うう...せっかくいただいたパーティーの写真データCDが、忙しすぎてまだ現像できない....。
本当は今日映画を観にいこうと思ってたのに、けっきょくそれもままならず。明日午前からレッスンがある身で、終了時刻11時の最終上映は観られません。
パーティー終わったら必ず観るぞと息巻いていた『ライラの冒険』と『魔法にかけられて』のどちらも未だに観られていないという、ちょっと信じがたい状況です。
特に『ライラ』は映画化が決まったそのときから公開初日、いえ先行上映日に観に行くぞと決心していたので、切なくてなりません。
ま、ライラが見られずにいるのは「字幕版じゃなきゃ観ないッ!!」と固く決意しているせいもあるのですが。
最近日本語版しか上映しない作品が多すぎて、字幕版をやってもシネコン内の小さなシアターでオシルシ程度に流すのみということが多く、本命作品は字幕で見たい私としてははなはだ遺憾です。
そんなフラストレーションを補うべく...ってわけじゃないですが、荻原規子さんの『樹上のゆりかご』を読みました。
荻原さんは私の好きな日本人作家の一人です。
とりわけ好きなのが画像左の『これは王国のかぎ』。普通の中学生の女の子がアラビアンナイトのような世界に迷い込み、冒険を繰り広げるお話です。
『樹上』は『王国のかぎ』のヒロインが高校生になった姿を描いていながら、舞台はまったく普通の高校です。ただちょっとミステリアスな事件がいろいろ起きますが。
荻原さんの作品は、私から見ると眩しいくらい若い(実年齢ではなく人間のありようの問題である)女の子がヒロインの、たいへん少女小説らしくさわやかな雰囲気...でありながら、どこか官能的な側面をもつものばかりです。
その官能の匂いが非常に魅力的でやみつきになってしまい、気付けば愛読しております。
今述べたように、ヒロインはとっても若々しくて色っぽさのかけらもありません(少なくとも私は色気を感じない)。
しかし、映画のエンドロールならキャストの一番最後に名前が出てくるような役回りの女性キャラクターがみな、おそろしく官能的で魅力的なのです。
「女性」といっても、彼女たちはヒロインとほとんど年齢がかわらないことがしばしば(だから若さとは実年齢ではなく「ありよう」なんです)。
にもかかわらず心に人知れぬ闇を秘めていたり、自分の野望を達成するためなら手段を選ばない激しい気性の持ち主であったりと、眩しいほどまっすぐなヒロインとは決定的に異なる屈折を抱えています。
だから、どんなに美しくても(どの人も並外れて眉目秀麗、それも大人びた美しさの持ち主であることが繰り返し語られています)彼女たちにはなにかしら影があり、それゆえにヒロインにはない官能的な魅力を醸し出してるんですね~。
ご存じの方のために例示するならば、今日読んだ『樹上』においては近衛有理であり、『王国のかぎ』におけるミリアム、『空色勾玉』なら照日王、そして『西の良き魔女』におけるレアンドラ・チェバイアットが、私を魅了してやまない妖しくも美しい女性キャラクターなのです。
もちろん私がとりわけ敬愛するのはレアンドラ様です。
彼女はこの作品のヒロイン(やっぱり眩しいほど純粋無垢で、好きな少年のためならどこまでもついていくまっすぐ少女)に敵対する人物であり、美貌と知略と武勲と水面下の駆け引きによって己の野望を成就せんとする最高に物騒なお姉様です。
何が物騒って、高貴の姫君と生まれながら、目的のためなら人を何人殺めようが構わないと思っているフシがありますからね(実際そうしています。そのための毒針も常備しています。ますます素敵です)。
荻原さんの描く魅力的な女性たちの中でも、レアンドラや照日王は特に過激で残酷ですが、それすらも彼女たちの魅力に思えてしまいます。
今日読んだ『樹上』に出てくる近衛有理さんもなかなか過激な人で、ワイルドの『サロメ』になぞらえながら彼女の美しい狂気が描かれます。
物語のクライマックス、高校の演劇でサロメに扮した有理は、ある男性への激しい恋慕をサロメの「七つのヴェールの踊り」に託して踊り、幕切れと同時に毒を飲んで倒れます。
おもわず私も「七つのヴェールの踊り」を創案したくなるほど好きなシーンではありましたが、いかんせん前述のレアンドラや照日王に比べると動機が男ってのがちょっと弱い(笑)。それが私としてはいまいちでした。
なんたってレアンドラは王国の女王の地位を得るため、照日王にいたっては古代日本の荒ぶる神々を封じ尽くして輝の大御神による治世を実現するという目的を持っていたわけですから、そりゃまあスケールが違いますわな。
どうも私は、舞台が学校とかテーマが若者の色恋とか卑近な話になると、それがどんなにエキセントリックなストーリーであっても感情移入できないようです。
そもそも荻原さんは日常から著しく離れた世界のファンタジーを得意とする方ですし。
中学高校の話は自分が現実世界で散々やったからもうお腹いっぱいなんで要りません、という心境なんでしょうな。これがもっと自分の青春時代に愛着のある方なら、だいぶ違ってくるのでしょうけど。
学校よりもアラビアンナイトの世界に親しみを覚え、恋に我を失う高校生よりも女王になるためなら殺人も辞さないお姫さまの方に気持が寄り添ってしまうのは、やはり私が変態だからなんでしょうか。
本当は今日映画を観にいこうと思ってたのに、けっきょくそれもままならず。明日午前からレッスンがある身で、終了時刻11時の最終上映は観られません。
パーティー終わったら必ず観るぞと息巻いていた『ライラの冒険』と『魔法にかけられて』のどちらも未だに観られていないという、ちょっと信じがたい状況です。
特に『ライラ』は映画化が決まったそのときから公開初日、いえ先行上映日に観に行くぞと決心していたので、切なくてなりません。
ま、ライラが見られずにいるのは「字幕版じゃなきゃ観ないッ!!」と固く決意しているせいもあるのですが。
最近日本語版しか上映しない作品が多すぎて、字幕版をやってもシネコン内の小さなシアターでオシルシ程度に流すのみということが多く、本命作品は字幕で見たい私としてははなはだ遺憾です。
そんなフラストレーションを補うべく...ってわけじゃないですが、荻原規子さんの『樹上のゆりかご』を読みました。
荻原さんは私の好きな日本人作家の一人です。
とりわけ好きなのが画像左の『これは王国のかぎ』。普通の中学生の女の子がアラビアンナイトのような世界に迷い込み、冒険を繰り広げるお話です。
『樹上』は『王国のかぎ』のヒロインが高校生になった姿を描いていながら、舞台はまったく普通の高校です。ただちょっとミステリアスな事件がいろいろ起きますが。
荻原さんの作品は、私から見ると眩しいくらい若い(実年齢ではなく人間のありようの問題である)女の子がヒロインの、たいへん少女小説らしくさわやかな雰囲気...でありながら、どこか官能的な側面をもつものばかりです。
その官能の匂いが非常に魅力的でやみつきになってしまい、気付けば愛読しております。
今述べたように、ヒロインはとっても若々しくて色っぽさのかけらもありません(少なくとも私は色気を感じない)。
しかし、映画のエンドロールならキャストの一番最後に名前が出てくるような役回りの女性キャラクターがみな、おそろしく官能的で魅力的なのです。
「女性」といっても、彼女たちはヒロインとほとんど年齢がかわらないことがしばしば(だから若さとは実年齢ではなく「ありよう」なんです)。
にもかかわらず心に人知れぬ闇を秘めていたり、自分の野望を達成するためなら手段を選ばない激しい気性の持ち主であったりと、眩しいほどまっすぐなヒロインとは決定的に異なる屈折を抱えています。
だから、どんなに美しくても(どの人も並外れて眉目秀麗、それも大人びた美しさの持ち主であることが繰り返し語られています)彼女たちにはなにかしら影があり、それゆえにヒロインにはない官能的な魅力を醸し出してるんですね~。
ご存じの方のために例示するならば、今日読んだ『樹上』においては近衛有理であり、『王国のかぎ』におけるミリアム、『空色勾玉』なら照日王、そして『西の良き魔女』におけるレアンドラ・チェバイアットが、私を魅了してやまない妖しくも美しい女性キャラクターなのです。
もちろん私がとりわけ敬愛するのはレアンドラ様です。
彼女はこの作品のヒロイン(やっぱり眩しいほど純粋無垢で、好きな少年のためならどこまでもついていくまっすぐ少女)に敵対する人物であり、美貌と知略と武勲と水面下の駆け引きによって己の野望を成就せんとする最高に物騒なお姉様です。
何が物騒って、高貴の姫君と生まれながら、目的のためなら人を何人殺めようが構わないと思っているフシがありますからね(実際そうしています。そのための毒針も常備しています。ますます素敵です)。
荻原さんの描く魅力的な女性たちの中でも、レアンドラや照日王は特に過激で残酷ですが、それすらも彼女たちの魅力に思えてしまいます。
今日読んだ『樹上』に出てくる近衛有理さんもなかなか過激な人で、ワイルドの『サロメ』になぞらえながら彼女の美しい狂気が描かれます。
物語のクライマックス、高校の演劇でサロメに扮した有理は、ある男性への激しい恋慕をサロメの「七つのヴェールの踊り」に託して踊り、幕切れと同時に毒を飲んで倒れます。
おもわず私も「七つのヴェールの踊り」を創案したくなるほど好きなシーンではありましたが、いかんせん前述のレアンドラや照日王に比べると動機が男ってのがちょっと弱い(笑)。それが私としてはいまいちでした。
なんたってレアンドラは王国の女王の地位を得るため、照日王にいたっては古代日本の荒ぶる神々を封じ尽くして輝の大御神による治世を実現するという目的を持っていたわけですから、そりゃまあスケールが違いますわな。
どうも私は、舞台が学校とかテーマが若者の色恋とか卑近な話になると、それがどんなにエキセントリックなストーリーであっても感情移入できないようです。
そもそも荻原さんは日常から著しく離れた世界のファンタジーを得意とする方ですし。
中学高校の話は自分が現実世界で散々やったからもうお腹いっぱいなんで要りません、という心境なんでしょうな。これがもっと自分の青春時代に愛着のある方なら、だいぶ違ってくるのでしょうけど。
学校よりもアラビアンナイトの世界に親しみを覚え、恋に我を失う高校生よりも女王になるためなら殺人も辞さないお姫さまの方に気持が寄り添ってしまうのは、やはり私が変態だからなんでしょうか。