。
あの山田耕筰氏が作曲したという東京女子大学校歌は、特に前半部分は唖然とするほど難しく、私ごときの楽譜読解力では到底太刀打ちできぬ代物です。いつも必死にオタマジャクシを追ってるうちに曲が終わってしまい、覚える領域に届かないまま、大学の4年間が終わってしまったのでした。
しかし私にとって東京女子大に限っては愛着ある母校ゆえ、今後も同窓会などに出席すると思われ、今からでも真面目に覚えた方がよさそうです。

続いて、湊先生のスピーチが始まりました。
先生のお話は在学中から何度も聞いておりますが、いつも先生の高い志とそれを実現できる行動力の持ち主でいらっしゃることがうかがえるスピーチです。

その一端がわかるエピソードが、一年次のカンファレンスでうかがった「肌色」のお話です。
湊先生はかつて、クレヨンか色鉛筆などを使いながら日本語でどの色を何と呼ぶか黒人女性にご説明なさったことがあるそうです。
そして「skin color=肌色」とおっしゃったとき、その色とご自分の肌の色を見比べる黒人女性の姿をご覧になり、この名前の問題に即座に気づかれた先生は、すぐ絵具の会社にそれを訴えられました。
先生の再三の訴えの甲斐あって、いまではほとんどのクレヨンや色鉛筆で「肌色」ではなく「ペールオレンジ」あるいは「うすだいだい」の名前が定着していますね。

私はこの件をだいぶ昔にニュースで耳にしてとても印象に残っていたので、それが自分の大学の学長先生だと知ったときは心底驚いて、こんな縁もあるものかと思ったものです。
なぜなら私も子供の頃ハワイの人と一緒に絵を描いていて、日本から持参した色鉛筆ではハワイの人の肌を塗る色がなくて困ったことがあるからです。
しかし私は、困っただけで終わってしまいました。そこから一歩先に進んで「はだいろ」という名前の持つ矛盾に気づくことができなかった。
そういうわけで、私は湊先生をいたく尊敬しているのです。
この方が史上初の「東京女子大出身の学長先生」だというのですから、いいかげん自分の母校に愛着も湧くというものです。

だから、そんな学長先生がスピーチの最中に私の名前をお呼びになり「'06年卒業の福田さん...あぁ、総代の!!覚えてますよ」とおっしゃったときは、あまりの光栄に悶えました。
お隣の理事の方もこれには驚いて、「印象深いお顔なのかしらねえ」とおっしゃいました(※ちなみにその時も背中からコウモリの羽を生やしていました)が、たぶん違います。理由はほかにあります。


覚えていていただけたのが嬉しくて、そのあと一人ずつ自己紹介した際に、私が東京女子大に入った経緯を告白することにいたしました。

ダンス屋一家に生まれながら、どういうわけか小さい頃から「私は大学に行く!!それも4年制大学に!!!」という謎の確信を持っていた私。
ではどの大学に?となると不思議とピンと来ないまま高校生になったある日、教室の後ろの壁に貼ってあったポスターに書かれた「東京女子大学」の文字を見た瞬間、「あーーーーっ!!!」とインスピレーションが降ったのです。

...というくだりをお話ししたら、皆さんから「おお~~~」という声が出てうれしかったですね(笑)。

その後、滑り止めも受けずに(だってここしかあり得ないという大学を見つけたのになぜ滑り止めを受けなければならないのでしょう)受験して合格し、4年間は好きなことばかり学ばせてもらえてひたすら楽しかったという話の後、総代になってインドの民族衣装で壇上にあがったというオチで終わりました。
学長先生が覚えていてくださったのは、ひとえにこの人騒がせな扮装のせいではないかと思われます。

こういった趣旨の話をしたら、少なからぬ先輩方から「パワーを貰いましたよ」「パンチのあるお話だった」というご感想をいただきました。

先輩方を見渡しても、自分はこの大学の卒業生としてそうとう異色なキャラクターだという気がヒシヒシして参りますが(つーか実は在学中からそうだった)、中学の頃のような居心地の悪さは感じません。むしろお話を伺っていると興味の対象などに共通する部分がたくさんあって、私も見てくれはこんなですが、うれしいことに本質においては近しいものがあるようです。

そういえば、大先輩の瀬戸内寂聴さんも在学中に「私とはちょっと違う」と思ったとおっしゃってましたっけ。それでも『源氏物語』の解説などを読めば、やっぱりこの方も東女生だよなあ、と感じられます。

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