2月8日朝
この二冊は炭鉱が舞台、炭鉱と言えば夕張がおもいだされます。
↓石見銀山が舞台 ↓ 筑豊炭田(九州)
週何回も利用する市バス。最寄りバス停近くの小さな広場(広場なのに小さいはおかしいかも)
名古屋の夏は蒸し暑いので有名です。そんな暑い中バス停近くのその広場で
ブロックの間の雑草を丁寧に抜いている人がいる。
毎日見ているわけではないが、何度も見かけた。
或る日冷たいペットボトルの麦茶を持参、どうぞと差し出すと「ありがとう」と返ってきた。
しばし会話した。「北海道夕張から来ました、こちらで皆さんによくしていただくので
ささやかなお礼です」と。(この話題以前にも載せました)
どのような経緯で名古屋へ来られたかは聞きませんでしたが、この数年は姿がみえません。
夕張と言えば高価なメロンが話題になり、破産した夕張炭鉱とあまりにも対照的な話題です。
今ではブロックの隙間に雑草が蔓延っている。誰もが踏みつけて歩いている。
炭鉱の本を読んだり、夏が来ると思い出す「夕張の人」です。
素敵な話ですよね。
若い頃はあまりそういうことに目を向けませんでしたが、ある程度の年齢から目を向けるように
なりました。黙々と土手の草を抜く人や
花を道に植える人とか、頭が下がります。
必ず声掛けしてお礼を言いますね〜
そうですね炭鉱夫さんのお話は色々ありましたが最近は無いですね。
うろ覚えですが巡業で行きましたね。賑やかだったような?
夕張も赤字でこの町も借金が多くて第2の夕張と言われていましたが市長が変わり持ち直しました。市長の給料や職員さんもまだカットのままとか聞きます。
思い出してしまいます。
夕張メロンはもちろん食べたことありませんが
ニュースによれば、一個何百万円とか。
炭鉱閉鎖とその落差の大きさに世の矛盾を感じます。
私が勝手に夕張と聞いて炭鉱を連想しました。
えっ!第2の夕張?信じられません。
市長さんはじめ皆さんが頑張られたのですね。
いろいろ催しものも多く、ブログ拝見して羨ましく
思っています。
観光客も来られているようでいいところです。
夕張でしたかしら…?
少し前にテレビでドキュメントがあったのを少しだけ見たのですが、覚えていません。
声をかけてもらえたことを素直に喜ばれたのでしょうね。
Reiさんのお気持ちも通じてよかったですよね。
夕張の人、どうされてるでしょう。お元気でいてほしいですね。
確かに山も輝いている一時期があったと思いますが、
化石燃料は地球温暖化によくない影響ありとか
時代の趨勢もありましょうね。
夕張炭鉱閉鎖の直接原因は事故で大勢の方が亡くなったことのようです。
そうでなくても何れ閉鎖の運命にありました。
上野栄信さんの本は写真がたくさん挿入されていて
しかも、生々しいものばかり、鋭く訴えるものがありました。特に子供の写真には胸痛みました。
当分再読はできません。
かの「夕張の人」のことは終生忘れないと思います。
夕張メロンの価格を知ると炭鉱事情を少しは知るものとしてはギャップの大きさに信じられない値段です。
誇っていました。
戦後も黒いダイヤともてはやされ、戦後復興と高度
成長の原動力でした。
炭鉱労働者はいつも時代の流れに翻弄され、悲劇的
な姿が小説やドラマに取り上げられました。
炭鉱の事故や労働争議は、記憶に生々しく残って
いますが、「昭和は遠くなりにけり」ですね。
世のすべてが大きく変わりました。
三池争議のことは言葉としては知っていましたが
内実は何も知らずでしたが
「追われゆく坑夫たち」を読み時代に翻弄される
そこで働く人たちの姿を垣間見ました。
「昭和は遠くなりにけり」確かに確かに
実感がこもっています。