舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

Michael Jackson "THIS IS IT"

2009-10-29 02:45:10 | 徒然話
観てきました。マイケル・ジャクソン『THIS IS IT』。
宣言どおり、初日の最初の上映です。
劇場はほとんど満席でしたが、やはり日本の映画館というべきか、皆さんとてもお静かで、ライヴのように盛り上がる雰囲気ではありませんでした。
しかし、それ以前に、私自身がとてもとてもライヴのように乗れる状態ではありませんでした。

『THIS IS IT』、これはまさしく、私が今までの生涯で一番泣いた映画でした
泣くつもりは全然なかったのに。こんなに泣いたのはここ数年で初めてでしたよ。

オープニングの時点から何かヘンでした。
冒頭でこの映画の経緯をテロップで流し、バックダンサーたちのインタビューが流れている数分間、まだ一度もマイケルが出ていないうちから、なんだか涙腺に異常が...。

そしてマイケルの姿を見た瞬間、もう涙が止まらなくなってしまったのです。
数日後に亡くなるとはとても思えないほど元気な姿、肺を患っていたのに美しく伸びやかな歌声、そしてあの色褪せることの無い神がかったダンス。
どうしてこんな不世出の人物が早世しなければならなかったのかと、その損失の大きさを思うと、泣けて仕方ありませんでした。

それにしても、リハーサルなのにレベルが凄すぎます。
あまりのクオリティの高さに、私も泣いてばかりはいられなくなってしまいました。
ロンドン公演で流す予定だったモニター用映像と、舞台の上でマイケルとダンサーがパフォーマンスする姿が臨場感たっぷりに編集されているんですが、どちらもマイケルの完璧主義を反映して、とんでもない仕上がりです。
「スムース・クリミナル」は特にカッコ良かったですねぇ。古き良き映画風の映像を撮って、それと舞台上のパフォーマンスのコラボレーションがパーフェクトでした。
それでもまだ、マイケルからすれば完璧とは思ってない仕上がりなんだろうなぁ。
おかげで、ダンサブルな曲が始まると、涙も止まってスッカリ魅入られていました。

「ジャム(=私の最も好きな曲)」などのように、聞いただけで踊らずにはいられなくなるような曲でなくても、マイケルは最もメロディアスなバラードでさえ、常にビートを感じて踊りながら歌っています。
ただ、そういうバラードのときはマイケルがアップで映るし、あの歌声によりよく聴き入ることが出来るせいで、またもや涙腺全壊モードになっちゃうんですよねぇ

特にダメだったのは、ジャクソンファイブ時代の曲が流れたときです。
誰でも知ってるヒット曲を2~3曲歌った後、最後にマイケルが発するメッセージ(どうぞご自身でお聞きください)に、もうダム決壊です(笑)。

しばし涙を止めて最高のパフォーマンスに酔いしれ、そのうち感極まってまた落涙し...を繰り返しながら観ているうちに、否応無くひとつの真理に行き着きます。
すなわち、マイケルの完璧主義が常軌を逸しているということです。

私はプロ意識の高い人が好きですし、プロであるからにはできるかぎり完璧主義であるべきと思ってはいますが、それにしたってこの人の完璧主義は凄すぎます。
彼の中では、理想のステージが一分の隙もなく完全に組み上げられていて、そのとおりに実現すべく己に果てしない研鑽を課すと同時に、周囲にもそれを求めます。

マイケルのバックバンドもダンサーも一流どころばかり揃っているのでしょうけれど、そりゃマイケルからしたら、きっと「なんでわかんないんだよぅ」と愚痴りたくなることも少なくないと思われます。
でもマイケルは、ごく穏やかな口調のままに、どうして欲しいかを出来るだけ正確に相手に伝えようとします。
闇雲に怒鳴ったり、灰皿投げつけたりするアーティストや演出家より、完全に数十枚上を行っていますね。

しかし、それはやはりマイケル自身が極めて繊細だからでしょう。
マイケルが気遣いにあふれた口調である以上に、プロデューサー以下すべてのスタッフたちが、繊細なマイケルに対して最大限に気を遣っているのが痛いほど伝わってきます。
おそらくマイケルは、あまりにも研ぎ澄まされたセンスを持っているが故に、すべてに対して繊細で脆い心を持っていたに違いありません。

そんなマイケルが晩年受けた仕打ちを思うと、彼を襲った痛みは想像を絶するものであったでしょう。
タフな人にさえ、執拗なパパラッチやねじ曲げられた報道は堪え難い苦しみをもたらします。
まして、マイケルのように万事において繊細な人が、あれほどの扱いを受けたなら、その傷は誰の想像にも及びません。

マイケルを攻撃する人間が絶えなかったのと同じく、味方を装いながらも、マイケルで一儲けしようとする人間にも翻弄され続けた人生だったと思います。これもある意味、攻撃してくるより厄介な相手ですよね。

彼の才能とプロ意識と築いたキャリアから考えたら、マイケルの後半生は、本当に割にあわないものだったのではないでしょうか。
そうすると、周りの人間や世界すべてが醜く見え、敵視したくなるんじゃないかと思うのが人情です。

それなのにマイケルは、死の数日前まで人間や世界を愛し続けていました。
世界を愛で満たし、環境破壊を食い止め、まさに「ヒール・ザ・ワールド」の歌詞のとおりのことを思い描いていたのです。
あれほどの艱難辛苦に晒されながら、この人はどうしてそんなに愛を失わずにいられたのでしょうか?
それを思うと、最後に私はまたまた涙が止まらなくなってしまいました。


どうやら我々人類は本当に貴重な人を失ったようです。
ラトーヤやお母さんは、完璧主義のマイケルはリハーサル段階の映像を見せたがらないだろうと思ったようですが、世界がどんなに貴重な人物を失ったか気づかせるために、この映像の公開は必要不可欠であったと、私は思います。

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