舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

スタジオMのルーツ

2009-10-24 02:02:14 | ダンス話&スタジオM
先日、宇都宮市内のとある施設でレッスンしているクラスに行ったときのことです。

廊下で施設のスタッフの方とお話ししていると、その方が「生徒さんたち、とてもお上手ですね」とおっしゃいました。
ガラス張りの教室なので、廊下を通っているスタッフの方は、レッスン風景を見る機会が少なくないのでしょう。

生徒さんたちを褒めてくださったことはとても嬉しかったのです...が、問題はその方が「先生の本元は、東京にあるんですか」とおっしゃったことです

...ま、待ってください我々が教えているのはハワイの踊りなのです。本元が東京などにある訳がないのですよぅぅぅ。
でもでも、こういう思い込みって結構あるんですよね。あと「東京で習ってくるんですか」とか。
繰り返しになりますが、ハワイの踊りの先生の先生は東京にはいません(笑)。


正統なフラの先生であれば、ハワイの先生と必ず直結的に繋がりを持っています。
もっと正統な先生であれば、そのハワイの先生も、2代3代上までその系統をたどることが出来るものです。
これを一般的に「フラツリー」といいます。
家系図と同じく、樹木が枝を伸ばすように広がっているからなのですが、「健全な幹からしか健全な枝は伸びない」という意味でも、「ツリー」の喩えはとても相応しいですね。

もっとも、ハワイのダンサーがフラツリーを意識することはあまりありません。
フラツリーについて、フラレアが出した『フラ事典2』ではなんだか難しいことが書いてありますね。「みだりに訊くのは不躾」とか(笑)。
どうもフラレアはハワイのフラへのリスペクトの気持が強すぎるあまり、ときとして腫れ物に触る感じになるきらいがあるなぁ。

私が思うに、フラツリーに関しては、そこまでデリケートな問題じゃないと思います。
ハワイのクムなどにみだりに流派を訊くと、不躾というよりも、「なんでそんなこと気になるワケ?」と不思議に思われる、と言った方が正しい気がしますね。
だって、見る目のある人間が見れば、その先生なりダンサーなりが正しいフラを受け継いできたかどうかは、流派なんて関係なしに一目瞭然だからです。

だから、フラツリーを気にするというのは、学歴へのこだわりに近い部分があるかもしれません。
出身大学を訊かなくても、学のある人かどうかは、その人の書いた手紙を読んだ程度でも分ります。
それでも学歴が気になるという人もいるでしょうし、一方で「むやみに学歴を訊くなんて不躾だ」と感じる人もいるかもしれません。
まあ、「フラツリー」の捉え方は、その程度と思って差し支えないと思います。


したがいまして、今日の記事はウチの生徒さん、それも「自分の習っているフラのルーツは?」ということを疑問に思う方にしか関係ないかもしれません。
今日はスタジオMの、イコール福田真澄の属するフラツリーの話です。
ちなみに、直接の先生以外は前出の『フラ事典2』を参考にしました。
腫れ物に触るほどじゃなく、もっと気楽な好奇心で読みましょう。


まずマミちゃんの直接の先生はオアフ島リリハにあった「イリマフラスタジオ」のクムフラ、ルカ&ルイス・カレイキです。
これは今までも何度か書いてますね。
当時、ハワイアンルネッサンスよりも前のこと、オアフ島にはここを含めて3つくらいしか著名なフラスタジオがなかったそうです。
これは決して「フラスタジオがなかった」という意味ではありません。本来フラを教える場は極めてプライベートなもので、ごく限られた地域の、ごく限られた人々によって伝えられてきました。
そんななかで人々(フラを知らない人も含む)に広く知られていたスタジオは非常に限られています。

イリマフラスタジオはまさしくそういうスタジオのひとつでした。
マミちゃんはハワイ留学時代、昼はレッスンに明け暮れ、夜は夜でソウルトレインな(おっと年齢がバレる)ディスコに足繁く通っていました。

つーか踊ってばっかじゃん。その時太平洋の最高学府ハワイ大学でもっと勉学に励んでいれば...いや、やめよう。母と私は本来まったく異なる人間なのだ。
ともかく母がそういうディスコで「イリマフラスタジオに所属している」というと、ソウルトレインなディスコに集う人々さえその名を知っており、「おおぉ~」と感嘆すらされたそうな。

イリマフラスタジオは想像以上にメジャーだったらしく、一定以上の年齢で多かれ少なかれフラに関わったことのあるハワイの方は、ほぼ100%その名を知っています。

それもそのはず、イリマフラスタジオは他のメジャーなスタジオと同じく、ワイキキのナイトラウンジやホテルでショーを受け持っていたのです。
特に有名なのはやはり、カハラヒルトン(当時)のダニー・カレイキニ氏のショーですね。ダニーさんがクムの親戚だったこともあり、ここで踊るダンサーは皆イリマのダンサーでした。

アンティ・ルイスはまた、当時始まったばかりのメリーモナーク・フェスティバルをコンペ形式にし、ルールブックの基礎を作った人としても知られています。
1970年代には4年連続で優勝を果たしたりもしています。

そういえばマミちゃんは、クムにどこかのショーへ連れて行かれ、「彼女が今年のミスよ」と紹介されたことがあったそうな。
記録を見ると、確かに、まさにマミちゃんが留学していた数年間に、イリマは何人かのミス・アロハフラを輩出しています。
つーか、そういう重要な話を私が問い質すまで忘れているマミちゃんってどうよ(笑)。4年連続で優勝したって件だって、私が資料を見つけるまで知らなかったんですから。

ただ、残念なのは、この姉妹クムフラが揃って早世してしまったことです。
もし長生きしていたなら、もっと多くの名ダンサーや名クムを輩出していたでしょうに...。


しかし、歴史を遡って辿ることは出来ます。
アンティ・ルカの師匠にあたるのが、『フラ事典』によれば「ヘンリー・パ」さんという方だそうです。
なんでも幼い頃からハワイ語を学び(ということは、20世紀初頭当時すでにハワイ語は「学ばなければ身につけられない言語」だったのですね)、10代からワイキキでチャントを学んだそうです。

特筆すべきは、この方がフラを教える傍ら、ワイキキのエンターテインメントやハリウッド映画にも従事されていたことです。
「フラ・バレエ」なるものも創作したとか。
イリマフラスタジオのモダンなスタイルは、この先生あってこそのものかもしれませんね。


ヘンリー・パさんが師事したのは、「ジョセフ・イララオレ」さんと「クルワイマカ・パレア」さんです。
イララオレさんはハワイ島生まれで、カメハメハ1世や高貴な酋長の血を引いた人物で、ホノルルに移り住んだ後、フラ・マスターとして名を馳せたそうです。
ちなみに、アンクル・ジョージ・ナオペもこの方のお弟子さんとのことです。

クルワイマカ・パレアさんもまた高名なチャンターで、イオラニ宮殿完成の儀式で自作のチャントを詠った方です。
晩年、ホノルルでフラやハワイ文化の監修に携わり、その貴重なチャントを録音したものが、今もビショップ博物館に残されているそうです。聴きに行かなくちゃ!!
メリーモナークで審査員を務めるサイ・ブリッジスさんの曾曾祖父にあたるそうです。


...何か繋がりを書くのがおこがましいような凄い方々がぞろぞろ出てきてしまいましたね(汗)。
でも、フラはそもそも非常に限られた人にのみ伝えられてきたものですので、伝承の歴史を遡ってゆくと、どんなルートを見てもそうそうたる方々に行き着いてしまうのは自然の流れなのです。
じっさい、今活躍しているハワイのクムフラのルーツを辿っていくと、その幹はほとんどの部分で交わっており、「人類みな兄弟」状態になっています。

「ツリー」の根幹がどんなに複雑に絡まり合っていて、そこから伸びているのがどんなに細い枝葉であっても、それがどこかで途切れているのではなく、確かに幹から伸びているのであれば、それは正統なフラツリーの一部なのです。

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